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ポケモンキッズと旅する 第68回 イノムー|福島県猪苗代町

本記事をご覧いただき、誠にありがとうございます。

第六十八回、イノムーと猪苗代です。

まず、キャラ選定理由から。

地名に「猪」が入っているので、順当にイノムーを連れて来ようと思いました。

さて、亀ヶ城とは、猪苗代城の別名として知られています。

この城は、磐梯山の南東麓に位置し、猪苗代湖畔の平地を見下ろす絶好の場所に築かれました。

立地としては、猪苗代湖畔の平地を見渡すことができる要衝の地として、戦略的な重要さがありました。

城の歴史は古く、1191年に佐原経連によってこの地域に城が築かれたと伝えられています。

以来、600年ほどにわたり、この地域の支配者たちの拠点として機能し続けました。

江戸時代には、この地域一帯は会津藩領となりますが、猪苗代城は幕府の一国一城令の例外として存続を許され、会津藩の重要な拠点となりました。

会津若松の鶴ヶ城という本城に対して、猪苗代の亀ヶ城という支城として特別な地位を占めていました。

つまり、「鶴ヶ城」に対する「亀ヶ城」として、会津藩の東の要として位置づけられていたわけです。

幕末の戊辰戦争のうち、1868年10月6日に起こった母成峠の戦いの後、亀ヶ城が焼失しました。

母成峠の戦いで、新政府軍が旧幕府軍を破り、会津領内への侵攻を開始しました。

この戦いの結果を受け、亀ヶ城が敵の手に渡ることを避けるため、自ら城に火を放ち、会津若松城へ撤退したという説もあります。

支城である亀ヶ城の焼失は、会津藩にとって大きな痛手であり、戦況の厳しさを物語るものでした。

猪苗代を訪れたのは、冬の季節でした。

会津の冬は雪深く、猪苗代の平野も一面の銀世界に埋もれていました。

石垣は雪に埋もれ、かつての城の輪郭さえも覆い隠すほど積もっています。

背景には、雪化粧をした磐梯山の雄大な姿が聳えています。

その裾野に広がるスキー場は、遠くかすんで見えます。


原寸大や未公開の写真は写真投稿サイトFlickrにございます。

ここまでご覧いただきどうもありがとうございました。次回もお楽しみに。