ただ愛していたのだ。25年間も。 (前編)
自分の人生を映画のシーンに例えると、今どこのシーンであるだろうか。
僕の場合は、エンディング後の1〜2分間の後日談だと思う。
自分がうつ病になったせいで記憶障害があるのか、辛い経験を忘れようとする自己防衛なのか、記憶が曖昧になってきたので、筆をとってみる。
3歳になる年、兄の小学校入学に合わせて、田舎町に引っ越ししてきたところから、この話は始まる。保育園に預けられた僕は、1人の女の子に出逢う。彼女は同い年で同じタイミングで入園してきた子だ。誰よりも可愛く、ツインテールがよく似合う子だった。僕は早すぎる初恋をしたようだ。親からの話では、道端の花で花冠を作り、渡していたようだ。その時から家に帰ると〇〇ちゃんがね、といった話題も増えていった。
6歳になる年、小学校に入学した。田舎の町なので、全校生徒で100人ちょっと。僕のクラスは16人だった。6年間クラス替えもなく、ずっと一緒だった。当然、彼女も一緒。彼女はクラスのマドンナになっていた。女子と遊ぶよりも外で男子を遊ぶ方が好きだった彼女はよく僕と遊んでいた。
彼女は牛乳が嫌いだった。よく、給食の牛乳を僕に渡してきた。飲み物がないのに、よく食べられるなと不思議に思ったが、牛乳が好きだった僕は喜んで受け取っていた。
彼女は頭が良かった。僕とよく、どちらがテストでいい点を取れるか競っていた。結局、漢字テストだけは全く歯が立たなかった。
彼女は正義感が強かった。運動会の応援旗を作る際、僕が水を多めに調合してしまい、乾燥中に色が垂れるという事件があった。彼女は僕に謝れといい、僕はミスを認めようとはしなかった。初めて喧嘩をし、後で彼女の姉に「逆ギレしたんだって?」と煽られ、これが逆ギレか、と言葉を知った。きちんと謝り、次の日には一緒に遊んでいた。
彼女は律儀だった。保育園の年長で初めてバレンタインデーのチョコをもらった。手作りで綺麗に包装されたチョコを、土曜日だった14日に家まで届けにきたのだ。あいにく僕は外出中で直接受け取ることができなかったが、とても嬉しかった。当時カメラを持っていたら間違いなく記録していただろう。しかし、今でもどんなチョコでどんな包装だったから覚えている。それから毎年欠かさずチョコをくれた。僕はその一年を頑張ったご褒美だと思い、毎年もらえるチョコを楽しみに過ごしていた。
彼女は他人の弱さによく気付いた。僕は当時、兄にコンプレックスを抱いていた。なんでもできて足も速く、イケメンな兄は小学校では知らない人はいない有名人だった。そして僕のクラスでも女子たちがカッコいいと話題に上げていた。そんなとき、女子たちの会話を聞いていた彼女は、僕向かって「そうかな?僕くんの方がカッコいいと思うけど?」といった。僕は衝撃を受けた。その当時何よりも欲しかった言葉を、誰よりも欲しかった人に言ってもらえたのだ。その言葉は僕の支えとなり、これからも全てのことを頑張り、兄に負けない人になろうと強く思えた。
13歳になる年、中学校に入学した。他の小学校からも生徒が集まり、一学年で100人近くになった。初めて別の小学校の女子を見て 、他に可愛い子もいるもんだと感心した。1、2年生の頃は別々のクラスになり、会話は朝夕のスクールバスのみとなった。その頃から僕は自分の気持ちが何だったのか、顧みるようになった。実は狭い世界で可愛い子に恋をしただけではないのかと。
15歳になる年、中3になり同じクラスになった。いつも同じクラスだったかのように、距離感は変わらなかった。しかし、中学最後の学園祭のこと。クラスの出し物でミュージカルをすることになった。ヒロインは抜群に歌がうまい彼女が抜擢された。主役は押し付け合いになったが、僕は手を上げることができなかった。結局別の男子になり、劇は成功した。何も知らない後輩たちは主役同士で付き合ってるんじゃないか?などと噂した。当然、事実は違うのだが、僕は満更でもない顔をしている主役の男子に腹が立った。初めての嫉妬であった。
学園祭の後、すぐに合唱祭があった。男女のソロパートがあり、またもや劇の2人を指名する空気感になった。しかし今回だけは見逃せなかった。僕は立候補し、主役をやった男子と歌のテストを行い見事にソロを勝ち取った。本番当日、2人でのソロを披露し、同小学校出身の保護者から絶賛された。僕はやっぱりこの2人でないと、と思ってくれる人がいて嬉しかった。
16歳になる年、高校生になった。別々の学校へ進学したが、連絡は取り合っていた。彼女はオタクになっていて、僕にアニメや小説、自身が好きなありとあらゆるものを薦めてきた。僕はその全てを受け止め、必死に勉強した。共通の話題を持つことが何よりも嬉しく、相手の好きなものを僕も好きになりたかった。それから何年もこのおすすめが続き、僕はとても楽しかった。
この年から、バレンタインチョコは既製品になった。少し複雑だった。
