双子が重症新生児仮死で産まれてくるまで
あの日から6年がたった。
それは私の激動の人生が始まった瞬間だった。
今でも鮮明に覚えているのは、たくさんの管に繋がれた2人の可愛い赤ちゃんの姿と2人のそばでただ泣くことしかできなかった自分の姿だ。
妊娠36週3日。最後の妊婦健診の日。
まだ少し暗い明け方、いつもより早く目が覚める。少しお腹がチクチクしていた。お腹の痛みで目が覚めるなんていつもと違うなと、少し不安な気持ちになるものの、横でスヤスヤ眠っている2歳の息子の顔を見て自分で気持ちを落ち着かせる。「赤ちゃん大丈夫かー」と言いながらお腹をさすっているとまた眠くなり、眠ってしまった。
朝になり息子は夫に連れられて保育園に、夫はそのまま仕事に行った。
私はたまたま休みだった父に車で病院まで送ってもらった。かかりつけの地元の総合病院につき、歩いて産婦人科へ。待ち合い室で待っていると、産後フォローのお母さんたちもいて、可愛い赤ちゃんの泣き声が聞こえてくる。
診察の前のNSTの時に看護師に「明け方からお腹がチクチクしているんです」と伝えるが、看護師は「そうなんですねー」と気に止める様子もなく、NSTのセンサーをお腹に装着し始める。センサーを装着してもなかなか脈拍と波形が出てこず、「赤ちゃん寝てるのかなー」とかいいながら、センサーのつけ直しをしたあとようやく波形がでるようになった。NST中に2回お腹が収縮する感じがあり、波形も少し山になっている。何だかよく分からない違和感があった。
その後診察室に案内され、先生がエコーで赤ちゃんの血流を確認。エコー中の先生に夜中にお腹がチクチクしたことを伝えるが、先生はエコーを見ながら「赤ちゃんの血流もいいですし、問題ないですよ」と。先生の言葉に安心して、帝王切開の日にちを一週間後に設定して、病院をあとにした。
父に迎えにきてもらい、車で実家に帰宅。今日の診察内容を父と話しながら、荷物を床に置いてこたつの前に座った瞬間だった。
ブチッ。
身体の中から何かがはち切れるような音が聞こえた。
と同時にお腹に激痛が。
普通ならただ事ではなさそうなのは、分かりそうなものだが、このときの私には分からなった。
突然陣痛がきたのかと思い、お腹のはりの間隔を時計ではかるが、ずっと痛い。おかしいと思いながらも、冷静になれと自分に言い聞かせながらとりあえずかかりつけの病院に電話していた。
「さっきお腹がブチッといって、それからお腹が痛いんです。陣痛の間隔は分かりません。ずっと痛いです。」と電話にでた看護師に伝えると「すぐに車で病院にきてください」と言われた。
車に乗ろうとするが、お腹が痛くて立ち上がることすらできない。「痛い、痛い、痛い」お腹を抱えて悶絶している私を見た父が「母さんが陣痛のときはそんな感じじゃなかった。おかしい。救急車を呼ぶから待っとき」と。
救急に電話してから10分ほどで救急車が到着して、救急隊員には陣痛に耐えている妊婦にしか見えなかったようで、隊員が私を抱き抱えようとした。身体がくの字になった瞬間にお腹に激痛が走った。「痛い、痛い、痛い」痛いしか言えない私に代わって父が「陣痛でこんなに痛がるのはおかしいから、担架持ってきて運んで」と言ってくれた。
担架で救急車に乗り込み、救急車が進み始めたがサイレンは鳴らさず5分ほど走らせて道で止まってしまった。
父「何で救急車がとまってるんだ!早く病院へ行ってくれ!」
救急隊員「病院の受け入れの確認中だから連絡を待っています」
父「かかりつけの病院には電話して行くと行っているんだから、受け入れできるはずだ!とりあえず病院まですぐに行けって!」
救急隊員「受け入れが確認できてからじゃないと行けないので、もう少し待って下さい」
父「待っていては遅いかもしれない。もしうちの子に何かあったらあんたが責任とってくれるんか」
こんなやり取りのあと上席隊員が「とりあえず病院行こう」と言い、サイレンを鳴らしながら救急車が走り出した。
病院に到着してから救急で隊員と医師が何やらやりとりしているみたいだが、こっちはそれどころではない。お腹の激痛とお腹の中の赤ちゃんは大丈夫なのかと不安でならなかった。どうでもいいから早く何か処置をしてくれと心の中で叫んでいた。
お腹の痛みと不安で呼吸が荒くなっている私をみて、看護師が「お母さん大丈夫よ。しっかり息してー」と言ってくるが一体何がどう大丈夫なのか。看護師のお決まりフレーズにイライラしながら待っていると、産科の医師が到着し、病棟に連れて行かれた。
産科の病棟に到着して、履いていたレギンスと下着を脱がされると、下着が血でべっとり汚れていた。医師がすぐにエコーで確認し始めるがすぐに「赤ちゃんの脈拍が下がってる。オペ室に連絡して!」と騒ぎ始める。「お母さん、今赤ちゃんが苦しい状態になってるからすぐに帝王切開します。」こんな簡単な説明のあと、着替えをさせられ、そのままオペ室へ。オペ室に到着するとすぐに麻酔をかけられたので、そこで記憶はなくなった。
目が覚めたときは個室のベッドの上だった。
涙を流しながら立っている母と目が合った。
「目が覚めた?大丈夫?」と声をかけられ、少しずつ思い出してきた。
この時まだ何も知らない私は、お腹の痛みがなくなってホッとして「大丈夫、麻酔もきいてるし痛くないよ」と明るく答えた。
何も知らない私はたわいない話をするが、母の表情は固まったままだ。何かあるのは感じるが、考えたくない私はたわいない話を続けた。
30分ほどたったときに医師と看護師が部屋に入ってきた。「お父さんとお母さんだけ部屋に残ってもらって他の方は少し外でお待ちください」と看護師に案内され母たちは部屋の外へ。
先生はポツリポツリと説明を始めた。
「赤ちゃんは今NICUで治療を頑張っています。お腹中にいる間に低酸素状態が続いていて、産まれたとき息をしていなかったので、すぐに救急蘇生をしました。治療の末、今人工呼吸器で息をしていますが、今後どうなるかまだ分かりません。力を尽くして治療していこうと思いますが、頭の中は火の海の状態です。女の子は火を消すために低体温療法をしています。しかし、男の子の方は治療の対象にならず、今も火が広がっている状態です。」と。
現実を突きつけられ、私の頬に涙がすっと流れ落ちた。
泣いている私を見ながら看護師からは「出産おめでとうございます。」と。
一体何がおめでたいのか教えてほしい。自分の子供に障がいが残るかもしれないのにおめでたいと言ってくる看護師に怒りが込み上げ、また涙が溢れでてきた。
人生は予測不可能で試練に満ちている。