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自分を苦しませて成長させるのは自分自身の価値観

この文章は2018年に
古いブログで書いたものらしいw

どんなときに書いたものだっけ?
覚えてないや。

でも、現在のわたしは、
過去の自分に激しく共感したのだった。

せっかくなので、そのままここに転記する。


自分を1番苦しませるものは、
いつも自分自身の価値観だ。

価値観とか、基準とか、
こだわりとか、正義感とか。

だけど一方では、
自分自身を成長させてくれるのも、
そういう基準やこだわりだったりする。

こだわり続けるから人は
成長することができる。

私は、小さい頃、無題に正義感が強くて、
本当に生きるのが辛かったんだろうなって
今は思う。

”こうでなければならない”があると、
自分にも人にも優しくできないというか、
気づくと他人に自分の価値観を
押し付けているし、でもそれ以上に、
自分自身にそれを押し付けてしまう。
だから、こだわりも正義感も基準とか
そんなもの持たないほうが
絶対に幸せと思った。

持たないほうが楽で幸せだけど、
でもそれもなんだか魅力を感じない。
こだわりや、自分を持っていること、
自分を貫く人、かっこよく見えるし、
憧れたりもする。

そこで、たぶんだけど、
苦しみ始めるのは、
それを相手に求めはじめるとき。

自分のあたり前が、
相手のあたり前じゃないし、
自分がおかしいと思うこと、
相手のあたり前かもしれない。

あの人がおかしい
あの人が悪い

そう思うと、
”あの人”が悪役になってしまう。

でも、”あの人”にとっては”
わたしが”悪役”かもしれない。

この世界には、本当に事実と呼べるものは
少ないかもしれない。
心のフィルターを通して見ていると、
事実と解釈の区別がしづらい。
人間の思い込む力は最強だと思う。

だけど、それが解釈であることに気づいても、
頭でわかっていても、
感情とかそういうものが
ジャマをしてしまう。
いつも理性をジャマをするのは、感情。

じゃあ、一層感情を排除してしまうほうが
いいのではないか?
そのほうが、人はわかりあえるのかもしれない。

そんな仮説を立てたこともある。

でも、もしそんな世界だったらと考えると、
わたしはその世界に生きたくないって思った。
感情は人間関係において、
スパイスみたいな、甘味みたいな、
苦味だったりするもの。

感情と理性は、光と影の関係みたいに、
お互いに依存し合って存在していると思う。
影がなければ、
光を光として認識できない。
影は人間に光を教えてくれるために
存在しているように感じる。
辛い経験や悲しい思いを経験すると、
楽しい、嬉しいをより一層ありがたく思う。

いや、辛いや悲しい思いを
一度もしてない人は、
きっと楽しいもわからないだろう。
そんな人いないだろうけど。

よく考えると、
この世界は常にバランスが
取れるようにできている。

光と影、陰と陽、太陽と月とか。

きっと理性だけで生きようとするなんて
無理だろうなと。
感情と理性はどっちも同じぐらい大事。

話を戻すと、こだわりを持つことも
持たないことも、
正義感が強くても
正義感なんかなくても、
どっちでもいいかなという
結論にたどり着いた。

本当に大切なことは、
こだわりを持つことも持たないことも、
そのすべて、自分が選んでいることを
知っているということ。

それが本当の自由。

盲目にこうでなければならないと掴むから、
苦しい。

こうでなきゃいけないではなくて、
そう思っている自分がいるだけ。

そう思うと、
人にそれを押し付けなくて済むし、
いつでもその考えを手放すことが
できるという余裕が生まれる。

自分と違う人を受け入れる器も広くなっていく。

わたしは、自分がこだわりたいことと、
そうじゃないことを
ちゃんと意識して選んでいきたいと思った。

正義感が強すぎる自分が大嫌いだったけど、
今は少し好きになった。
それがわたしらしい。
それもありだなって。

でも、人に押し付けないようにしたい。
必要ならば、
それを手放せる自分でいたいと思った。

Karo

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