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私小説 わたしの体験 1

 知的障害者を対象にした入所施設で、虐待は不可避的に起きる。わたしの体験ではそうだった。
 と、その前に、これはあくまでも小説であるということ。現実の話ではなく、あくまでも小説ということでお読みいただければと思う。
 虐待が発生したとき組織が必ず言うことがある。障害への理解が足りなかったということだ。一見もっともらしい意見だが現場にいれば、それはもっともらしくはあっても、真実ではないことなど、よほどのお人好しでない限りすぐにわかる。なるほど障害について専門家のように語ることができる職員はいないだろう。ごく大雑把な理解はあるし、それはずっと障害者支援を行なっているのだから、一般人よりもよく知っていることは知っている。しかし、専門家のように知っているというわけではない。専門家のように知らないということを指して、理解が足りないというのなら、組織のトップからして障害への理解などはいということになる。
 慢性的な人で不足に喘ぐ福祉――特に障害福祉の現場において、とにかく人手を確保することが急務で、質を担保することは後回しになる。この人は問題があるなと見た瞬間にわかる人物がやってくることなどざらにある。職員そのものが何らかの支援が必要なのではないかと思われるような者も確かにいるのだ。
 一種の混沌状態にある職員集団が、対応が難しい障害者の支援にあたるのである。事故、虐待が起きるのは当然といえば当然だった。組織の上層部も、何割かの確率――それも少なくない確率で、虐待が発生することはわかっているはずだ。
 行動障害の利用者の支援は難しい。中程度の知的障害がある利用者の支援も難しい。
 中程度の知的障害者の中には、日常生活に支障がないコミュニケーションがとれる者はいくらでもいる。そういった障害者は、職員の支援に対して、公然と矛盾を指摘する。その言い方は非常に辛辣で、自分が好き勝手に振舞う理由をそこに求めたりもする。厳しめに注意をすると、
「お前のやっていることは虐待だぞ」
 と、逆に職員を脅す者もいる。嘘ではない。ほんとうのことだ。
 障害への理解が足りない。だから虐待が起きる。虐待が起きると障害を理解するための研修をはじめる。そんなものに効果がないことはわかっている。やらないよりはましだという程度のことで、やったところで、役に立たないことを知りつつ、それをさせるのである。理由は? もちろん責任回避のためのアリバイ作りだ。
 虐待が起きました。だからこれだけの再発防止策をわたしたちはやっています。
 何の効果もない、職員に負荷をかけるだけの無意味な研修、無意味な対応策を行なうのである。
 繰り返すけれど、これは小説である。わたし自身にも発達障害がある可能性が高く、あるいは現実を歪めて捉えているのかもしれない。
 しかし、わたしの体験というなら、間違いなくわたしはいま体験を書いている。

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