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憂鬱な放課後の幸福な食卓~学童保育の事件簿~10 甘いカレーと激辛カレー ②

次の日も、始まりはいつも通りだった。明里は学童の施設の窓を、全部開け放った。
 ただ、児童養護施設の鍵を預かっている安部さんも同じ頃に出勤して来て、こちらは児童養護施設の窓を全部開け放っていた。
「さすがに、事務所は締めて来たわ」
 安部さんが学童に戻って来た時、明里と一緒に出勤してから二十分くらい経っていた。
「安部さん、来週も私早く出ますよ。これじゃあ、安部さん大変ですもん。子どもの受け入れは、私がします」
「良いの?」
「私も後悔はしたくないんです。安部さん達ができるだけのことしようとしているから、私もできるだけのことはしようと思って」
 この街で。
 十二年間放課後児童支援員をして来た安部さんは、研修や会合などで他の学童の指導員さん達との繋がりがある。
 一方の谷さんは、七年間この社会福祉法人で働き、事務長にでも軽口が叩ける「立場」がある。
 どれも、明里にはないものだった。
「私は助かるけど、無理しないでね」
 安部さんが笑いながら頷くと、
「おはようございます」
 最初の子どもが挨拶するのは、同時だった。
 九時になると、谷さんも来て、子ども達の宿題タイムへと突入する。
「安部ちゃん、鷹ちゃんが十時に、私と一緒に事務所に来て欲しいって言ってた」
 そうして。
 谷さんは、そう「繋ぎ」を付けたことを安部さんに報告した。
「え、でもそれじゃあ真中ちゃんが一人になっちゃうじゃない」
 安部さんが、困ったような表情になる。
「真中ちゃん一人でも大丈夫じゃない?」
「今日の活動、絵の具を使うんですよ」
「応援頼むわ」
 明里がそう答えると、谷さんはスマホを出して、事務長へと連絡をする。絵の具を使う活動で、明里一人で子ども達を相手するとなると、どうなるか、想像に難くない。
 壁に、床に、絵の具の花が咲くのは、確実だ。
「南ちゃんが来てくれるってくれるって」
 通話を切った谷さんが、そう教えてくれる。
「ああ、良い機会ですね」
 南さんも、もともとは学童の職員だった。
 彼女と過ごせる時間は、望海や歩武にとっても良い思い出になるだろう。 
 そう思って頷く明里に、谷さんはマジマジと見つめてくる。
「……何ですか? 谷さん」
 明里は怪訝に思って谷さんを見つめ返す。
「……本当に、結婚できないわけだわ」
 と、谷さんにまで言われてしまって。
「谷さん⁉」
 明里は、叫ぶしかなかった。

