果たして、何がなんでも新人賞は獲れるのか?
窓辺に置いた小さなパソコンデスクの前でカーラは笑っていた。笑いが自然にこみあげてくる。
開いたノートパソコンのディスプレイに映し出されているのは、とある懸賞小説のwebサイトだ。カーラはたったいま書き上げた365枚の小説を送ったところだった。時刻は23時45分。あと少しで日付が替わる。ひたすら書いて完成させ、送ったのである。カーラが笑うのは当然だった。
とにかく二作目の長編を完成させて、送ることができた。今回送った小説も、賞がとれるとは考えていなかった。それどころか、一次予選も通過できないだろう。賞を取ることができればそれに越したことはないが、そう簡単にいかないということは、実際に小説を書いてみてわかった。書けば書くほど、その難しさがわかってくる。
完成させた長編小説は、まだたった2作である。わかるわけもないのだが、下手は下手なりの理解があり、思っているように書くということの難しさをカーラは、短編も含めて、小説をひとつ書き終えるごとに感じるようになっていた。
小説は書き上げることが絶対条件だが、書き上げたからといって、必ず評価されるわけではない。書けば書くほど自信をなくすというのは、本当のことだとあらためて思った。
書くことを続けて行けば、どこかで自信が生まれるものだろうか。ある日突然、わたしは小説がうまい、と感じる日がくるものなのか。カーラにはわからなかったが、その瞬間の訪れを願っているのは間違いなかった。
いまある事実としては、わたしは小説が下手、それだけである。
小説を本格的に書きはじめるまでは、多少、自分を頼むところもあったカーラだったが、いまは、この道ははるかに遠く、約束の地には、たどり着けない可能性も十分あると、考えはじめていた。だからといって、約束の地に向かう旅そのものをやめてしまおうという気持ちにはなれなかった。約束の地にたどり着けるかどうか、究極のところで、それはもう無関係になっていた。要するにカーラは納得したかったのである。楽しみで書くというのでもなく、〈こいつだ!〉というその〈こいつ〉が欲しかったのだ。そもそも約束の地など、幻かもしれないではないか。いま生きている自分の場所が約束の地かもしれない。天国などないかもしれない。
アニメ『悟空の大冒険』の最終回、お釈迦様が現れ、
「天竺などというところはないのだ」
と、三蔵法師パーティに告げる。「お前たちが旅をして歩いてきた道が天竺なのだ」
子供心にあれは効いた。ありもしない天竺を信じることは、今生きている自分を納得させるために必要なことだ。カーラにとって小説は、もしかしたらありもしない天竺を信じようとすることかもしれない。小説を書きながら、そんなことをカーラは考えるようになっていた。
実質的に2作目の長編小説だから、その出来の良し悪しを云々できるものではないが、作品の出来不出来にかかわらず、2作目を書き上げられたこと、カーラはその点で、まず満足していた。満足というよりも安心していた。
もちろん、賞を狙っているのだから取れた方がいいに決まっている。だが、小説というものを書きはじめて書き終えるということができるかどうか。カーラの場合、まだそのレベルだった。1作目が完成できたのは奇跡だったかもしれない。奇跡的な偶然が重なり、自分の実力とは関係なく完成してしまった可能性がないとはいえなかった。2作目を完成することができて、やっと少しは安心できるというものだ。もう途中で小説を投げ出すことはないだろうという自信のようなものが、カーラには生まれていた。さらにカーラが喜んでいたのは、最初に想定した流れにそって小説が書けたということだった。実はこれがかなり大きな意味があった。
と、言うのは、最初の一行を書いて、最後の一行を書き終わるまで、遅滞なく書き続けることができなければ、期日までに書き終えることができない。途中で、
「この先わたしはどこにいけばいいの?」
とやっていたのでは、作品の完成はおぼつかない。先の、完成させられなかった2作ではそれがあった。自分の心の声よりもスケジュールを優先させる。そんなことをして完成させても、そんなものは芸術作品ではない、という誹りを覚悟のうえで言えば、書こうとしていることをスケジュールに従って書いていくことができるかできないかの方が、カーラにとっては重要だった。芸術作品かどうかは、その後、ちゃんとスケジュールに従って作品を完成させられる実力の、はるか彼方にあるお話だ。それこそ約束の地の話だった。2作目の作品はそれができた。だから小説としての出来の問題とは別に、カーラはとにかく書けたことが嬉しかったのである。