18歳になる年、初めてデートをした。共通の友人が吹奏楽部に所属しており、その卒業コンサートを開催するとのことだった。一緒に行こうと話をしたが、僕は道が分からず、事前に親に道案内をしてもらった。当日はそんなこと口にせず、頼りがいのある男を演じ、コンサート会場までの道を案内した。道中のくだらない話はとても面白く、これってデートなのかなとドキドキしていた。
19歳になる年、大学に進学した。共通の友人とともに定期的に集まっていた。一緒に買い物に行ったり、ご飯を食べるのを楽しみにしていた。その場のノリで、財布を選んでもらった。結局自分で費用は出したが、彼女からのプレゼントのような気持ちになった。とても嬉しかった。その次の回には、マフラーを選んでもらった。どちらも宝物だった。
23歳になる年、うつ病になりかけた。不眠症になり、眠れない夜に行き着いたのは死ぬことが最適解だと思っていた。そんなことを考えていた頃、いつもの飲み会で彼女に会った。話の流れでおふざけであるがラブレターを書いてくれることになった。冗談だと思っていたが、後日本当にラブレターが送られてきた。架空の人物からの手紙だが、そこには彼女しか書けない美しい文章が綴られていた。「今でも何でもできる〇〇くんのまま」と書いてあった文章により、僕は生きてていいんだと思うことができた。その時から、生涯一緒にいたいと思うようになった。
24歳になる年、初めて告白した。告白といっても、しどろもどろできちんと意図が伝わらない話し方だったと思う。いつものメンツでの飲み会の終わり、終電を見送る際、2人きりにしてもらった。改札前、人が行き交うその真ん中で、終電までの残り少ない時間と、幼馴染の壁を打ち破る恐怖と恥ずかしさによって、言葉に詰まった。それでも彼女はギリギリまで待ってくれた。やっとでは言葉が、「一緒にいたい」という言葉だけ。正直、きちんと伝わったのか苦しい言葉であった。「考えてみるね」との言葉を受け取り、終電に向かう彼女を見送る自分。もっと伝えるべき言葉があっただろうと後悔と疲れが心に押し寄せた。(2日後に別件で会うことになるのだが、どんな地獄だよと思っていた)
25歳になる年、就職した。勤務地は関西。人生で初めて関西にすむことはかなり抵抗があったが、そのとき彼女は神戸に住んでいた。そのことがかなり決め手で、関西での勤務に勇気をもらった。しかし、告白してから1年が経った。もうだめかと思い、別の恋人を作ったが、やはり彼女のことを忘れられるはずもなかった。結局、適当な理由をつけて別れ、もう一度告白しようと決心した。
27歳の年末、もう一度告白するため、また同じ轍を踏まないために、手紙を書いた。あの時彼女がしてくれたように、僕の想いがストレートに伝わるように。しかし、年末に会った時、彼女には彼氏ができていた。打ちひしがれた。用意していた手紙は、渡せないまま、僕の想いは封印することになった。その晩から40℃の高熱にうなされるようになった。ずっと仕事で無理をしていたのもあって、一気に体にきたのだ。年が明け、体調が回復してきた頃、うなされながら心に引っかかっていたのは、やはり手紙のこと。この想いをそのまま封印して良いのか、悩んでいた。結局、伝えることを諦める方が無理だと思い、手紙だけでも渡すことにした。
28歳になる年始、彼女を呼び出した。適当な理由でも会ってくれた彼女は、今まで以上に可愛く、緊張した。手紙を渡しつつ、想いを伝えた。田舎道のど真ん中で。いつから?と聞かれたので、正確には覚えていない。ずっと好きだったと答えた。初めてちゃんと口にできた好意だった。ただ、彼氏がいる手前、どうこうなりたいなどとは思っていない、ただ伝えたいだけだ、ということも話した。彼女はわかった、ありがとうと一言いい、その場を後にした。
彼女の誕生日である1月19日、いつものように0時きっかりに誕生日おめでとうメッセージを送り、その流れでだらだらと会話していた。ただ何故か日中に一緒に映画を見ようということになった。彼氏がいるのに、誕生日なのに、何故だろうと思った。しかし嬉しいことには変わりないので、当然OKして床についた。
起きて一緒に映画をみた後、雑談をした。そうすると彼女は彼氏と別れたといった。衝撃だった。そして僕の告白の返事がOKだった。わざわざ別れてからOKしてくれたことにとんでもない幸せを感じ、25年にしてようやく自分の想いが報われた瞬間だった。
それからまもなく、コロナが日本を襲った。コロナ前にデートできたのは一回だけ。そして、その時、バレンタインの本命チョコレートを初めてもらった。僕が少し照れ隠しでおどけながら、「本命?」と聞くと、「本命だよ」と一言。とても嬉しかった。長年の夢が叶ったのだ。
3月ごろ、体調を崩しはじめた。最初は異常な肩こりだった。肩が凝りすぎて、目が見えなくなったのだ。その頃から焦ると自分でも何をしているのか、分からなくなってくることが頻発してきた。崩壊の足音がすぐそこまでやってきたのだ。
前編終わり。後編に続く。