母が亡くなるということ
母は2年前に92歳で亡くなりました。
亡くなる1年前に家の中で転倒して車椅子での生活になり、父と一緒に施設での新生活をスタートさせました。
施設で過ごしたのは1年ほど。
大腿骨を骨折、リハビリ期間も含めて約1ヶ月入院しました。
退院してそのまま施設に引っ越してきた感じになります。
帰ってきてすぐ車椅子からベッドにも1人で移動出来たり、トイレにも自分で行けたりして、その姿を見て少し安心しました。
施設への面会はコロナ禍ということもあって面会室や食堂で短時間、アクリル板で囲われていて自由に話せる雰囲気ではなかったです。
高齢者の施設なので当然ですが面会できない時期もあり、そんなに頻繁に会いに行くことは出来ませんでした。
そんな中で徐々に私が気づいたこと。
母は前に比べて笑わなくなったな…
あんまり喋らなくなったな…ということ。
父に聞いたら、いつもだいたいこんなもんだよとは言ってました。
1ヶ月入院すると誰とも話さなかったり、テレビも見ない本も読まない生活でぼーっとする時間も多くなって認知症になったのかもしれないです。
前から物忘れはあったけれど明らかに様子が違いました。
高齢者が入院すると足腰も弱るけれどそれ以上に大変なのは脳の機能が低下してしまうことだとは聞いていましたが、本当にその通りでした。
いつも大きな声で笑ってよく話す人だったのに。
面会に行った翌日に母に電話をして、「昨日お母さんあんまり元気ないみたいだったけど大丈夫?」と聞くと、「そんなことないよ、ただ最近疲れちゃってね、元気ないように見えるでしょ?」と電話だと普通な感じ話すんです。
亡くなる少し前くらいは普通に話すけど表情がないというか感情が表れていないように思いました。
担当のケアマネージャーさんがとても良くしてくれる方でした。
一日おきにデイサービスに通っていたそうなんですが、は母はデイサービスが大嫌い、行きたくなくて朝出る時にとてもグズグズしていたそうです。父がいつもそう言ってました。
今日は何をやってきたのか?と聞いてもわかんない…と答えるだけだったそうです。
そんなに嫌なところに行かせないでもっとのんびりさせてあげたら良かったと父は今でも言っています。
私にとっての両親に関してのとても悲しい出来事。
実家がなくなってしまったこと。
狭いところに引っ越すので持っていくものも限られてしまい大切に使っていた食器や思い出のあるものもたくさん処分しなければいけませんでした。私の物も処分しました。
自分のことを相談できなくなってしまったこと。
母は電話をすると自分の話ばかりするようになりました。本当は聞いて欲しいことがたくさんあったけど、出来なくなってしまいました。親にしか相談できないことがあったのに。もう頼れる人はいないんだと、そのことは本当に寂しかった。
自分の子供の時の話をしてくれる人がいなくなる。小さい時ああだったよね、こうだったよねと笑いながら話せる人がいなくなる。
思い出を共有できる人がいなくなる。
もう話できないんだな…といつも思います。
お母さんの存在って本当に大きいです。
私も子供たちにそう思ってもらえるような母でいたいです。
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