         ★

「それは、大変だっだわね」
 爆笑しながら、南さんは言った。
「爆笑するほどですか、南さん」
 かつての同僚と、久々にゆっくりと話す機会ができ、明里は以前と変わらぬ態度で話す彼女に、そう声をかけた。
 因みに、子ども達は現在二階のテラスでシャボン玉をしている子達と、色水遊びをしている子達に分かれている。
 もちろん二階の部屋で、引き続き絵の具でお絵かきをしている子達もいる。 
 何故絵の具で絵を描く活動が、シャボン玉と色水遊びになって行くのかなど、明里には未来永劫理解できない。
 だが、そうなってしまった以上、明里は放課後児童支援員として、子ども達が安全に遊べるように、見守る立場にいるのだ。
 そんなわけで、明里はシャボン玉を飛ばす子ども達をテラスの出入り口で見守りながら、南さんと話していた。
「私が前にここに皆を呼びに来た時があったじゃない? あれは、理事長が『南は俺が雇っているぞ』とアピールさせるためかなって、私は思っていたのよ。そして、わざと真中ちゃんだけを呼ばなかった。それも、『お前は必要ない』ってアピールかなって思ったのよね」
「そうなんですか?」
 南さんに言われて、明里は首を傾げた。
「まあ、真中ちゃんにとっては関係なかったか」
「実際、南さんが来てくれて望さんも歩武君も嬉しそうでしたし、助かりましたから」
「本当に、『ぶれない』人だね」
 感心したように南さんは言ったけど、明里には何のことかよくわからなかった。
「そう言えば、歩武君が塾に行くことにしたって言っていたわ」
「あ、そうなんですか?」
 南さんの言葉に、明里はすっきりした表情で帰って行った昨日の歩武の姿を思い出した。
「良かったです」
 明里が安心して頷くと、
「やっぱりぶれない」
 と、南さんは楽しそうに笑った。
「真中ちゃん、シャボン玉に色付かんよ」
「だから、シャボン玉に色を付けるのは無理だって言ったじゃない」
 シャボン玉を作っている子ども達にそう言葉を明里が返していると、
「真中ちゃん、色水が真っ黒になった!」
「三色以上混ぜると色が黒くなるって言ったじゃないっ」
 これまた色水遊びの子達から声が上がる。
「そろそろ撤収させる?」
「そうですね。このまま行けば水遊びになると思います」
 明里の言葉に、南さんは笑顔で頷いた。
 そうして。
 明里達が活動の後片付けをしている時に、安部さんと谷さんが事務所から戻って来た。二人が事務所に向かってから、一時間ほど経っていた。
「とりあえず、予定通りになりそうです」
 帰って来た安部さんは、待っていた明里と南さんにそう報告してくれた。つまるところ。
 この学童は、夏休みが終わるのと同時に、閉所になるってことだった。
「そうですか……」
 ため息を吐くように、南さんは頷いた。
「じゃあ、老人(こっち)も近々って感じかしらね」
 それ以上のことは、南さんも言わない。
 周囲には子ども達がいるからだ。
 一応カウンター席のスペースで話してはいるけれど、子ども達の耳に確実に入るだろし、察しの良い子などはそのまま母親に話すだろうから、余計なことは言えないのだ。
「今日は、楽しかったわ」
 けれど、次の瞬間、南さんは明るく言った。
「私も南さんと久々に一緒にお仕事できて、嬉しかったです」
 明里も笑顔でそう言った。その時である。
「なあ、真中ちゃん、南ちゃん」
 歩武が、カウンター席の前にやってきた。
「どうしたの? 歩武君」
「父ちゃんが言うと思うけど、俺、今週でここ来るの辞めるから」
「あ、そうなんだ」
 明里は予想通りだな、と思いながら歩武の言葉に頷いた。
 夏休み終了と同時にこの学童が閉所することが決まった今、子ども達の落ち着き先が決まって行くのは、寂しいけれど、良いことでもあった。
 それは、谷さんも安部さんも南さんも同じ気持ちだ。
「それでさ、おっさんのカレー最後に食べたいなって思っているんだけど、無理かな?」
「おっさんって……料理長のこと?」
 これには、南さんが歩武に聞いた。
「うん。前はさ、おっさんが作ってくれた物も注文できたじゃん。今はできないけど、久々に食いたいなって思って」
「あら、そうだったの?」
 そのことを知らない安部さんは、意外そうに言った。
 明里が来てから二年目までは、児童養護施設の昼食を作るついでに、料理長が学童の子達の昼食を注文した分を作ってくれていた。だがそれは、人がまだ十分いた時の話だ。
「どうでしょうか、南さん」
「一応話はしてみるけど、難しいかも」
 老人ホームの建物で働いている南さんは、そこにある食堂のことをよく知っているので、そう答えた。それでも「駄目よ」と言わないところは、南さんらしいな、と思った。
「じゃあ、私はこれで」
 南さんは靴を履くと、手を振った。
「南ちゃん、ありがとう」
 歩武もそう言って、手を振る。南さんはそれに笑って頷くと、学童の建物を出て行った。
 その姿を見ながら、明里は「別れの儀式だな」、と思った。
 こんな光景を、これからは幾つも見て行くことになるのだ。
