私小説 檻の中の愛と性
前の勤め先に就職が決まったとき、親戚が真顔でわたしに、大丈夫と訊いてきた。
「何が、大丈夫なの?」
「だって」
と、親戚の女性は躊躇いを見せつつ、
「あそこ、不倫が多いことで有名でしょう」
「そうなんですか」
「そうよ。わたしの知り合いの家の若奥さんがね、あそこに努めて、不倫しちゃって、実家に帰されたそうよ。それでね、実家で父親のわからない子どもを産んだって、大変な騒ぎになったんだから。あんなところにはいかない方がいいわよ」
どろどろの不倫ドラマのような話だが、よくよく聞いてみると、それは知り合いの家の話ではなく、知り合いから聞いた話で、その知り合いの、そのまた知り合いの家の話か、あるいはさらに遠い家の話か判然としなかった。実際にあったこととは、わたしには思えなかった。
わたしは親戚の忠告を無視して、その社会福祉法人、親戚の女性に言わせれば不倫と邪な恋愛の泥沼のような職場に勤めることにした。もうそこしか、そのときのわたしには働くことができる場所がなかったのだ。
わたし自身が不倫でしくじったことは、もちろん親戚の女性も知っていた。中学生と小学生の女の子を連れた相手の奥さんの前に引き出されて、両親ともども、
「人でなし。あんたなんか生まれてこなきゃよかったのよ」
と、罵られたことも、もちろん親戚の女性は知っていた。相手の奥さんは教養があり、わたしのことを〈あんた〉などといわなかった。一応あなたといってくれた。しかし奥さんの、これ以上はない憎悪がこめられた罵倒の本質は、先の台詞のようなものだった。だが、奥さんの罵倒よりも、わたしの胸に突き刺さったのは、大好きなお父さんをとられて泣いている二人の女の子の姿だった。わたしは打ちのめされた。彼がふたりのお嬢さんを愛していることを、わたしは知っていた。わたしはそれを単なる事実としてしか受け止めていなかった。現実の重みをもたない事実など絵空事だ。遠くの戦争を、本当の意味で、恐れることは難しい。
わたしが彼に抱かれていたそのとき、家では奥さんと子どもがふたり、彼の帰りを待っていた。罪はわたしの手の中にあった。しかし、その罪の重さを実感できなかった。わたしは愚かだった。
そういったことを親戚の女性はもちろん知っていた。なにせ、わたしの母の姉だ。わたしが不倫の花が咲き誇る社会福祉法人で働くことを、伯母が心配したのは、わたし自身の事情によるものだったのだろう。なにせ前科のある身だ。またぞろ不倫問題を起こされてはかなわない。そう思っての忠告だったのかもしれない。
法人は、一般的な恋愛から不倫まで含めて、実にエロスに満ちていた。確かに、あらゆる愛にあふれた職場ではあった。常にどこかで誰かと誰かが、情痴の糸に絡めとられてもがいていた。とはいえ、伯母がいっていたような、どこかの家の新妻を妊娠させるようなことはさすがになかった。すくなくともわたしの周りにはなかった。
しかし、部下職員の妻に手を出した施設管理者はいた。幹部職員の愛人は居心地の良い事業所にずっと居座っていた。妻子持ちの主任は部下の年上女性の尻を触り、触られた女性は妙に狎れた笑顔で応じていた。確かにそこには様々な男女関係があった。とはいえ、法人に集まってくるのが、エロチックな妄想をたぎらせた男女ばかり、などということはなかった。法人にいるのは、普通の男女だった。しかし一般的な会社よりも、あるいは不倫関係を含めた恋愛は多かったかもしれない。
では、なぜそうなのか。ストレスの多い仕事だからだろうか。わたしの実感としては、それはない。あるいは女性の多い職場だからだろうか。それはあるように思えた。
わたしが勤務していた法人の場合、男女比はほぼ三対七だった。圧倒的に女性が多く、加えれば何らかの事情、例えば離婚であるとか夫婦の不和であるとか、そういった事情をかかえた女性が多いということもあったかもしれない。わたしもいってみれば事情をかかえていた。仕事で一緒にいると悩み事があれば相談もするだろう。身の上話をすることもあるだろう。そうこうしているうちに深い仲になる。よくある話といえばよくある話だった。
と、同時に福祉業界の特殊な事情もある。『私小説 出口のない家』でも書いたが、この業界は外部と遮断されたような状態にある。福祉という一種の閉ざされた世界の中にいれば、外の世界のことはあまり気にならなくなる。福祉関係に関わる多くの人が、どこか世間にとずれた感覚を持っていると感じるのは、基本、世間の常識と異なるこの業界の常識で動いているからだ。恋愛事情も同じだ。ここにいると、不倫が特に珍しいことではなくなる。感覚が変わってくる。
閉ざされた世界の中に、男女を押し込めているのだ。しかも福祉業界特有の、世間とちょっとずれた感覚が充満している。人はその場の空気に馴染んでしまうものだ。わたしがかつて勤務した社会福祉法人なら、どんな性愛が展開されても、おかしくないし、どんな性愛でもありうる。伯母がいうような獣的な性愛ではないものの、かなり特殊な恋愛関係があちこちにある、そういった場所であることは事実だ。
そういうものだとわたしは思っている。