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金曜日

ほとんどの時間を1人で過ごし、ほとんどの食事を1人でとる。
1週間のうち、「ホットのカフェラテ、トールサイズ」と言ったのが3、4回、スーパーやコンビニのレジで「いりません」と答えたのが、2回くらい。
それ以外は声を使っていない。(うっかり家で、ひとりごとをいうことはあるけれど)
ということがほとんど、という生活を約1年続けた。

もちろん「ほとんど」だから、そうでないときもある。
1ヶ月に1、2度、病院に行くと「はい」とか「いいえ」とかを言う回数は格段に増えるし、1、2週間に1度、週末に、姉が食事に誘い出してくれる。

姉と食事をするとき、私は、よく食べ、よく飲み、よくしゃべる。
はたから見たら、仲のよい姉妹が楽しそうにしている図でしかなくて、私が普段、ほとんどの時間を1人で過ごし、ほとんどの食事を1人でとっていると知る人はいない。

そういう週末から迎えた月曜日は、少しだけ心細さを感じることがある。
それでも、火曜日には、淡々としたリズムを取り戻す。

私は、自分から姉を誘うことはなかった。仕事に社交に忙しい人が、活発に活動したいであろう週末の夜。そこを優先的に私との夕食の時間として捻出してくれているのを知っていた。

姉の誘いがあるのは、土曜か日曜の夜。
「今日、ご飯食べに行かない?何が食べたい?」とか「遅くなっちゃったけれど、ご飯まだだったら、一緒にどう?」とか。
大抵、今まさに夕食時で、行きたい店が決まったらすぐに身支度を整えて向かわなきゃ、という時間帯だ。前もって約束したりはしない。

姉からの誘いのLINEに即返事ができるように、土日は夕方になるとPCの前に張り付いた。
当然、待っていても姉からのお誘いLINEが来ない日もある。
土曜も日曜も姉からの誘いがない週もある。
連絡がないまま20時半を過ぎたら、淡々と1人分の夕食の準備にとりかかる。

何事も、可能性を想定し、備えておくことが大事だ。

1人で老後を過ごすとしたらこんな感じかしら、と想像してみたりもする。
そのときは、この生活が期限付きではないのだ。

この生活は、期限付きを前提としている。
夫の海外転勤が決まって、私も仕事をやめ、ついていこうとしていたときに、持病が発覚した。

想定も備えもしていなかった。

くしくも同じタイミングで、
夫は、大きなスーツケースを持ってバンコクに発ち、私は小さなスーツケースを持って病院に向かった。
約2ヶ月の入院生活の後、自宅に戻った。そして、この生活が始まった。
療養して、体調が安定したら、私もバンコクに渡るつもりだ。

いや、老後の生活に期限はある。私の命はいずれ果てる。
こんな風な毎日を過ごしながら、その日を待ち続けることができるだろうか。
その頃、私を食事に誘ってくれる姉は存在しているだろうか。

この生活は、案外、性に合っているかも、と思うくらい、すっと私に馴染んでいた。
買い出しは、なんとなく夕方に行く習慣になっていた。
金曜は、少し早めに買いに出る。
17時を過ぎると、街全体に金曜の夜に特有の空気が漂い始める。

今の私は、この空気を浴びない方がいい、と直感で思うのだ。
金曜の夜の空気に飲まれたら、この毎日をやっていけなくなるかもしれない。
せっかく、なじんでいたのに。

そうやって、私は、金曜の夜と距離を置き、週末の夜を待ち、月曜の朝を迎えることを繰り返し、1年後、バンコクに渡った。

ここバンコクで私は、相変わらず、ほとんどの時間を1人で過ごしている。
違っているのは、2人分の夕食を作ることだ。
2人分の夕食を作り、ほとんどの夕食を夫と一緒にとる。週末の夜は、夫と外食をすることも多い。
こちらでも、買い出しは夕方の習慣のままだ。

バンコクの金曜日。そろそろ夜の空気が流れる時間だ。
買い物袋を下げて、私は、早歩きで家に向かう。

#エッセイ #雑文


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