「さて、私は保護者の方々にお知らせするプリントを作るわ。昼間でにはやってしまうから、それまでは、谷さんと真中ちゃんで子ども達のこと、お願いね」
 そうして、安部さんは「閉所」の知らせを保護者に伝えあるために、その文書を作り出した。「別れ」の準備は、始まっていた。
           ★
「それで、退職するのは会社都合にしてもらえると?」
 けれど。そんな明里の感傷を、美里は現実に引き戻してくれる。
「それって、そぎゃん重要ね?」
「当たり前たい! 自主退職だったら、失業保険もらえるの、三か月後になるばってん、会社都合なら、一か月後にはもらえるとよ!会社都合にしてもらわにゃん、損たい」
 晩御飯を食べながら、明里と美里は、自ずと退職した時のことが話題になった。
「姉ちゃん、きちんと貰うものは貰わんと、会社にとっても良くなかよ。給料だって、未払い分はちゃんと貰わんと行かんよ」
「払わっさんかもしれんたい」
「そん時は、内容証明で請求すりゃ良かよ。退職した後なら、同僚さんにも気兼ねせんで良かでしょ。それでも払わっさんなら、労働基準局に通報すれば良か。それに、きちんと破産手続きばしなはるなら、倒産した後の給料ば国が払ってくれる、『未払い立て替え制度』もあるとはあるけんね」
 納豆をかき混ぜながら、美里は言った。
「あんた詳しかね」
「昔取った杵柄よ」
 明里は感心したが、美里は何でもないように肩を竦めた。
「まさか、姉ちゃんのためにこぎゃん使うことになるとは思っとらんだった」
 美里の言葉を聞きながら、明里は皿の餃子を自分のたれ皿に載せた。
 本日のメニューは、餃子とわかめスープともやしのナムルだ。
「ばってん、問い合わせ先も色々たいね。失業保険はハローワークで、給料未払は、労働基準局、『未払い立て替え制度』はどこに聞きゃええと?」「きちんと法律上の手続きを踏まえて「倒産」した場合は、裁判所に行けばええけど、『事実上の倒産』って言って、法律的には会社はあるけど会社としては機能していない場合は、労働基準局に行かないかんごた。それに、未払い分全部貰えるわけじゃないし、貰える期間とか金額の制限もあるとたいね」
「なんか、面倒くさかね」
 納豆をかけたご飯を食べて、明里は言った。
「だけん、会社に請求すっとが一番早かったい。後、会社都合で退職すっと、そぎゃんお金は心配することはなくなる。まずは、手近で済ませられるならそれが良かよ。それに、内部告発のこともあるたい」
「まあ、ね……」
 正吾さんからも、市役所の係の人に作成した書類を渡した、とメールが来ていた。
 ただ、破産手続きをする以上、その資料は、明里達の身を守る手段の一つでしかない。
 市の方にしても、社会福祉法人が倒産した後は、おやつの内容よりも今後の対応の方に追われるようになるだろう。
「何で、あぎゃんことばしなはったのかな」
 不意に。
 明里は、そう呟いた。
「何ね、いきなり」
「うちの理事長。何で、児童買春なんてしなはったんだろうか。いけんってことは、わかっとらしただろうに」
 自分の娘―と言うよりは、「孫」と言っても良い年頃の娘達を相手に、彼は何を得ようとしていたのか。
 谷さんと安部さんには、「子ども達のことを考えたい」とは言ったが、不意に。
 そんな思いが、明里の中に浮かんだ。
 確かに、彼は社会福祉法人の経営者としては、突込みどころが満載だった。
 でも。
 たとえ、その手の本質があったとしても。
 望海に声をかけることに、含みがあったとしても。
「理性」は、あったはずなのだ。
「そりゃ、本人に聞かんとわからんよ」
 だけど。
 あっさりと、美里はそう言った。
「ばってん、犯罪して良かわけじゃなかけんね」
「まあね……」
 美里の言葉は、最もな内容だった。
 ただ、それでも。
 明里は苦い思いを打ち消すことはできなかった。
           ★
 そして、あっと言う間に週末である。
 本日で、歩武は退所することになる。
 退所をはっきり明言しているのは、今のところ歩武だけだが、このお盆の時期にどさくさに紛れて退所する子達もいるだろう。
 フェイドアウト、は日本人が好むやり方だ。 
 きちんと退所を告げるのは言い難いのからこそ、黙って去るのだ。 
「今回はそれを止めてくれるように、手紙には書いているけどね。利用料の支払いのこともあるし」
 出勤後、児童養護施設の窓を開けて学童に来た安部さんは、明里にそう言った。
「でも、どうなんでしょうか?実際のところ」
「まあ、する人はするし、きちんと言う人は言うでしょう。後のことは、そういう役割の人に考えてもらうしかないわね」 
 まあそうだな、と明里は思った。明里は安部さんと同じで、夏休みが終わったら退職する気でいる。
 退職届を出すことも、安部さんにきちんと相談しないといけないな、とも思っている。
 どのみち、勤めている時間を延ばしても、会社にとっても明里にとっても良いことはない。
