
せっかく内定をもらったのに、僕の人生は面白そうな方向に転がり始めて・・【僕が映画を作ろうと思ってから Vol.9】
(前回のあらすじ)
もう、映画を作るのは「いつものこと」になった。
しかし、僕一人だけが楽しんでるんじゃないか、と考え始める。
そんなある日、大学の映画祭で上映されることになる。
そして、人生で初めて「別の監督さん」に出会い興奮する。
第一回はこちら
* * * *
数年前まで、たった一人で部屋の中でじめじめとコマ撮りアニメを作り続けていました。
最初は自分が息をしているのすら忘れるくらいのめり込んでいたのに、
作れば作るほど、だんだん我に返って行く。
つまり、
「こんなの撮りたい」と考えることと、実際に自分ができることの差がどうしても分かってきてしまったのです。
やがて、「誰かと撮りたい」「もっと大きなことがしたい」と夢想するようになります。
そして。
願った通り、仲間ができました。
最初は3人。
でもそこから、あっという間に映画作りに誘える人は増えて行きました。
しかも、僕自身が声をかけることもなく。
思い返すと、それまで僕が作っていたコマ撮り作品群は、お世辞にも上手といえるものではなかったと思います。
(最初は興奮していたものの、だんだん自分でも分かってきた ^^)
あまりにもくだらなくて、自分でも封印したものもあります。
それでも、数分の作品を作り続けました。
今から考えると、これがよかったと思います。
仲間が出来始めたとき、そう、きっかけが生まれたとき、
僕はすでに「映画を作っている」状態だったからです。
人と会うと、「映画を作っている」と言えます。
どんなの作ってるの?という質問にも答えられます。
どのくらい作ってるの?「5〜6本作りました」と言えます。
初めて会った人からすると、
『きちんと作っている人に映る』のです。
「いつかすごいのを作る。まだ本気出してないだけ」
と言ってる人と比べて、いかがでしょうか?
ただ、「作品を見せて」と言われてもはぐらかしていました(笑)。
でも「できることあったら呼んでほしい」と言われることも出てきました。
インターネットがまだまだ一般的でない1999年頃の話です。
人と出会う方法は、紹介ばかりでした。
しかし映画って、何百人も知り合う必要はありません。
5、6人もいれば、個人映画は作れる。
だから、紹介で一人ひとり会う程度でよいのです。
* * * *
その頃の僕は、映画だけではなく、舞台にもまだ足を突っ込んでいました。
あるところで知り合った年上の女性とともに、
僕は舞台を立ち上げることになっていました。
彼女が演出 兼 脚本で、僕がスケジュール管理や出演者のお世話など雑用をやる。
出演者は、チラシで募集して何人か見つかると同時に、僕も学生演劇仲間から興味あるという人を引っ張ってくる。
ちなみに、僕自身も出演者の一人。
演出家の彼女は「稽古の時以外は、役者と友達づきあいはしない」という強いスタンスがあって、出演者のみんなとのやりとりは僕に一任されていました。
それまで学生演劇しかかじってこなかったので、同年代の役者しか知りませんでしたが、ここで、年上の役者さんとの付き合いも始まります。
特に、主役に選ばれたFさんと仲良くなりました。
10歳くらい上でした。
都内のあっちこっちの公民館の部屋を借りながらの稽古が始まります。
稽古が終わると、Fさんと二人で飲みに行く日々。
稽古がないときは、河原でギターの練習も一緒にやりました。
舞台の中で、僕はギターを弾くシーンがありその練習にも付き合ってもらってたのです。
実は、その少し前に、僕はある企業から内定をもらっていました。
これから社会人に向けて意識を変えていく、という時期に、
僕の人生はなぜか面白そうな方向に転がり始めている。
多摩川の土手で、役者としての将来について話を聞きました。
「オリさんは将来どうしたいの?」
突然話を振られ、僕は言葉に詰まります。
