【鬼滅の刃・考察編】〜自分の頭の中に眠る魘夢(えんむ)にご注意を〜
自我によって生み出した”悪夢”に気付く大切さ
人生とは心配事ばかりだ
心配事が妄想となり暴走すると悪夢になる
ただ心配事の97%は実際に起きない
つまり
ほとんどの場合は魘夢によって悪夢、すなわち”悪い妄想”を見させられていると思った方がいい
悪夢から目を覚ます方法は自分の首を斬ること
すなわち自分自身の自我を無くすことだ
自分への執着を捨てると考えた方が分かりやすいかもしれない
自分への執着を捨てると何が起きるか
悪夢から目が覚めて心配事が消えるのだ
そもそも”心配事の97%は実際に起きない”
心配事の本質とは自分の中の恐れである
自我がその恐れを増幅させて悪夢となる
自我×恐れ=悪夢
それゆえに悪夢から目を覚ますために自我を斬る必要があるのだ
自我(0)×恐れ=0
…
そもそも悪夢を見ていることに気づくためにはどうすれば良いか
それは自分をメタ認知することだ
つまり客観的に自分を見て評価する必要がある
そうすると心配事を目の前にした時に
それは自我が勝手に暴走して恐れを増幅させることで
悪夢を作り上げているだけだということに気付ける
大抵の悩みは他人から見たら大したことは無いものに見える
自分では悪夢だと感じても他人に話したら「大したことないじゃん」って言われたことはないだろうか
もしくは自分の悪夢を他人に話している途中で「あれ、なんか大したことでは無かったな」と気付くこともあるだろう
そのためにも心配事が出来たら他人に話すという習慣は大事だ
ただ他人に依存しすぎるのも自分を見失うことになるのでご注意を
人は常に自分視点で物事を判断してしまうから意識して客観的にメタ認知する癖を持つと良い
他人にすぐに話せない状況下でも脳内会議をすることでメタ認知はいつでもどこでも出来るのだ
…
ただこの自我が生み出すネガティブ・シンキング(=悪夢)というのは
自分という”種”を存続・繁栄させるための生存戦略(防衛本能)でもある
つまりデフォルトでみんなに備わっている”ヒトとしての仕様”の1つであると言えるのだ
今は平和ボケした世の中だから実感湧かないだろうが、大昔は日々サバイバルだ
常に”最悪を想定”出来なければ即死ぬ
ただ現代では即死することはまず無い
死ぬこと以外はかすり傷だという気概を持って
堂々と生きれば良い
自分の首という“自我“をいつでも斬れるようにしておくと人は強く優しくなれる
そう、炭治郎のように
…
因みに炭治郎の場合は父親から諭されることで、自分の生に対する執着を捨てて首を斬ることで悪夢から覚醒した
その後も繰り返し悪夢を食らわされる度に自分を斬り続けることでやがて「家族との絆」という強い意志を確立し
恐れそのものを克服することで悪夢に対抗した ※自我(家族との絆)×恐れ(0)=0
ただ炭治郎のような屈強な自我を誰もが持てるわけでは無いだろう
そう、そこまでの自我マッチョに誰もがなれる訳が無い
炭治郎自身でさえも追い込まれ過ぎて
現実でも首を斬ろうとしたところをギリギリ伊之助に止められた
自我マッチョをこじらせると
全てをコントロール出来るという思い込み(執着)に陥り
いずれ自分を追い込むことになる
自我をコントロールして悪夢を克服しようとするよりは
自我を0にすることが自分を助けることになるのではないだろうか
それが難しければ家族の絆を強めるなり
頼れる友を持つなりして自分の身を守るという防衛法もある
炭治郎のようにマッチョになれなくても
強く優しく生きていきたい
画像URL https://kimetsu.com/anime/character/?chara=c06
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