今回、カーラは小説を書くにあたっていくつかのことを学んだ。
一つ。小説は何よりも準備だということ。
二つ。小説は氷山に似ているということ。氷山はその体積の85パーセントから90パーセントが海面下にある。小説も同じで、人様に読んでもらう部分よりも、読んでもらわない部分の方がはるかに大きいということ。その部分、つまり氷山における海面下の部分がしっかりしていれば、何をもって小説を書くというかは別にして、小説そのものは案外早く書けるということだ。
映画監督の黒澤明は、時間をかけて映画を作るが、撮影そのものはわりと早かったという。カーラが読んだ文献によれば、黒澤明は撮影に入るまでに入念な準備を行なっていた。そのために撮影は早かった。撮るべきもの、撮らなければならないものが、はっきりと見えていたのだろう。いくら何でも世界の黒澤と自分とを比べるのは気恥ずかしいものがあるが、準備に時間をかければ作品そのものは、思っているよりもずっと早く書けることを、2作目の執筆を通してカーラは実感できた。
その準備について。これも黒澤明だが、あの『赤ひげ』の撮影時の逸話である。黒澤明は、決して開けられることのない引き出しの中に、小道具の薬を入れたという。あるインタビューで記者から、そこまでする必要があるのかと尋ねられた黒澤明は、
「君が思うそのやり方でこの映画を撮ってみるといい。それがどれだけ画面に違いとなって現れるかわかるはずだ」
そう言ったという。なんとも、花も実もある話だとカーラは思う。見えないところにこそ、力を注ぐべきなのだ。
(そしてこの逸話は、上田馬之助のアントニオ猪木評にカーラの中でつながっていく。カーラは父親の影響でプロレスが好きだった。プロレスラー上田馬之助は猪木の強さについて記者から訊ねられたとき、
「猪木の強さなんてあんたたちには、絶対にわからない」
と、言った。「目の前で見てもわからない。見えない、目立たないところがきついんだ」)
もっともこの『赤ひげ』の件については、小道具の薬を引き出しに入れた助監督が、
「すべて入れたわけじゃないですよ。なんだか全部の引き出しに薬を入れたとかいう話になっているようだけど――入れることは入れました。理由ですか? 突然、引き出しを開けられるとまずいと思って、一応入れておいたんです」
と、言うことだったらしい。これ自体、小説になりそうな話だとカーラは思っていた。これを裏話だとカーラは考えない。ある現実があり、その現実の認識がそれぞれによって異なる。カーラはそう考える。物語は案外そんなふうにして作られていくものかもしれない。『赤ひげ』に関するこの話を読んだとき、矢作俊彦氏の『マイクハマーへ伝言』が、記憶の底からふいに浮かび上がってきたことを、カーラは覚えている。生身の姿で登場しないヒロイン礼子の最後は、登場人物それぞれの中で別の物語になっているのである。それはとても小説的であるようにカーラには思えた。そうであった現実と、そうであってほしかった現実のギャップが、小説なのかもしれない。いや、それを語るには、わたしは未熟すぎる。カーラはそう考える。
いずれにしても、今回、本編ではない部分をしっかりと書いたことで、出来不出来はさておいて、書こうとしていた小説部分がこれほど軽やかにかけるものかと、カーラは実感していた。
三つ。入念な準備を行い、人物について造形を固めて書いても、それで人様に読んでもらえる小説になっているかどうかは別であるということ。そこまで準備をして書いても、面白くないものは、やはり面白くない。残酷な真実。だが、そこまで準備をして書くと、自分のだめな部分、学びなおさなければならない部分も案外見えてくる。宮崎駿監督は、
「一生懸命やるのは当たり前。一生懸命やってもダメな人がいる」
才能以前の問題として、一生懸命小説が書ける力が必要だということになる。わたしにその気持ちがあったのかと、カーラは自問した。なかったような気がする。一生懸命は才能の問題というより、やる気の問題である。一生懸命書いて、それに見合う作品が書けるようになればそれが一番だが、その道も険しく遠い。だがとにかく一生懸命書こうという気持ちがなければ、その先へは進めない。一生懸命が必要だということ。今回の作品を通して、それに気づけたこと。カーラにしてみればそれだって十分な進歩だ。
