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憂鬱な放課後の幸福な食卓~学童保育の事件簿~6 炊飯器でおでん

 常識とは、十八歳までに身につけた偏見のコレクションのことをいう
―アインシュタイン

 常識というやつは、さほど常識的なものではない。―ヴォルテール
 
 夏のおでんほど、腹立だしいものはない。
 待ち合わせのコンビニで、コーヒーを買うためにレジに並んでいた康子は、レジ横に置かれたおでんのコーナーに、目を細めた。
 今はもう六月で夏に向かっている時期なのに、この店ではまだおでんを置いているのだ。
「ホットコーヒー、一つ」
「Sサイズですか?」
「当たり前です」
 当たり前のことを聞くな、と思いながらもレジの店員の言葉に頷くと、若い店員は、驚いた表情になった。
 湿気でムシムシしているこの気候で、ホットコーヒーをLやMで飲む人間などそう滅多にいない。
 店員であれば、それぐらいは察して当然なはずだが、それができない。
 本当に最近の若い人達は気が利かないと思いながらも、それは口に出さなかった。
 約束の時刻までは、まだ間があったから、イートンコーナーに、買ったばかりのコーヒーを片手に移動する。
 外は、雨だった。
 学童を閉めてから来る、と待ち合わせの相手は言っていた。
 学生時代の同級生だから、外部の人間に会う時のような気負いはない。
 今まで働いたことがなかったから、「外部」の人間との接触は一番疲労が大きかった。
 今年、年明けと共に、故郷であるこの街に帰って来た。
 本来ならば、夫の亡き後も、まだ東京にいる予定だったのだ。
 結婚後、ずっと住んで来た都会(まち)だから、それなりに地域との繋がりもあったし、何の不満もなかった。
 だけど。
 去年のお盆に。
 娘を連れて、帰省した時に、母に言われたのだ。
『あなた、これからどうするの?』と。
『どうするも何も……とりあえずは、生活はできているし』
 自分は、そう答えた。
 贅沢はできないけれど、夫はそれなりの財産は残してくれた。
 巷に言われているような、定年を過ぎても働く必要はなく、贅沢さえしなければ、十分やっていけそうな気はしていた。
『そうじゃなくて。志保子(しほこ)のことよ』
 だが、母は娘の名を口にした。
 母が、孫である娘の名を口にすることは、滅多にない。
 「障碍者」の「孫」など認めたくない、とでも言うように、娘のことは目に入れないようにしていた。
 あの時も、娘は自分達と同じ空間にいたけれど、母は自分だけを見ていた。
『今は良いけれど、あなたが死んだ後、志保子はどうなるの』
『どうって……最終的には、施設にお世話になるはずよ』
『「なるはずよ」なの? 明日、あなたが死んだらどうするつもり?』
 自分の言葉尻を捉え、母は言った。
『何が言いたいの?』
 苛立ちを感じながら、自分は母に問うた。
『作業所をね、作ろうと思うのよ』
 だが。
 母は意外なことを言った。
『志保子のような子のためのね。今は、就労支援って言うのかしら。それを新しく作ろうと思うのよ』
 それは、本当に思ってもいなかった言葉だった。
 今まで、自分の娘には見向きもしなかった母が、そんなことを口にするとは、思いもしなかった。
『まあ、新しい資金集めでしょうね』
 だから。
 母の真意が何なのかを知りたくて、姉に相談してみた。
 父の死後、実家とは距離を置いている姉はあっさりとそういった。
『正直、そちらの法人は大赤字なのよ。老人介護の方は、利用者が激減しているらしいし、似たような施設が次々と建ち始めているし、借金も増え続けているみたいね』
『そんなに上手く回ってないの?』
『平八郎が、「よけいな」事業を次々としているから』
 姉の言葉に、苦い感情(もの)が宿る。
『父さんが亡くなった時、私は児童養護施設だけの経営に留めていなさい、と言ったけど
……』
 兄が展開した事業は、老人介護の他にも、農場経営や飲食店経営などがある。
 だが、どれも中途半端だった。
 最初の頃は投資もかなりするけれど、結局上手く行かず、他の人間に丸投げしている。
 ようするに兄には意欲とプライドはあるけれど、能力がないのだ。
 母もそれがわかっていながら、次を止めることはできない。
『関わることは、勧めないわ。結局、母さんは平八郎の味方に付くしね』
 姉と兄の間に、双子の男女を死産した母は、そのせいなのか、次に生まれた兄には、本当に甘かった。
 まるで、二人に対する贖罪のように。
 それが、兄にとって良かったのか、悪かったのか。
 ……良かったのならば、兄はあんな酒樽のように太りはしないだろうし、とうの昔に結婚もしていただろう。
 今、時々兄は思い出したように海外に行っているが、その目的は、「観光」だけではないことは、薄々察している。
 実の妹から見ても、兄は外見も、そして気質も、好ましいものではない。女性が嫌悪感を持つ要素を、多分に持ち合わせている。
