心のあとを追いかけて
しばらく実家に帰ってないと、なんだかそわそわしてくる。なにかが足りないようで、バランスが保てないかんじ。「そろそろ、」と思い立つと、それ以外の場所にいることがしっくりこなくなってくる。
このあいだの金曜日もそうだった。母の誕生日が7月末にあって、それ以来帰ってなくて。バジルの栽培キットをもらってからふた月?時間が経つのが早すぎる。だけど、そのあいだに起こった出来事(種だったバジルがすくすく育ったこと、人生ではじめて金髪にしたこと、ガラケー生活をはじめたこと……)を振り返ると、確実にふた月分の変化があるんだよな。
「今週か来週に帰ります」と家族ラインで連絡するも、全員仕事中で返信はなし。その週はいろんな仕事がずいぶんと進んだし、こうなると家で何もやる気がしないので、結局返事を待たずに数時間後、家を出る。
実家は埼玉にあり、住んでいるところから電車一本で行ける。母はラインを見ていなくて、突然の娘の帰省に驚きつつも「あなたは心が先に行っちゃうもんね」と笑った。そうそう、と私も笑いながらその表現がすごく腑に落ちて、自分の性質をそんなふうに把握されていてうれしかった。いつも体が置いてけぼりにされて、焦って心のあとを追うんだ。
二匹の愛猫とたわむれたり、母と話しているうちに父と三人で飲みに行こうということになり、雨の中を歩いて駅の方面へ向かう。私はさっき歩いてきたばっかりで疲れる、と思ったけど話しながらだとあっという間に着いた。
お酒好きな家族で、帰ったときは家で晩酌するか、こうして外へ出て飲みに行く。最近からだのために酒を控えていてゆっくり飲む父(それでも一番ペースが早い!)、突拍子ないことを言って爆笑を巻き起こす母。頭をからっぽにして、ただただ近況報告や昔話なんかを思いつくままにおしゃべりする。
すこし前までは家族にも友人にも、会う前や話しながら「なにを話そう」と考えて準備することが多かった。最近は自分がコントロールできることなんか全然ないってことが分かってきて、深く考えずにドーンと構えていられるようになったな。それでも会って話しているうちにそういえばあれもこれも、とどんどん出てくるのが不思議。
その日は泊まって、翌日は車で直売所をめがけて出かけた。ペーパードライバー克服中の私が運転手して行く。ゆくゆくは実家の近くに住みたいのと、子ができたとき、家族の身に何かあったときを考えるとやっぱり必要だなあと思って。こわいけど、はじめてしまえば楽しい。そのうち一人でぴゃっとどこかへ行けるようになりたいな。
去年も行ったいちじくの直売は終わってしまっていて、近くのJAに入った。JAの、市場のような活気ある雰囲気が好きだな。旬や地のものを求めに来る人々はかわいいな、と思う。ちょうど青ゆずと青唐辛子が並んでいたところで、父に「柚子胡椒つくれば」と言われたのでそうしたくなり買ってもらう。
父に運転を交代して、車窓から黄金の稲穂畑と広い空を見ていたとき、とてもすんとした気持ちだった。自分の中と外の浸透圧がいっしょなかんじで、これ以上言いたいこともやりたいこともない、今が過不足なく満ち足りているような。
小さな浮き沈みはあれど、やりたいと思ったこと、伝えたいことに忠実にいるようにしているうちに、日に日に良い状態になってきてるな。なりたい誰かになるんじゃなくて、何にもならないそのままの自分を許せるようになった。
回転寿司を昼ごはんにして、そのあと一度帰ってみんなで昼寝した。きなことよく遊んだ2日間だったので距離が縮まり、寝ている私の足元にぴったりとくっついて寝ていた。その日たくさん遊んでくれた大人が大好きになって、離れがたくなる子供みたいだ。
「そろそろ、」と心が動いたそのタイミングで故郷に戻ったおかげで、バランスのとれた心とからだで秋に向かっていける。これからも心のあとを追いかけていこう。