四つ。へたくそが上手になるための手段は、たったひとつ、書くしかないということ。楽器の練習もそうだが、とにかく練習に時間を費やすことである。とあるアコーディオンの名手が海外留学をした。留学前、留学先の国の人は才能か民族性でアコーディオンを弾くものだと思っていた。ところが行ってみて驚いた。みんな十時間くらい練習をしていた。才能などと気安く言うなということだ。宮平保という中国拳法の超々達人も、一番の近道は回り道だと言っている。小説の極意は、たくさん読んでたくさん書くことしかないという、『何がなんでも新人賞獲らせます』の一文を思い出す。
番外として加えるなら、人様が書いた小説を読むときは、速読術などというものに惑わされず、時間をかけてしっかりと読むこと。なんなら音読しても構わないと思っている。大声を出して読むこともないが、声に出して読めば、その文章の呼吸のようなものが体でわかる。片岡義男さんは、言語というのは肉体の問題だというようなことを、英語学習に関する書籍の中で書いていた気がする。そうなのだ。言語というのは肉体の問題だ。だから音読が大切なのだ。作家の鈴木輝一郎氏も浅田次郎氏も声に出して読むということを言っておられた。きっとほかの作家も、自作を音読しているのではないだろうか。多分していると思う。読み上げソフトは便利なツールだが、最後は声に出して、肉体を使うことで、血の通った文章になっていくのかもしれない。
それに、ときに音読するほどじっくり読むと、それまで読みにくいなと思っていた文章の印象が、がらりと変わる。読みにくいはずの文章がいいなあと思えるようになったのである。自作を音読すれば、より自然に文章が練れていく気がする。手を抜いてはいけない。
すべては、わかっているつもりを捨てるしかない。第二作目を書き上げた後で、カーラがしみじみと考えたことだ。
前回の『小説読書感想文』の最後で、次回は準備をしっかりとしてみようとカーラは書いた。そしてそれを実行した。準備をする過程でカーラが思ったことは、これはこれで結構楽しいということだった。果たしてそこまでする必要があるのかどうかわからなかったが、登場人物それぞれの人生を、書き出してみた。それは、ちょっとした短編小説、とまではいかないかもしれないが、物語のプロットくらいにはなっていた。それを登場人物の分だけつくった。長短はあったが、大体自分が納得する分量は書いた。
表に出す小説の表に出ない部分を書くことがすでに小説を書いていることなのだと、カーラが気づいたのは、全制作過程の三分の一くらいを終えたころだった。登場人物についてあれこれ書くことがすでに小説を書いていることで、表に出ない場面を書いていることもすでに小説を書いているということだ。小説は書きたくて書いているわけだから、登場人物について書くことも、表に出ない場面を書くことも、だからとても楽しかった。
小説を書くということは、文字通り〈小説〉を書くことだと考えていたカーラにとって、これは意外な発見だった。登場人物を造り、始まるまでの場面を書き、ある場面とある場面をつなぐ、表には絶対に出ない場面を書いて、さらにこれも表に出ることのない、ある場面の裏で起きている場面を書くことを、カーラはかなり楽しんだ。主人公と主要な登場人物が存在する世界が見えてくる快感とでもいうべきものを、カーラは実感として持った。
カーラが小説を書く動機は、自らの願望の表出だった。だから自分にとって都合のいい現実を書こうとした。そういったやり方で名作を書き上げる人もいるのかもしれないが、カーラにはできなかった。
カーラの願望は極めて単純で、しかも矮小だった。
才能豊かな二十歳の娘になりたいと思ったときは、そういった主人公を書いた。人を蹴落としても地位を得て、ついに既婚男性まで奪ってしまおうという煩悩の塊のような自分になっているときは、そういう三十女を主人公にして書いた。
無理があったのだ。カーラが小説を書こうとした目的は、自分の願望の充足だけだった。それだけで物語を支えることはできない。だから、カーラはその小説を書ききることができなかった。確かに抜きんでた才能があれば、自らの願望さえも、小説に昇華できるのかもしれない。マルキ・ド・サドの例だってある。ただ、カーラにはそんな才能はなかったということだ。
2作の完結させることができた長編小説を書き上げてカーラが感じたことは、赤裸々に自分を語っていれば、あるいは小説を書ききることはできたかもしれないということだった。正直に徹するべきだというS・キングの言葉がここで生きてくる。司馬遼太郎氏も、正直になれば言葉はあふれると『街道をゆく・オランダ紀行』の中で書いておられた。あれは、たぶん真実だ。
才能のなさに苦悩する二十歳の女子大生が主人公なら、あるいは、という気がする。何者かになりたいと願いながら、何者にもなれそうもない自分。理想と現実のはざまでもがき苦しむ自分を語れば、あの小説は完成していただろうか。
