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虚無は、深淵ではない
"Wer mit Ungeheuern kämpft, mag zusehn, dass er nicht dabei zum Ungeheuer wird. Und wenn du lange in einen Abgrund blickst, blickt der Abgrund auch in dich hinein."
(「善悪の彼岸」より)
俗にいう「深淵を覗くとき、深淵もまた覗いている」の原文がこちら。
ミイラ取りがミイラになる、ということわざの方が通じやすいのかもしれない。
文意からはずれるが、『性食考』という本について。<食べちゃいたいほどかわいい>という一文から始まり、性と食の鏡映しの関係性を、大人―――子どもという濃淡のもと絵本に見出したり、体に入れるもの、吐き出すものという観点から考えたり。散文形式の良き本であった。
その中に、山形県大井沢村のクマ狩りに際した通過儀礼の話がある。とあるムラでは、初めてクマ狩りに参加しクマが捕れた場合には、解体されたばかりのクマの毛皮をかぶされるという。この話のほかにも、カチカチ山の童話における婆の皮をかぶる狸、『かいじゅうたちのいるところ』のマックス少年など、≪皮≫を媒介とした生物の変容プロセスを思い出した。
怪物と、皮の交換なしに同質化する、「深淵」なる場所は一体どのような場なのであろうか。
*
深淵、といえば友人の地理学者に聞いた、彼の理想の死に方を思い出した。
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