 事務長も本格的に破産手続きを進める準備を始めたようで、園庭で水遊びをしようとした明里達に、農場の人達が、「こっちに来たらいかんで」と声をかけてきた。
 どうやら児童養護施設の、建物の修繕に取り掛かっているらしい。
 熱い最中、ペンキを塗ったり、ゆがんだとのいを金づちで叩いたりしている。
「今日の水遊びは、建物の方に行かんでね」
 明里はそう子ども達に声をかけて水遊びを始めたが、水鉄砲で遊んでいると、夢中になった子ども達は、どうしても建物の近くへと寄って行ってしまう。
「危ないがっ!」と、農場の職員が声を張り上げるので、
「みんなー、こっちで水浴びするよ」
 明里は園庭のホースを引っ張り出し、子ども達に声をかけた。
 本当は「約束守れなかったから、今日はお終いね」と言うのが正しいことはわかっているが、今日が最後になる子もいるのだ。
 最後に、楽しくない思い出は残って欲しくない。
 それに、本日は歩武も水遊びに参加していた。
「真中ちゃん、俺に水かけさせてよ」
 その歩武は、ワクワクした表情で明里にそう声をかけてきた。
「農場の人達に迷惑かけんようにね」
 しかし、そう言って歩武にホースを渡した瞬間。
 明里は、ざっばーんとホースの水をかけられた。
 歩武を見ると、「引っ掛かった~」と笑っている。
 うむ、と思った。
 スマホは学童の建物に置いて来ている。時間が来れば、谷さんとか安部さんのどちらかが知らせてくれるからだ。
 着替えは、下着まで持って来ている。
 子どもに、特に小学生男子に「最後だから」と言う感傷はない。
 そのことを自分は忘れていたな、とも思った。
「なんばしよっか!」
 明里は歩武からホースを奪い返すと、仕返しをお見舞いして、他の子ども達にも水をかけ始めた。
 もちろん、顔に直接かけないように注意はする。
「……何をしているんだ、お前達は」
 児童養護施設の園庭に面したサッシを開けて、料理長が呆れたように明里達を見ていた。
「水遊びです」
 明里は、料理長に真面目にそう答えた。
「……見りゃわかる」
「おっさん!」
 歩武は、料理長を見て嬉しそうに微笑んだ。
「おう、坊主。約束通り、持って来たぞ」
 料理長は歩武を見ると、両手に抱えた鍋を見せた。
「マジで⁉ おっさん、ありがとう!」
 満面の笑みで、歩武は料理長に言った。
「真中ちゃん、おやつ、カレーで良いよな⁉」
 そして明里にそんなことを尋ねた。何のことかわからず、明里は料理長を見た。
「坊主に頼まれたんだよ、今日のおやつにカレーを作ってくれって」
「ありがとな、おっさん!」
「じゃあな、俺は夕飯の仕込みがあるからな。米は、悪いが調達ができなかった。自分達でどうにかしろよ」
 料理長は、白いコック姿を翻して立ち去った。
 その姿は、どこか寂し気に見えた。
「歩武君、料理長にどうやって頼んだの?」
「料理長が働いている場所に父ちゃんと一緒に行って、頼んだんだ」
 つまり、直接厨房に行って、料理長に直談判した、というわけだ。
「なるほどね……」
 歩武らしいな、と思いながらも明里はあることに気付いて、愕然となった。
「歩武君、学童に戻って谷さん呼んで来てくれる? それから、水遊びはもう止めるよ」
「ええ、何で⁉」
「重大案件が発生したからよ‼」
 明里は、真剣な表情になって歩武に言った。
          ★
『一大事って、何⁉』
 通話に出た美里は、明里の開口一番「一大事なの! 協力して‼」と言う言葉に、驚いたように言った。
「カレーのご飯がなかとよ‼」
『……はあ?』
「料理長がおやつにカレーをくれたばってんが、ご飯がなかとよっ。だから、炊飯器とお米ば持って来て欲しかと」
『……ご飯なしじゃ、駄目と?』
「料理長のカレーはご飯なしだと辛かとよ! 因みにカレーうどんも、ナンを作るのも現実的じゃなかけん!」
 おやつの時間まで、後一時間半しかないのだ。
 うどん四十人分はすぐに湯がけないし、ナンも四十人分すぐには作れない。
『……お米は洗っていけば良か?』
「うん、そぎゃん!」
『でも、姉ちゃんの炊飯器って五合炊きよ? 足りると?』
「それは、もう一人の職員さんが持って来てくれるから」
 今現在、谷さんが自宅へと炊飯器とお米を取りに戻ってくれている。
 谷さんも通常は娘さんと二人暮らしだから(もう一人の娘さんは一人暮らし&旦那さんは入院中)、五合炊きの炊飯器らしい。
『足りると?二つで十合分しか炊けんばい』
 美里の言い分も、正しいと言えば正しい。
 通常のご飯よりは少な目で良いとは言え、一人半合と考えても、二十人分だ。
「ないよりましたい!」
『わかった。十合お米も持って行くわ』
 明里がそう言い切ると、美里はため息を吐きながら返事をくれた。
「ありがとう、美里」
 明里は、心の底から礼を言った。
「どうだった? 真中ちゃん」
 通話を切ると、安部さんが心配そうに声をかけてきた。
「大丈夫です」
「妹さん、車ないんでしょ? ここは、タクシーでしか来れないよ」
「あ、そうでした……」 