「お金」を払って関係を保つ場所でしか、女性と「関係」を築けないのだ。
 このままで行けば、近い将来、確実に会社は破綻するだろう。
 それがわかってはいるけれど、母は兄を止めることもできないから、近しい存在に助けを求めるのだ。
 けれど。
 父の死後、姉は母の求めに応じて、兄を諫めようとして。
 結局、それは上手くいかなくて、姉と兄は決別した。
 その時に母は、迷うことなく兄の味方をしたのだ。その時点で姉は実家を見限った。
 父は、姉を後継ぎに、と考えていたふしもあったけれど、おそらく、以前から姉は思うところがあったのだろう。
 だからこそ看護大に行き、看護師としての自分の人生を歩むことを選んのだ。
 母の助けを求める声に応えて、事業を手伝ったとしても。
 そう遠くない将来、自分と兄は対立するだろう。
 その時は、母は迷いなく兄を選ぶに違いない。
 だけど。
 自分のやっていることを、母が認めてくれたのならば。
 ……そんな考えが浮かんで、止められなくなった。
 ……一番の目的は、娘のために事業所を作ることだ。
 それが、最終目的であることは間違いない。
 母にとっては「見えない孫」であっても、自分にとっては、可愛い娘の将来は、心配だった。
 できることなら、自由に伸び伸びとした人生を送って欲しい。
 そのためには、「経営者の娘」と言う立場は、何よりも強い条件(もの)になる。
 もちろん、上手く行かないことも織り込み済みだ。
 東京の自宅を手放さなかったのは、上手く行かなかった時のことを、考えてだ。
 でも、実家に戻って。
 とりあえず、養護施設のスタッフになって驚いたのは、何一つ真っ当に仕事がこなされていないってことだった。
 行われなければならない職員会議やケース会議は行われず、掃除も十分にされず、子ども達の一日のスケジュールもあってなきがごとしだった。
 兄に聞いても、『施設のことは、松浦に任せている』と言い放つだけで、埒があかなかった。
 あの児童養護施設は、自分の「育った場所」だった。
 今では別棟になっているけれど、自分はあの場所に預けられた子ども達と一緒に生活をして大きくなった。
 自分の育った場所が、「なくなる」という危機感は、自分が思った以上に大きな衝撃だった。
 おそらく、姉がとうの昔にクリアしたことを、今自分は感じているのだ。
 姉は、背を向けることを選んだ。
 では、自分はどうするのか。
 姉と同じ道を選ぶのも、一つの選択肢かもしれない。
 ただ、姉のように思い切るには、自分はまだどうしても引っ掛かりがあった。何故、あるべき姿に戻そうとすることが、批難されなければならないのか。
「お待たせ」
 そこまで考えた時だった。快活な声がして、自分は振り向いた。
 声をかけてきたのは、かつての同級生だった。
 今、彼女は自分が声をかけて学童の管理者をしている。
 言わば、自分の「手足」の一人として動いてくれる「同士」のはずだ。
 だけど。
「寒いわね。夏とは言え、梅雨時は冷えるわ」
 そう言って、自分の隣に座る彼女の片手には。
 おでんが入った容器があった。
          ★★★
「炊飯器でおでんね……」
「え? まずかった?」
 帰ってきた美里は、夕飯の準備をしている明里を見て、呟いた。それに対して、明里は目をぱちくりとして言葉を返す。
「今日寒かったから、おでん食べたくなって」
「いや、別におでんなのは良かとよ。さすがに真夏には遠慮したかばってんさ」
 そこで、帰ってきたばかりの美里は、一度言葉を切った。
「たださ、ビジュアル的にどぎゃんとよ」
「でも、理屈的には間違っておらんとよ? 炊飯器って、結局は電力の圧力鍋だし」
 そう。炊飯器はご飯を炊くものだが、その機能を生かせば、圧力鍋のような使い方もできるのだ。
 じゃがいもや大根などの火が通りにくい野菜と、めんつゆを三倍に薄めたつゆを入れて、スイッチを押して、その後、大根やじゃがいもに火が通ったら、ゆで卵や練り物を入れて、後はひたすら保温すれば良い。
 味が染みて、とても美味しいのだ。
「見栄えってのもあるでしょ」
「別に一人暮らしなんだけん、卓上コンロとかは使わんもん。おでんは皿に移すよ?」
 明里がそう言いながら、お皿におでんを盛り始めると、玄関口に立っていた美里は、やれやれという表情で部屋の奥へと入って来た。
 明里にとって、作る手順や方法はあまり関係ない。
 ようは、美味しい物が作れれば、それで良いのだ。
「どぎゃんだった? 自動車学校」
 なので、美里の様子にはあまり構わず、明里はそう妹に聞いた。
 今日、彼女は自動車学校に申し込みに行っていた。
「まあ、ふつーたい。来週から、授業開始」
 寝室に使っている和室で着替えをしているらしい美里は、明里の問いかけにそう答えた。
「そっかあ」
 器に盛りつけたおでんを食卓に運びながら、明里は頷く。
