ほんとうのリハビリテーション
リハビリテーションという言葉の語源はラテン語の「re」(再び、戻す)と「habilis」(適した、ふさわしい)を意味する語から成り立っています。
リハビリテーションは、障害に関わらず「自分らしく生きる」ことを目的としたすべての活動や考え方を指します。
時として、単なる機能回復訓練として捉えられることのあるリハビリテーション。
私の活動は、まさにリハビリテーションであると思っています。
コンプレックス
私は幼い頃から、視力は良い方ではありませんでした。しかし、おそらく正常より少し悪いくらいだったと思います。
視力よりも、むしろ「斜視」が問題ではなかったのだろうかと今にしてみれば思います。
いつから斜視になったかは全く記憶にもなく、生まれた頃や1,2歳だと思われる頃の写真の目は正常で、自分で言うのも何なのですがクリクリした大きな目のかわいらしい顔をして写っていました。
のちに大人になってから、シャルコー・マリー・トゥス病との関係性を主治医に尋ねると、そういった症例報告はないとのことで関係はないのではないかとの見立てでした。
この斜視が私にとってはかなりのコンプレックスでした。
これが原因で、子供の頃は笑われたり、コソコソ内緒話のようにされたり、ジーッと見られたり。
私が子供が苦手だと感じるのは、これらの体験が大きいのではないかと思っています。
車の運転
そんな私でしたが、ある日眼科医に車の運転はできるのか相談したところ「危ないからやめたほうがいい」との返答がありました。
高校生くらいの頃のことだったかと思います。
私の中でもなんとなく、車の運転はこわい、というイメージがありました。
ですから、やめたほうがいいと言われたからと言ってショックをさほど受けることもなくその言葉を受け入れていました。
言語聴覚士として働き始めた頃は、バス通勤をしていました。
田舎なので1時間に1本の本数しかなく、通勤にはとても苦労しました。
雨が降ったり天候が悪いと、当時は両方に杖をついていたので本当に大変で、母親が送迎をしてくれたこともよくありました。
こんな時は、ふと車に乗れたらなあという気持ちにもなりました。
どうしても車に乗りたい
もう一生車を運転することはないと思われた私でしたが、どうしても働きたい職場が見つかったのです。
それは、当時この地域で「福祉のコンビニ」と銘打って画期的な事業を展開していたNPO法人でした。
この法人が運営する事業所の一つで「生活リハビリ道場」というリハビリ特化型のディサービスがありました。
生活リハビリ道場の合言葉『生活行為に勝るリハビリはなし』というフレーズが、私の心を射止めたのです。
どうしてもここで働きたい。
しかしながら、ここで働くためには通勤手段として車が必要だったのです。
私は、もう一度医師に相談。そして警察で視力検査や身体の適性検査を受けることになりました。
目に関しては眼鏡をかけること、身体に関しては手動式のアクセルブレーキ限定であること。
それを条件に教習所へ通う許可が下りたのです。
それからは、免許取得に専念するため病院を退職。
周囲からは時間がかかるだろうと言われていましたが、それでも2ヶ月ほどで取得することができたのです。
そして、免許取得から1ヶ月後には念願の職場へ転職となったのです。
人生の転換期とリハビリテーション
人には、人生の転換期と言える時期が何度か訪れるのではないかと思います。
私にとってもその時期はあり、その大きな転換期の一つには車の免許取得は外せません。
車が乗れるようになったことで、私の人生は大きく変わりました。
何十倍、いや何百倍にも世界が広がりました。
さらに車いすを自動で収納してくれる装置『オートボックス』を取り付けてからは、それは何千倍にも広がったのです。
オートボックスとは
二十歳過ぎても自由に自分の行きたいところへ行けなかった私。
そんな私が、今や車を運転して必要な方に嚥下食を届けに行っている。
こんな感動が他にあるのかと、自分で思えてならない。
「車で日本一周する」
こんな夢まで抱くようになったのです。
改めて「リハビリテーション」の意味を多くの方に問い直してほしいと思うのです。
車を運転することも、嚥下食を届けることも、もちろん私にとってリスクと常に隣り合わせかもしれない。
それでも、こんな私の生き方を理解し見守っていてくれる人が1人でもいたら、私はいつも前に進んでいけるのです。
そして、私も誰かにとってそんな存在でありたいといつも思っています。