 タクシー代は請求されるな、と明里は思ったが、背に腹は変えられない。とりあえず、ご飯が手に入ることで、「良し」とした。
「しかし炊くとなると十合がせいぜい……」
「一合を四人で分けるしかないですね」
 心配げな安部さんに、明里はそう言った。
「真中ちゃん、カレーよ?」
 それに対して安部さんは重々しく言った。
「それで、足りると思う?」
 教員時代。
 給食でカレーが出た際の、子ども達の食べっぷりを、明里は思い出した。「早炊きで対応するしかないですけど、早炊きのお米って美味しくないんですよね」
 明里も何回か早炊き炊飯器を使っているが、芯が残っていたりするような気がするのだ。
 特にカレーは、柔らか過ぎるご飯は致命傷だ。
「まあ、仕方ないわね。おかわりは、それで対応しましょう」
「せっかくの料理長のカレーなのに……!」
 パワハラしまくった料理長のカレーではあるが、本当に美味しいのだ。「まあ、仕方がないわね」
 そんなことを話していると、
「こんにちは、姉(ねえ)……真中さんはいますか?」
 学童の戸を開けながら、美里が入って来た。
「美里、ありがとう!」
 明里は、美里に近づきながら言った。
「かつてないほどの、歓迎ぶりだわ」
 そんな明里を見て、美里は苦笑した。
「わざわざすいません」
 安部さんも美里に近寄って、頭を下げた。
「いいえ。こちらこそ、姉がいつもお世話になっております」
 そんな会話をした後、早速明里と美里はキッチンがある二階へと移動する。
「お米は炊飯器分のものは洗って来たわ。鍋用のものは、まだ洗っとらんけんね」
「鍋で炊くと?」
「炊飯器で炊くよりかは、速かとよ。ばってん、吸水させる時間はいるけんね。後、大きか鍋があると良かとばってんが」
「うちのは駄目と?」 
「小さいけんね。鍋の四分の一ぐらいの量になるのが良か」
 流しの前に立った明里は、ふむっと頷いて、シンク台の下から、学童で使っている中では一番大きめの鍋を出した。
「これはどぎゃんね?」
「三合ぐらいなら行けるわ。ガスコンロ持って来たけん、こっちで三合ば炊くけん。そっちのIHで、一合分は炊けそうたいね」
「んじゃ、先に炊飯器のばセットしとかなん。予約タイマーばしとけば、忘れんだろ」
 そうやって、準備をしながら手順を確認していると、ふと気が付くと、たくさんの視線が向けられていることに気付いた。
「……真中ちゃん、何語話しているの?」
 望海が呆れたような表情でそう聞いてきた。
「何でご飯炊くの?」
 この問いかけは、真由である。
「今日のおやつ、カレーなんだよな!」
 そうして。
 無邪気さゆえに、いたらんことを言ってくれるのが、壮馬なのだ。
 そう言えば、壮馬は水遊びに参加していた。
 料理長とのやり取りも、見ていたに違いない。
「カレー⁉」
 とたんに、子ども達の声が、狂気に近い喜びのものに変わる。
「おやつに出すから!」
 子ども達が何か言い出す前に、すばーんと、明里はそう宣言した。
 これを言い出さないと、「えー食べたいっ!」が収まらないのだ。
「三時になったら出すから」
  炊飯器のプラグをコンセントに繋ぎながら、明里は言った。
「えーやだ、今食べる、今‼」
 だが、待てぬ者達は、後一時間半など待てるか、と言うがごとくそう叫ぶ。
「……すごいわね、ご飯なしのカレーを食べられるなんて」
 と、その時だった。
 お米を洗う作業をしていた美里が、ポツリと言った。
 誰、これ?という視線が美里に集まったが、美里は米を研ぎながら言葉を続けた。
「これは、『ご飯に合うように作られたカレ―』なのに。炊きたてのご飯にかけて食べるのが、一番美味しいのに!」
「え、でも給食の時にご飯なしで食べる時もあるから、大丈夫だよ」
「それは、おかわりの時でしょ?一番美味しいのを食べているからよ。今日は、その『一番美味しい』物は食べないで良いのね?」
 その瞬間。
 待てぬ者は、敗者になった。
「真中ちゃん、おかわりあるの?」
「今食べるんなら、ないわね」
 敗者になった男子は、すがるように明里に尋ねるが、明里はきっぱりと言い切った。
「真中ちゃんのケチっ」
「やかましいわっ!」
「姉ちゃん、どこでガスコンロ使う?」
 明里が子どもとどつきあい漫才をしていると、美里が冷静にそう聞いてきた。
「おやつに使っているテーブルでやろうと思っとったばってん……」
「無理ばい」
「そぎゃんね……」
 ため息を吐きながら、明里は頷いた。
 これだけ子ども達のテンションが上がっているならば、ガスコンロは使わない方が良い。
「んじゃ、そぎゃんするように用意するけん」
 そう言って、美里はお米をIHで炊く準備を始めた。
「何か……真中ちゃんの妹って、真中ちゃんの妹」
 その姿を見ながら、望海が、何故か感慨ぶかけにそう言った。
「何、それ」
 当たり前のことを言っている望海がイマイチわからず、明里はこれまた突っ込んだ。
「カレ―食べたい~~~」
 とあきらめきれない男子達が叫んでいるが、それを綺麗に無視して、明里と美里は米を炊く準備を進めた。
「姉ちゃん、テーブル出せると?」