 そうして、どうしよっかなと思ったことを言ってみることにした。
「ねえ、美里。あんた、当分家(うち)にいるよね?」
 美里がこのアパートに来てから、一か月近くが経とうとしている。
「……いけんの?」
 着替えて和室から出てきた美里は、どことなく硬い表情をしていた。
「んにゃ、当分いるんならさ、不動屋さんに同居人の届けを出さないかんでしょ。後、生活費ば少し出して欲しかとよ。『いらんよ』と言ってあげたいばってん、薄給の身だけね」
「五万円でよか?」
 テーブルにおでんが入った器を置いていると、後を追って来た美里は、いつもの表情に戻っていて、そう言ってくれた。
「助かるわ。金曜日が給料日だったんだけど、給料入ってなくてね」
 とりあえず、今日は休みだったので、銀行のATMに残高を確認しに行って来たが、口座に給料は振り込まれていなかった。
「ちょっと、どういうこと⁉」
 けれど。
 明里の言葉を聞いた途端、美里は顔色を変えて明里を見た。
「給料が遅れるとよ」
「遅れるって、何で遅れるとよ⁉」
「金がないとじゃなか?」
 明里としてはもう「当たり前」として対応していることを、美里は絶句して聞いていた。
「……姉ちゃん、そんな簡単に言わんとよ」
 そして、美里は重々しく言った。
「給料が給料日に出んて、よほどのことよ?何で文句言わんとよ」
「まあ、出るけんね。遅れるばってん」
 出ないならば、明里も黙っている気はない。
「何でなんも言わんのよ。労働基準監督署でも行けば良かたい!」
 美里はプラスチックの三段収納ボックスからお茶碗を出しながら言葉を続けた。
「言ったら、辞めないかんごつなる」
 美里の言うことは、もっともだった。
 給料が遅れている、という時点で、本当は労働基準監督署に通告するべきなのだ。
「……姉ちゃんは、何ばしたかとね」
 明里の返事を聞いて、美里はご飯を入れた茶碗を、夕食のセッティングされたこたつのテーブルへと持ってきてくれながら言った。
 ちなみに、当然のことだが、冬と同じようには使わず普通のテーブルとして使っている。
「子ども達の活動がちゃんとできるようになりたかね。おやつも、ちゃんとしたか」
 それは、明里がずっと今の学童で働き始めた頃から思っていたことだ。
 給料が遅れていることより、そちらの方が明里的には重要問題だった。
 そうして。
「茹ですぎたうどんは、食べたくなか」
「何ね、それは」
「食堂におらす、料理長がわざと出さすとよ」
「何ねそれは⁉」
 同じ言葉なのに、二回目のそれはかなり怒りが含まれていた。
「だから、今はお弁当でしょ」
 手を振りながら明里はそう言って、食べようと美里を誘った。
 美里はため息を付くと、茶碗を明里に手渡して、自分も席に座った。
「姉ちゃんは、どぎゃんしようと思っとと」
 そして、そんな風に聞いてくる。
「とりあえず、おやつの記録ば取ろうとは思って、写真ば撮っとるよ」
 そう。
 明里は、五月の母の日の前にあったチョコチップマフィンの一大決心の後、とにかくおやつの写真は撮るようにしていた。
「それば、どこに持っていくと?」
「どこにって……市役所?」
「だったら体裁ば整えんと」
「体裁?」
「要するに、役所に届ける用に文書ば作成するとよ。そのまま写真だけだと、見てももらえんよ」
「ああ。そうね、そうたいね」
 それはそうだったと、おでんの大根を箸で摘まみながら、明里は頷いた。
「何ね、何か経験あるごた口調ね」
「前の仕事の時に、ちょっと調べたとよ。あの時は、パワハラだったけどね」
 正確には。明里がその記録を取ろうと思ったのは、自分のためじゃなくて、当時臨時で行っていた小学校の、職員のためだった。
 でも、明里が行動を移す前に、彼女の姿は職員室から消えていた。
 後で、退職したと誰ともなく伝え聞いた。ずっと教員を目指して来ていたけれど、「もう辞めよう」と思った、直接のきっかけとなった出来事だった。
「何回も聞くけど、姉ちゃんの願いは何ね」
「さっきも言ったたい」
「うん。子ども達の活動費がちゃんと出て、パワハラがなくなって欲しくて、給料がきちんと給料日に出て欲しいだよね」
「そぎゃんたい」
「そんなかで、一番叶えたい願い(もの)は?」
「美里?」
 明里は、美里の言いたいことがわからず、問いかけるように名前を呼んだ。
「姉ちゃんの言うことは、全部真っ当たい。でも今の会社に全部を求めるのは、無理たい」
 そんな明里に、ごもっともな言葉を、美里は返して来る。
「そんなかで、姉ちゃんが会社をクビになっても叶えたい願い(もの)は何ね?」
「……美里」
 けれど。
 次の瞬間に出た言葉は、思っている以上に、厳しい内容(もの)だった。
「多分、姉ちゃんが考えている以上に、状況は良くなかよ。クビにする機会を伺っとるよ。それに、給料すらちゃんと出さない会社に、いつまでもすがっといても意味なかたい」
 それは、明里が考えなければいけないと思いながらも、目を逸らそうとしていたことだ。
