💠コラム的ではない:絆 ~ KIZUNA ~ とりとめもなく
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2023.3.21
親父の人生を考えてみたとき、それは儚いものだったなぁと思う。バブル崩壊という時代の大きな波に飲まれ、抗うこともできず、やがて全てを失ってゆく。
しかも晩年は自分の性格も災いして病院に入らなければならなくなる。それでも病院の中ではおとなしくしてくれたから最終的には介護施設で済んだのだ。そうでなければ。。。
虐待を受けたような形跡もなかったし、施設もよくやってくれたのだと思う。
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ところで、親父は施設でその膨大な時間(暇)をどうやって過ごしていたのだろう?そうか、一瞬、一瞬を忘れてしまうので、つまり、常にその瞬間でしか生きていないわけだから、暇も何もないわけだ。そして胃がんだったにも関わらず、一瞬ごとに痛みを忘れていくから、結局痛みなど全く感じることも訴えることもなかった。
また、最初は
「出してくれ」と言っていたが、それもやがて言わなくなった。
当初本人が言っていたように、やがて、あきらめるようになったのか、いずれにしても
「帰りたい」という言葉はなかった。
総じて幸せな人生だったと言えるのではないだろうか。
おかんはどうだったか?
おかんの場合は、転んだときに自分で起き上がれなくなる頃までは何とか元気だったから、まぁ、いろいろあったとは言え、幸せな人生だったと言えると思う。
ところで、親父と私の相性はどうだったか?
良くはなかったと思う。もしも他人だったら、友達になりたくないタイプだった。でも、それでも私は今でも親父が大好きだ。それが親子というものだと思う。おかんも同じく。他人だったら友達になれなかったとは言わないが、少なくとも相性はベストマッチではなかったと思う。でも私は母のことが今でも大好きだ。
娘はどうか?
娘とは相性はいいと思う。しかし、縁がないのかも知れない。ぷんが生まれたとき名前はすでに元妻が考えたものに決めていて、その名前の漢字を私が考え、それを見てもらいに寺に行ったのだが、
「名前も漢字も良い」ということだった(その寺で私の名前もいただいている)。
そのとき、お寺さんに、
「この娘は母とは縁があるが、お父さん(つまり私)とは縁がない」と言われた。
実際、私はこの後(何が何でもではないが)沖縄へ移住しようとしている。
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そうなると簡単には会えなくなる。それでなくとも少なくとも当面は会うことがないだろうが、やがて娘の気持ちが変わり、元のように戻ったとしても、そして私の気持ちも変わったとしても、いずれにしても簡単に会える距離ではない。年に1回会えればいいくらいだろう。そしてそれがそのうち3年に1回、5年、10年に1回となる。そうなると、もう、会えないのと大して変わらない。
当初はこの後は、もう住所も知らせず、LINEも不明で構わないと思っていた。
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ただ、しかし、それでも、もしも娘の気持ちが変わり、何らかで連絡をくれようとしてくれたときのために、最低限、何らかで連絡を取る手段、つまり何らかで繋がっているようにしておいてやらなければならない(例え、絆で繋がっているのだとしても。。。)と思うようになった。そう思うこころも絆のようなものかも知れない。
🐦⬛つれづれ
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