「ああ、出せるよ」
 明里は美里の言葉に頷くと、子ども達に声をかけて、壁に立てかけてあったテーブルを一つ降ろした。
 明里がアルコールで消毒すると、美里は持って来たビニール袋から、プレーンヨーグルトと砂糖を出して来た。

「なんば作るとね」

「ラッシーよ。カレーに合う、インドの飲み物。姉ちゃんが昔、作ってくれたたい」
 美里の言葉に。
 明里は、ふと子どもの頃、一度だけそれを作ったことがあったのを思い出した。
 母が、あまりプレーンヨーグルトを使わない人だったせいもあって、作ったのは後にも先にもその一度きりだった。
「お母さんがおらんでさ、私が『ジュースが飲みたい』って言ってたけん、その時姉ちゃんが冷蔵庫にあったプレーンヨーグルトで作ってくれたんよ」「そぎゃんだったけ?」
 作ったのは薄っすらと覚えているが、どうして作ったのかまでは忘れている。
 美里がプレーンヨーグルトをボウルに入れていると、
「何しているの?」
 と、今度は由紀と麻衣が近づいて来て、美里に尋ねた。
「ラッシーって言う、インドの飲み物よ」
「私達も手伝っていい?」
 物珍しい飲み物の名前に、珍しく麻衣が興味津々で尋ねてくる。
「いいわよ」
 それに、美里は笑顔で頷いた。
「あ、俺も手伝う!」
 さっきまで寝転んで「カレーが食べたい!」と叫んでいた男子の一人が、起き上がりながら言った。
「あ、俺もやる!」
 その声を聞いた他の低学年男子が、美里の持っているボウルに手を伸ばそうとする。
「その前に、手を洗って来い‼」
 その手が届く前に、叫ぶ明里だった。
 そうして。
 その時、皆でおやつにカレーを食べたことが、実質的なお別れパーティーみたいなものになった。
           ★★★
「今日は、機嫌が良いのね」
 帰りの車の中で。母が、運転しながら自分に言った。
「うん。楽しかったから」
 後ろの座席に座った望海は、母の言葉に頷く。
「何か、すごく部屋がカレー臭かったんだけど」
「おやつが、カレーだったのよ」
 そう言って、自分は小さく笑った。
 今思い出しても、「楽しい」と思う。
 いつも口うるさい職員とそっくりな「妹」と言う人が来て、口うるさい職員と、自分や他の子達ではよくわからない言葉を交わしながら、瞬く間にご飯を炊く準備をしたり、「ラッシー」という飲み物を、「手伝いたい」と言っている子達と一緒になって、作り上げていた。
 それから、一年生だけには優しいおばちゃんパーマの職員が炊飯器を持って来てくれて、口うるさい職員は、それを受けてるや否や、炊飯器にお米を入れて、すごいスピードでご飯のスイッチを入れた。
 その一方で、仏のようにいつも笑っている職員が、『ほら、御飯が炊けるまでは時間があるから、下で遊んで待ってなさい』と声をかけたけど、誰一人として、下に行こうとはしなかった。
『下に行って、遊んで来ても良いんだよ?』
 と、口うるさい職員も言っていたけど、低学年の男子達は、炊飯器の前に正座して、ご飯が炊けるのを見ていた。
 だから。
 ご飯が炊けた時は、みんな大騒ぎで、まるでお祭りのようだった。
 歩武が料理を作ってくれる人に頼んで作ってもらったというカレーは、本当に美味しかった。
「ねえ、お母さん」
 自分は、運転する母に、話しかけた。
「私、あの学童が無くなった後は、やっぱり家で過ごしたい」
「他の学童や塾に行く気はないのね?」
「うん。それよりも料理を覚えて、夕飯を作れるようになりたいの」
 母のどこか諦めたような口調に、そう言葉を返す。
「夕飯? あなたが?」
「うん」
 今日のカレーの準備をしている時、口うるさい職員と、その妹さんは、話をしながら手早くお米を洗って、炊飯器以外でも、電子レンジやIHと鍋を使ってご飯を炊いていた。
 その一方で、口うるさい職員とパンチパーマの職員と仏のような職員は、自分達に声をかけていた。
 口うるさい職員はつまみ食いをしようとする子達を止め、おばちゃんパーマの職員は、「待っている間は、折り紙でもしようか」と折り紙を始め、仏のような職員は、「順番を守るよ」と、料理をしようとする子達の交通整理をしていた。
 ……それは、「当たり前」だと思っていた風景だった。
 当然のように、毎日あって。
 変わりなく、続いて行くものだと思っていた。
 だから。
 「嫌だ」と思ったのだ。
 学校の友人達は、当然のように皆で話しながら学校から家へと帰って行くのに、自分は「面白くない」この場所に行かなきゃいけない。
 昔は、楽しかった。
 一緒にこの学童に行く友達もいたし、同じ学年の子達もいた。
 だけど、学年が上がっていくうちに、だんだん通ってくる子が少なくなって。
 最高学年の六年生になった時は、誰一人とて同じ学年の子はいなかった。
 「通いたくない。学童を辞めたい」と母に伝えても、「それは、困るわ」と言われて、お終いにされてしまう。
 何が、「困る」のか。
 それすらも、母ははっきりとは言わず、しかし母が「困るわ」と言われれば、それ以上のことは言えなくなってしまった。
 母は、自分にとって唯一の「家族」だ。
 その「家族」が「困る」と言えば、何も言えなくなってしまう。
『あなたのところは、お母さんしかいないからね。何かあったら、助けてあげるんだよ』
 そんなことは、言われなくてもわかってはいるつもりだった。
 だけど。
 学校の友達が当然のことのように許されることが。
 母親が、看護師で帰って来る時間が遅いからだとか。
 離婚して、父親がいないからだとか。
 自分ではどうしようもない理由で、「許されない」事実には、どうしようもない理不尽さを感じていた。
 そんなどうしようもない思いを、吐き出せるのは、「学童」しかなかった。
