駄犬モンチーの生涯
野良犬モンチーがやってきた
僕の母校、千手(せんず)小学校は一学年三十人に満たない山懐の小さな小学校だ。山の学校ゆえ、町の小学校の遠足の目的地が我が千手小学校だったりした。
その遠足の小学生たちについてきたはいいものの、帰路がわからなくなり、そのまま千手に居着いたお馬鹿な犬、それがモンチーだ。
母が「あなたお顔がお猿さんみたいね。でもモンキーじゃかわいそうだからモンチーにしましょう」と名前をつけた。
二ヶ月くらいは野良犬として家々の残飯をもらったり、小学生から給食のパンをおすそわけしてもらったりしていた。おかしな名前をつけられたにもかかわらず母には特になついていた。ところがある日のこと、モンチーが保健所に連れ去られてしまった。当時はそこらじゅうに野良犬がいたのだが、防疫上よろしくないということだろう、二週間ほど前から一斉捕獲が始まっていて、檻をのせたトラックを何度か見かけたことがあった。
野良犬モンチー捕獲される
「あん犬さらいのオイサンな、捕まえたつを食うてしまうげなばい」※1 という、あんまりといえばあんまりな噂を聞いていた母は、つっかけを走りながら履き、家を飛び出した。「アンタも来なさい!」という金切り声を遠くに聞いた僕も母に従った。
「モンチーが食べられちゃう」と半泣きで小走りしている母に僕が「そんなわけないじゃない」と言うと母は、「そんなわけあるわよ! 赤犬はおいしいって言うもの、真っ先にお鍋にされちゃう」と、噂を完全に真に受けている。「でもモンチーは赤くないよ」と僕が言ったとたん、「バカ! 茶色い毛の犬を赤犬って言うのよ」と、僕の慰めは瞬時に砕かれた。
急ぎ足で三十分ほども歩いただろうか、人里離れた畑の中に新築の小さな家がポツンと立っていて、そこから「オウオウオウ」とか「ハヒーン」とか、犬たちが声を枯らしているのが聞こえてくる。夕暮れの牧歌的な風景の中にあって、ものすごい違和感を発している。
呼び鈴を鳴らすと、郷里筑豊によくいるタイプの極めてガラの悪いオイサンが出てきた。母の刃物のような視線に耐えられなかったのか、オイサンは目を犬の檻の方にそらし、顎をしゃくって、「どれな?」※2 と、ひとことだけ言った。
母が震える指で檻の一角を差すと、オイサンは、ばっちり墨の入った片腕でモンチーをつかみ上げ、顔をのぞき込みながら「赤犬はうまいとにな」※3 と舌打ちした。噂が真実ということもたまにはあるものだ。
あとからやってきた父の車にモンチーを乗せようとするが、乗らない。それはそうだ、モンチーにとって車に乗るということは、その後、お鍋の具になるということなのだ。以後、モンチーは車が側を通っただけで、吠えかかるようになった。しかもそのせいで何度も車にはねられ、ますます車が嫌いになっていった。
野良犬から駄犬へ
僕が小学校三年生の時にこうして我が家の一員となったモンチーは、車とガラの悪いオイサン以外には愛想よくだれにでもなついた。下校する小学生がうちに寄って「モンちゃんなでさして」なんてこともよくあった。
四年生になるころにはモンチーは立ちあがると僕の身長を超えるほどに大きくなった。千手にやってきたとき、成犬だとだれもが思っていたモンチーは、まだほんの子犬だったのだ。猿みたいな顔をした大型犬、これじゃまるでヌエだ。
山菜とりをする母といっしょに野山を駆け回っていたモンチーも僕が成人するころには十歳を過ぎて、よぼよぼになった。立ち上がると足が震えるし、耳も遠くなったようだ。元野良犬のせいか、しきりに外に出たがっていたのに、一日のほとんどを家の中で過ごすようになってきた。
さようならモンチー
ある日モンチーは、とうとう立ちあがることもできなくなった。呼吸が浅くなったモンチーを見て、母はあと数日の命だろうと彼をやさしくなでた。祖母は、お数珠でモンチーをさすりながら、「今度生まれてくるときは人間に生まれてこいよ。なむ~」と唱えている。祖父は「コラ、ばあちゃん、まだ死んじょらんぞ、そげなこつ言うもんがあるか!」※4 と、たしなめつつも、スコップで畑の隅に大きな穴を掘り始めた。
祖母は、それから毎日のようにお数珠を持ってモンチーの見舞いにやってきては、「もう今晩ぐらいがヤマやろうね。今度生まれてくるときは…」と別れを惜しんだ。
ところが、かれこれ十日を過ぎてもその「ヤマ」がやってこない。祖父が掘った畑の穴が少し埋もれてきたころには、おぼつかない足取りではあるけれど、どうにか立ち上がることができるようになってきた。どうやらその「ヤマ」とやらを越えてしまったようなのだ。
その後、五年もモンチーは生きながらえ、当時、大型犬としては長寿の十六年の命を全うした。
モンチーの墓に墓標は立てなかった。彼を埋葬してから、ほどなく、そこに一本の野草が生え、明るい黄色の花を咲かせたからだ。
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