「姉ちゃんがクビになるのが先か、それとも会社が消えるのが先か。時間の問題ばい。だからこそ、大切なんじゃなかと? 『何が望みなのか』」
「それ、自分の実感から来とると?」
 その厳しさは、美里の実感から来ているような気がした。
 だから。
 明里は、今まで聞けなかったことを、思い切って聞いてみた。
「うん、そぎゃんたい」
 夫も、子どももいるはずの妹は、明里の問いかけに、迷いなく頷いた。
「私は、私でいたいと思ったの。だから、他は要らないって決めたの」
           ★
「どうしたの? 真中ちゃん」
 お昼ご飯の時、考え込んでいた明里は、安部さんに声をかけられて、はっとなった。
「おでん熱かった?」
 本日の明里のお弁当は、昨日作ったおでんの残りだった。
 それを電子レンジで温めてくれたのは、安部さんだった。(その間、明里はトイレの掃除をしていた)
「あ、いえ。そんなことはないです。ただ、ちょっと考えごとをしちゃっていて」
「妹さんのこと?」
 安部さんには美里のことを話していたから、すぐに思い当たったようだった。
「はい……」
 そんな安部さんに、明里はため息と同時に答えた。
「どうも、離婚するつもりで家を出たみたいなんですよ」
「あら」
「多分、あの口調じゃ子どもも置いて離婚するつもりなのかもしれません」
 それ以上のことは、明里にも聞けなかった。
 美里が、「聞いてくれるな」のオーラを出していたせいもある。
「生活費は出してくれるって?」
「あ、はい」
「なら、当分は様子を見ることね。夫婦のことは、他人にはわからないわよ。子どもだってただ可愛いだけじゃないことを、私達はよくわかっているでしょ?」
「まあ、そうですね……」
 それはそうである。
「夫婦のことはね、夫婦にしかわからないわ。たとえ身内であっても、口は出せないわ」
 人生の先輩である安部さんの言葉は、とても重いと明里は思った。
「それにね、真中ちゃん。私達も、自分の進退を考える時期に来ているわよ」
 そうして。次に、言われた言葉は。
「辞めるか、続けるか」
「安部さん……」
「昨日、呼び出されたのよ、康子さんに。何か、話があるって」
 そう言えば、康子さんと安部さんは、学生時代は同級生だったはずである。
「でね、昨日雨が降っていたせいで、寒かったじゃない。待ち合わせがコンビニだったから、ちょっと温まろうと思って、おでんの卵と大根を買ったのよ。そうしたら、康子さんそれを見て、ぶちきれちゃて」
 安部さんの話を聞いて、明里は自分のお弁当を見た。
「何でですか?」
「さあ? 『何で、夏なのにおでんを買うの、信じられないっ』って叫ばれたわ」
「夏だけど、昨日は寒かったですよね?」
 今は確かに夏なのだが、昨日は雨が降って肌寒かった。
 だから明里は炊飯器でおでんを作ったのだが、炊飯でおでんを作ったことに突っ込んでいた美里も、おでんを作ったこと自体には突っ込んでこなかった。
「問題はね、そこじゃあないのよ」
 けれど、明里の問いかけに、安部さんは首を振りながら答えた。
「あの人は、自分が『違う』と思っていることを、私がしたのが許せなかったのよ」
「はい?」
 明里には、安部さんの言葉の意味がわからなかった。夏におでんを食べようと食べまいと、それは安部さんの勝手である。いちいち許可を取る必要もない。
「そういう人なのよ」
「人は、自分の思い通りに動くって思っているってことですか?」
 明里の言葉に、安部さんは苦笑を浮かべた。
「良い意味でも悪い意味でも、『お嬢さん』なのね、彼女は」
 そうして、そんなふうに言った。
「変わっていないわ、本当に」
「じゃあ、話はできなかったわけですね」
「送迎をする職員の増員について、話す良い機会だとは思ったんだけど、ね。平八郎理事長の方が、まだ話はわかるかもしれないわ」
 なるほど、と思った。
 懸念している方向に、この学童も進み出したのだ。
「私も、息子のためにも踏ん張りたいところだけど、時間の問題だと思うの。だから、真中ちゃん。私に遠慮しないで、自分の思う通りにやりなさい」
「安部さん……」
「前にも言ったけど、私は自分の信念を曲げてまで、この職場に縋りつく気はないの。どうしようもない時は、私は去る気満々なのよ。もちろん、真中ちゃんのことも谷さんのことは同僚としても大切にしたいと思っているわ。子ども達のこともあるしね。でも、自分を『壊して』までは、働く気はないわ」
 おそらくは。
 安部さんと康子さんの間には、「学生時代」と言うものがあって。
 その「学生時代」に、何かあったのかもしれなかった。
 これもまた、「当人同士にしかわからない」ものなのかもしれない。
 ただそうは言っても。
「夏休みは、避けてくださいね」
 夏休みに退職するのは、絶対避けて欲しいと思うのも、明里の本音ではあった。
「それは、私も同じ気持ちよ」
 笑いながら、安部さんは言うのだった。