 職員達は、自分が学童のことに文句を言っても、何も言わなかった。
 口うるさい職員ですら、聞き流してくれていた。
 その時は、「何もわかってくれない!」と思っていたけれど。
 ある時、ふと気が付いたのだ。
 自分が「当たり前」と思っていたものは、実は、学童の職員達がすごく頑張って作り上げていたものだ、と。
 母の日のプレゼントの話をしていた時も、いつも口うるさい職員がすごく悩んでいたし、おやつだって、どうにか自分達が喜ぶ物に変えられないかすごく考えていた。
 それに。
 いつも自分に声をかけてくる「理事長」を、「気持ち悪い」と言った時は、窘められたけれど、その後は、自分が外に出る時は、必ず職員が傍にいてくれた。
 気持ちの悪い理事長が声をかけてきても、職員達が自分の代わりに返事をしてくれていた。
 そして、今。
 自分が「当たり前」だと思っていた学童(もの)は、なくなる。
「母さんは、心配なのよ。あなたも、わかっているでしょ? あそこの理事長さんは、『児童買春』の容疑で逮捕されたの。世の中には、そんなことをしてしまう大人がいるのよ」
「わかっている。だから、家で過ごしたいの。どうせ中学生になったら、部活動があるし、少しでも自分でやっていける『力』を付けたいの」
『じゃあ、とりあえず、お母さんが残り半年、学童に預けなくても大丈夫、と思ってくれるようにしてごらん』
 口うるさい職員が言っていた言葉を思い出す。
 母が自分の心配をしてくれているのは、わかっているし十分理解できている。
 でも、自分は、母の用意する狭い「場所」は、要らないのだ。
『ただ、歩武君のお母さんは、歩武君のことが心配なんだよ。『もうこの子は大丈夫』って思えるようになるには、まだ少し時間が必要なのかもしれない。それに、行きたい塾を歩武君が選んでもいいんだよ』
 だから。
 新しい「場所」は、自分で作り出そうと思った。
 母に心配をかけないで、やっていく自分になるために、自分のできことをやろう、と思った。
 とりあえず、母が一番助かることをして、その糸口を作るつもりだった。
 自分は、「与えて」もらってばかりだった。
 だけど。
 それだけじゃあ、もう満足できないから。
 自分で、「作り出す」ことをしてみよう、と思った。
 うん、と。
 両手を握りしめ、自分は運転する母の姿を前のガラス越しに見ながら、残りの学童の日々を楽しく過ごそう、と決めた。
          ★★★
 料理長のカレーは、やっぱり美味しかったな、と目の前の風景を見ながら明里は思った。
 二か月後の今。
 学童や児童養護施設、そして平八郎理事長の自宅は、すべて撤去されてしまっていた。
 明里の目の前にあるのは、何もない更地だった。
 あれから。
 学童に来る子ども達の数は、減って行った。
 会社が破産手続きを申請したことを、他の事業所や学校の学童にも、市役所を通して連絡が行ったらしい。
 夏休み明けから学校の学童に入れるようになった子、歩武のようにこの機会に塾に行くようにした子、夏休みの途中からでも他の事業所の学童になった子など、子ども達の次の行き先は瞬く間に決まって行った。
 十二年他の学童で働いていた安部さん、幼稚園教諭だった経験のある谷さんの根回しの効果も、少なからずあったようだった。
 望海は、どうやら家で過ごすことになったらしい。
 そうして、夏休みの最後の週まで利用したのは、望海を中心とした、十数名だけだった。
 その子達とは、思いっきり残りの日数を過ごした。
 水を沢山使って泥遊びをしたり、お昼ご飯を作ったり、皆で工作を協力して作り上げたりもした。
 最後の日は、皆でホットケーキを焼いて、生クリームでデコレーションをして食べた。
 子ども達の保護者も帰る前に、「今までありがとうございました」と言って、明里達に小さな花束やプレゼントをくれた。
 歩武の母親からもお礼とお詫びの手紙が来ていて、「先生方が歩武に言ってくださった言葉は、私の心にも響きました」と書いてあった。
 そして、明里達も、八月の三十一日を持って、「解雇」となった。
 谷さんは、最後まで続けたいとも思っていたようだけど、そんな余裕はどこにもないようだった。
 児童の方が営業を停止したら、今度は老人の方も今年の年末までには利用者の行き先を決めて、完全に閉所にするらしい。そんな話を、安部さんや谷さん、そして南さんと一緒に「お別れ会」をした時に、皆で話した。
 けれど最後は、「皆で一緒に働けて楽しかったね」という言葉でお別れを言うことができた。
 でもこの時は、まだ「学童が無くなる」という実感はなかった。
 事務長が児童養護施設の修繕をしていたのは、少しでも施設その他の資産価値を上げるためだったから、建物ごと売却されると思っていたのだ。
「まあ、希望的観測だったもんね」 
 明里は、目の前の風景を見ながら呟いた。
 もうここには、明里達がいた学童はないのだ。
 皆で使っていたおもちゃや本も、一円でもお金になるものは、売りに出されたらしい。
 本当に終わったんだな、と明里は思った。明里も、今日この街を旅立つ。美里と一緒に、東京に行くことにしたのだ。
 退職した直後は、ハローワークに行って退職後の手続きをしたり、給料を支払ってくれるように会社に交渉したりして、大変だった。
 結局七月と八月のお給料は、「未払い立て替え制度」を使うことになりそうだった。
 次の職探しもしていたけれど、美里が、
『姉ちゃん、東京に行かん?』
 と、言い出したのだ。
 あまりと言えばあまりの突拍子さに、明里は、『はっ?』となった。
『東京でさ、子ども相手の料理教室開きたいなって思っているんだけど、そこに学童も併設したらどうかなって思ってね』