内定をもらっておきながら、それほど真面目に考えていなかったのです。
Fさんは元々やり手の営業マンだった人で、社会人を10年やった頃、映画に出会ってしまった。
一発でその世界に引き込まれ、30歳を過ぎてから役者を目指したという人。
自分のやりたいことに正直に生きてきたFさんは、悩んでる僕にアドバイスをくれました。
「オリさんの中に少しでもやりたい、って気持ちがあるなら、それはやっぱり止めるべきじゃないよ。」
彼は僕に、映画作りたい?って聞きました。
僕は答えました。
「ええ。作りたいです。」
* * * *
一人で演劇団体を立ち上げるのは、やはり情熱を持った人で、
情熱の強い人というのは、どうしてもキャラが強い人でもあるわけで。
演出家の彼女も、激情派でした。
出演者とも、少しずつ衝突が起き始めていて、特にFさんともぶつかり始めていて、僕は稽古のあとの飲みで愚痴を聞かされていました。
そんなある日、僕自身が彼女と衝突することになります。
ある財団に電話して、助成金をお願いする件を頼まれていました。
初めてのことでたどたどしく電話したことを伝えた途端に、彼女はキレました。
「そんな言い方じゃお金なんてもらえるわけないじゃない!!」
まさか怒鳴られるとは思ってなかった僕はうろたえました。
「言い方が分からないから聞いたら、任せる、好きなようにやりなさい、って言ったでしょう。だから僕なりに考えて・・・」
「そんなの常識で分かるでしょ!あーもうダメだ!絶対補助なんてもらえないわよ!全部あんたのせいよ!!」
僕への非難が始まりました。
頭の右後ろの辺りがカッと熱くなる。
「僕がどんだけ一生懸命やってるか、あなたは知らないでしょう!僕がどんだけあなたに我慢してるか、分かってんですか!!」
僕は自分の怒鳴り声にびっくりしながらも、彼女をにらみつけた。
数日後、僕は彼女に個人的に呼び出されました。
そして真向かいに座った彼女は僕から目をそらしたまま言いました。
「このメンバー、解散します。あなたたちとはもうやってられません!」
トップの人間が情熱的であれば、人は集まる。
しかし、それだけでは人はまとまらない。
僕は、この事件を反面教師だと思うことにしました。
同時に、自分は絶対あんなことはしないぞ、と強く思いました。
ただ、自分が
「この女性を批判できるような人間ではない」
ということを、まもなく思い知ることになります。
* * * *
演出家の女性は、他のメンバーにも一人一人会って、解散を伝えたようでした。
そのくらいはけじめということだったのでしょう。
終わってから、僕は虚脱感に襲われていました。
スコン、という感じで目の前の大きなモノがなくなった。
喧嘩したことも、自分の労力が徒労に終わったことも、どうでもいい。
ただ、ただ、これまで一緒に稽古したり誘った仲間たちに申し訳なかったのです。
そして、もうこのメンバーで会うことはない、というのが寂しかったのです。
ずっと、全員への連絡はすべて僕がやってきました。みんなの予定を調整したのも僕だし、それぞれの参加の意気込みも聞いてきた。
・大学院に通ってるSさん。稽古にあまり来れず、その日その日の伝達事項を毎回電話しましたねー。
・年輩のNさん。舞台は初めて、というので稽古の合間に生意気にもアドバイスさせてもらいました。
・大学生のM君。半分さらうように無理矢理連れて来ちゃったなあ。
・Aちゃん。せっかくみんなの人気ものになったのに。
・そしてFさん、寒さで指が真っ赤っかになりながらギターの練習をしましたね。いろいろ勇気づけられました。
・・・申し訳ない気持ちでいっぱいになる。
ごめんなさい。
僕なりに、一人一人に義理を果たそうと、携帯電話を手にし・・・
その瞬間、そうだ、と思い付いた。
彼らは、公演があるはずだった日まで、予定を空けてるはずだ!
そして僕は、みんなのスケジュールを全部把握している。
そうだ、そうなんだ!
僕は電話をかけまくりました。
「今回のメンバーで、映画作りませんか?」
(つづく)