1話目はこちら
憂鬱な放課後の幸福な食卓~学童保育の事件簿~ 1 その戦いはうどんから始まった|kaku (note.com)

2話目はこちら
憂鬱な放課後の幸福な食卓~学童保育の事件簿~2 有り合わせのオープンサンド(卵乗せ) | 記事編集 | note

3話目はこちら
憂鬱な放課後の幸福な食卓~学童保育の事件簿~3戦闘前の唐揚げ|kaku (note.com)

4話目はこちら
憂鬱な放課後の幸福な食卓~学童保育の事件簿~4憂鬱なメロンコンポート&アイスクリーム添えトースト|kaku (note.com)

5話目はこちら
憂鬱な放課後の幸福な食卓~学童保育の事件簿~5 決断のチョコレートマフィン |kaku (note.com)

7話目はこちら
憂鬱な放課後の幸福な食卓~学童保育の事件簿~7 飛び込んで、ライスプリン|kaku (note.com)

8話目はこちら
憂鬱な放課後の幸福な食卓~学童保育の事件簿~5 決断のチョコレートマフィン |kaku (note.com)

9話目はこちら
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10話目はこちら
憂鬱な放課後の幸福な食卓~学童保育の事件簿~10 甘いカレーと激辛カレー ①|kaku (note.com)
憂鬱な放課後の幸福な食卓~学童保育の事件簿~10 甘いカレーと激辛カレー ②|kaku (note.com)

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