 『は?』となったままの明里を前にして、美里は言葉を続けた。 
『本気ね⁉』
『うん。姉ちゃんの学童行ってさ、子ども達と一緒に調理していたのが楽しくてね。もちろん、今すぐにと言うわけにはいかんけど、まあ、姉ちゃんさ、情は深かばってん、自分のやり方を口出されるのは好かんでしょ。だけん、真面目にやっとるばってん、評価されんとよ。でも私は姉ちゃんがやっとることが間違っとるとは思えんと』
 その言葉に。
 明里は、少しだけ引っかかった。
 意識はしていなかったが、自分は平八郎理事長と同じようにしていたのかもしれない。 
『ああ、姉ちゃんが考えている意味で言ったんじゃなかよ。まあ、そう言うところもあるばってん、大人だけん、自分で制御すっでしょ。そうじゃなくて、姉ちゃんが『当たり前』と思っとることが、他の人には違うとよ』 
 しかし、美里が続けた言葉は、さらに明里を「はい?」にさせた。 
『この間、和孝来た時、姉ちゃんは和孝ば「和孝」として向き合ったでしょう?』
『和孝君は、和孝君たい』
 向き合うも何も、明里にとって、和孝は和孝だ。
 それ以下でもそれ以上でもない。
『うん。だけど、それがなかなか難しいとよ』
 明里には美里の言うことの方が難しかった。
『姉ちゃんは、相手が子どもでも自分と対等に接するとよ。姉ちゃんと一緒に働いていた人達は、姉ちゃんのそんな良さをわかっとらしたばってん、あの環境で働いとらしたからかもしれんしね』
『ごめん、美里の言うことが、よくわからん』
『まあ、簡単に言うと、姉ちゃんの力、発揮できる職場、作ろうって話しよ』
『あんた、簡単に言うばってん、』
『うん。でも、やろうよ』
 明里の言葉を聞かず、美里は言った。
 その言葉には、迷いがなかった。
 そんな美里に気圧されたわけではないけれど、明里はやってみようか、と思ったのだ。
 教員の道を諦めた時も、こんな感じだった。
 哀しい気持ちは、確かにあった。
 けれど、どこかにワクワクした気持ちもあったのだ。
 明里は、もう一度学童があった場所を見た。
 今はもう何もないそこは、次に来た時には違う風景が広がっているのだろう。
 でもここに来ることは、ない。 
 もうこの場所は、明里にとって、「過去」になってしまったのだ。
 きっと、退職してしまった彼女達も、そうなのかもしれない。
 あれから、松浦さんから連絡がないのは、その証拠だと明里は思いたかった。
「何であなたがいるの⁉」
 そろそろ戻ろうか、と明里がかつての学童に背を向けた時、不意に尖った声が聞こえて来た。
 声のした方を振り向くと、そこには康子さんが立っていた。
「あなたのせいでこんなことになったのに」  
 鬼の形相、と言う言葉がピッタリの表情で、康子さんは言った。
 でも明里は、「今さら?」と言う感じだった。
 ここは、明里にとっては、もう過去だ。
 ただ、聞きたいことはあった。
「もし、望み通りにしたとして、そちらは何らかの対価を私にくださるんですか?」
 明里の問いかけに、康子さんはえ?と言う表情になった。
「私のその後の人生、どう保障してくれるつもりでした?」
 その明里の問いかけに、康子さんが何か言おうとした瞬間。
 パアンと軽いクラクションの音がして、
「姉ちゃん!」
 明里達から少し先のところに、車に乗った美里がいた。
「もう行くよ」
「わかった」
 車の窓からそう呼ばれて、明里は頷いた。
 そうして、車の方へと走り出す。
「何話しとったと」 
 バックミラーに映る康子さんを見て、美里は言った。
「別に」
 もう、彼女と会うこともない。
 ただ、これで終わりと言うのは、明里の本意ではない。
「ねえ、美里。私、昼にカレーが食べたいと。カレー屋に行ってくれんね」
「まあ、良かばってん、何で?」 
「ここの思い出のエンディングは、『料理長のカレーは、美味しかった』と思いたかと」
 そう思うために、明里は出発前にここに来たのだ。
 「いろいろあったけど、楽しかった」そう思いたかった。
「姉ちゃんは、やっぱり情が深か」
 車の運転をしながら、美里は笑った。
「ばってん、泣くのは今は止めてよ。カレー屋に入れんけん、入った後に、辛かカレーば食べたからにして」
 これから、明里は美里と一緒に学童を作る。
 あまりにも違う妹とやって行けるのか、不安がないと言えば嘘になる。
 けれど、今は前に進む。
 あの学童で過ごした日々を、これからも生かすために。
 そう思いながら、明里はぐっとお腹に力を入れると、前を向いた。


参考文献

ヤバい会社の餌食にならないための労働法(今野晴貴著 幻冬舎)

労災補償・労災認定・労災保険法・公務災害 (働く者の労働安全衛生入門シリーズ)

(かもがわ出版)

内部告発の時代 (平凡社新書813) (深町 隆山口 義正 著 平凡社)


参考ホームページ

簡単手打ちうどんの作り方(https://cookpad.com/recipe/2142762)

HMで簡単!干し柿のパウンドケーキ♡(https://cookpad.com/recipe/4239744)

炊飯器で干し柿ケーキ(https://cookpad.com/recipe/3964588)

トルコのライスプディング(https://cookpad.com/recipe/3395583)

もっちり!ライスプリン(http://www.f-ricecenter.com/recipe/other/178)

弁護士法人 泉総合法律事務所(https://izumi-legal.com/)

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