苫野一徳の自由の哲学を雑にまとめた

人間は自由に生きたいんだよ!
それが根源的欲求。ヘーゲルさんが言っている!

「生きたいように生きたい」っていうやつが自由ってやつだ。
「自分は〇〇を欲している!」「そしてそれを自分はできるんだ」って思えること。
その一致感や可能性への感度が「自由だなー」って思える感じ!

そして、自由は幸福の必要条件、自由の実感がないと幸福はあり得ない。
だから人間の根源的欲求を自由ってことにして、それを底板にして物事を考えるのがいい。

そこに承認への欲望が伴う。
「俺の自由を認めろ!」ってやつ。
ここで「自由を巡る果てなき争い」が起きる。
だから、人間はずーっと対立してきたし、戦争をしてきた。

人類が長らく続けた争いをやめるためのキーワードは??
それが「自由の相互承認」
他者の自由を承認している状態、それを互いにわかっている状態。
つまり、あんたの自由を承認しているよ! あんたは私の自由を承認してくれているんだね!の相互作用。

自由をより多くの人々が感じられる状態を「よい」としてみる。
自由の相互承認を人々が実感していている状態を「よい」としてみる。
自由の相互承認が全体に広がっていく社会を目指すべき社会像としてみる。
これらを下敷きに置くことで「何を以て良い選択か?」「何を以て良い社会か?」を考えられる。

僕たちの人生って、状況や関心によってさまざまな選択がある。
その選択って何を以て良いとするの?っていうことの基準になる。

人の集まり(社会)って、状況や関心によってさまざまな意思決定をする。
その意思決定を何を以てよいとするの?ってことの基準にもなる。

そして、上記を下敷きにした時に、教育の目的も決まる。
「自由の相互承認の感度を養っていく」
これを以て「よい教育」とすることができるのではないか?

とっても雑なメモ書き。
だいぶ端折っているし、間違いあったらごめんなさい。

雑感として
教育や福祉の事業をしているものとして、選択の指標となるものなんです。
ものすごく大事な指標となる。
自由を底板にして、そこから個人の幸せを探求する、っていうことで、学びに対しても活動に対しても仕事に対しても開かれていくんではなかろうか?
そんなことを思っています。

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