虚構の自分に酔って、傲慢になり、他人を見下した挙句、人の夫を奪おうとする愚かな三十女の破滅なら、もしかすると書ききることができたかもしれない。そこに物語があった可能性がある。
自分の行いになんの疑問も持たず、葛藤もない人間の自己陶酔など誰も読みたがらないだろう。カーラも読みたくない。思えばあのとき書こうとした小説は、誰かに読んでもらいたいと本気で思っていなかった。自分さえも読みたくないような小説を、カーラは書こうとしたのだ。完成させることができないはずだ。
カーラは現実を見つめることを避けていた。豊かな才能は確かに存在していて、くだらない願望や邪な野心でさえも、読みごたえのある物語に変えてしまえる人もいるだろう。それは国語力の問題なのか、言語の天才だからなのか、それとも神様にしかわからない何かとしかいいようのない何か。カーラにはわからない。そういったものを総称して、小説が書ける才能というのなら、残念ながらカーラに才能はなかった。あっても、それはごくわずかだとカーラは考えていた。韜晦ではなく心底そう思っていた。それでも小説を書くのは、書くことが好きだからだ。そうとしか言いようがなかった。何者かになれなくても捨てられないものがある。自分に才能はなくても、覚悟だけはある。今のカーラはそう考えていた。
覚悟といっても、その覚悟も怪しいと言えば怪しい。四十歳を過ぎて、また小説を書いてみたくなり書きはじめたのだが、noteにちょこちょこと書きはじめたころは、まだ本気ではなかった。本気がにわかに炸裂したのは、最初の長編を書き上げたときだった。そのときカーラの中で何かが動いた。小説を書くということが楽しいと感じたのである。
カーラが初めて、完成させることができた長編小説は、願望を空想の中で達成させるために書いた作品ではなかった。むしろ理想が現実の前で敗北する話だった。どこまで言いたいことが伝わったのかわからないが、主人公はカーラにどこか似ていた。だがカーラ自身ではなかった。願望を描いたわけでもない小説を楽しいと思って書けたことが、カーラにあることを気づかせた。
どうやらわたしは、わたし自身の思いの扱い方を間違えていたらしい。
2作目を書く過程で、カーラはそんなことを考えるようになっていた。自分の中にある願望を達成させるよりも、届かないもどかしさを正直に書くことも楽しいものだということ。むしろ自分にとってはそちらの方が楽しいらしいということに気づいたことは大きな発見だった。結果ではなく過程だとよく聞く。臨んだ結果は得られなくても、結果を得ようと頑張って、それでも届かず、しかし、敗北を認めない頑固者。そういった人間を書くことも楽しいとカーラは思ったのである。
高校生のころカーラは、不在となった父親の書斎で、筒井康隆氏の『あなたも流行作家になれる』を読んだことがあった。
その中で、筒井康隆氏は小説の書き方を、尾籠な話だが、人間の排泄行為になぞらえて書いていた。秘訣は我慢すること。小説を書き出すまでに細部を練り上げ、書きはじめたい気分を限界ぎりぎりまで我慢して、一気に書く。筒井康隆氏はそういった意味のことを書いていて、カーラはそれに倣って今回の作品を書き上げた。
もともと早寝早起きのカーラだ。午後9時ごろに寝て、午前4時頃から起きて小説を書いた。休日は終日、わき目もふらずに小説を書き続けた。
第2作は昨年の11月半ばから書きはじめた。完成したのが今年の3月27日だった。4カ月と少しかかったことになる。途中1カ月の中断があったので、実際は3カ月ほどで書き上げたことになる。
中断の理由は、カーラの表の仕事(必殺仕事人のようだが)の関係だった。カーラはとある社会福祉法人の居宅介護支援事業所で介護支援専門員として勤務していた。同じ法人の高齢者グループホームで職員の大量退職があり、カーラは応援に駆り出されたのである。久しぶりの変則勤務、早番、日勤、遅番。夜勤だけはしなくて済んだが、そのほかの勤務はまんべんなくさせられた。入浴支援もした。
それほど状況は切迫していた。何せ施設ケアマネも退職して、カーラが代理を務めるほどだったのだ。職員が大量に辞めた理由は、いずれ小説に書こうと思っているが、管理者のパワハラだった。彼女の度重なるハラスメント行為については、カーラも噂で聞いていた。職員から何度も訴えがあったが、法人は手を打たなかった。専門職に徹していて経営については興味も情報も持たないカーラだったが、さすがにグループホームの現状はまずいだろうと思っていた。
大量退職者が出たことで、法人もようやく女性管理者を解任して新たな管理者を入れた。認知症グループホームの管理者は、一定の要件を満たしている必要があった。まず、〈認知症介護の業務経験が3年以上〉あること。さらに〈認知症対応型サービス事業所管理者研修〉を終了していること。そのふたつだ。法人内でこの要件を満たす職員は限られていた。
大騒ぎの挙句、最終的に特養の管理者を高齢者グループホームの管理者にした。特養の管理者は前所長、現介護福祉グループのグループ長が兼務することになった。足りない職員は法人各事業所からかき集め、それでも足りない分は、派遣を使った。ようやくめどがついて、カーラが解放されるまでに1カ月と少し。その間、多忙と、今となっては不慣れになってしまった仕事に追われ、疲れ果て、ほんのわずかしか書くことができなかった。
グループホームの騒動から解放されて、カーラはいよいよ小説を書きはじめた。すでに細部は出来上がっていた。一カ月の空白は、リズムを狂わされたようで、正直痛かったが、それを言えるほどの巧者でもない。書けるなら書いてしまえ、とばかりに、止まることなく一気に書き上げた。
〈書くことがなければ小説は書けない〉は事実だと痛感した。前回も書くことがあった。今回はさらに書くことがあった。登場人物がなぜその行動をするのか、なぜそのセリフを言うのか、因果関係が明確になっていたため、迷うことがなかった。自分が作った登場人物の動機に無理がなかったとは言えないかもしれない。本来であれば、そのあたりを徹底的に直したいという思いが、カーラの中にはたしかにあった。だが、今回はそういったことよりも、期日に間に合わせることを優先させた。途中、職場のドタバタがなければ、あるいはそのあたりも修正ができたかもしれない、と考えたいのは人情だ。
朝井まかてさんの葛飾北斎の娘、葛飾応為を描いた『眩』の中にこんなやりとりがある。北斎が娘と弟子たちに向かって、
「限りある時でいかに描くか、その腹がくくれねぇんなら素人に戻れ……(中略)たとえ三流の玄人でも、一流の素人に勝る。なぜだかわかるか。こうして恥を忍ぶからだ……(云々)」
そう言い放つ。カーラはもちろん自分のことを玄人などとは思っていなかった。素人の、それもまだ三流にもなっていない五流か六流、あるいはそれ以下の素人である。しかし、心構えは葛飾北斎のごとくあるべきだ。カーラはそう考えるようになっていた。
今回の賞の締め切りは3月末だった。そこに応募したいのなら、その期日に合わせなければならない。
カーラはいま自分ができる精一杯をしたと思っていた。もう少し、あそこを直せば、あるいはあの部分を書き足せば、もっと良くなるかもしれない。そう思わないこともなかった。だが、それをしたところで、確かにそうなる、もっと良くなると言えるのだろうか。
そこを直せば、必ず次を直したくなるはずだ。限りある時でいかに描くかは、玄人か素人かは別にして、締め切りのあるものに挑む者には絶対に外せないことだった。たとえそれが十流の素人であっても、期日を守れないのではスタートラインにさえ立てない。下手にさえなれなくては、絶対に上手になることはできない。結局、なんだってそうなのだ。人は手元にあるものだけで仕事をしなければならない。小説だけが特別なものではない。
期日までにできたものが、結局、今の自分にできる最高のものなのだ。それ以上手を加えても、それ以上のものにはならない。1カ月本業に忙殺されて書けなかったなどというのは、言い訳にもならない。そもそも書けなかったのではない。書き上げたのだ。それが人様に読んでもらうに値するほどのものかは別にして、期日を守って書いたのなら送るべきだ。
カーラはそう考え、作品を送った。送った以上、それはもう過去のものになった。次の作品に取り掛かればいい。書くことはある。
とりあえず2作目の長編小説を書き終えられたことは、ほっとするべきだとカーラは考えていた。少し前まで、長編小説を書ききれない自分がいて、なぜ書けないのか、その理由さえわからなかったのである。書けるようになったのなら、どんどん書くべきだ。自分が、どこからきてどこに行くのか、カーラにはわからなかった。だが、ものを書きはじめて、書き終わらせることができるようになった以上、もうやめようと本気で思うまで書き続けようと思っていた。
2作目の作品を通して、準備の大切さを学んだ。次の課題は、誰に読ませるかだ。誰に読んでもらいたいのか、今度はそこをしっかりと探ってみよう。カーラはそう考えていた。
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