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自分が1番生きづらい社会をつくっていたのかもしれない。

表紙とタイトルが綺麗だったから買った。それだけ。
『しろいろの街の、その骨の体温の』

予想する間もなく、過激な文章が訪れた。

見覚えのある景色。容易に想像ができる場面。ちくりちくりと突き刺す言葉に時折目を伏せながら、そうだ、私も「下から2番目」に所属する、地味系少女だったんだと振り返る。

馴れ合い、褒めあい、讃えあう。ちゃんと律義に交互にやる。
ただの「形」をもらった瞬間、それはそれで「やっぱりね」とナルシシズムに浸る。そして時空の切り替えを瞬時に行い、また「そんなことないよ~」と返してみる。
そうでないと、たとえ褒められた身だとしても、陰で悪玉が飛び出る世界であることを私たちは知っているからだ。

私はそんな社会に飽き飽きとしていたんだろう。小学5年生の頃、衝撃的な出来事に遭遇した。私が友達を褒めるとその子は「ありがとう」とだけ言ったのだ。受け入れた。あの「交換こ」もしなかった。新鮮だった。突然の出来事に私は空白の時間を要した。それと同時に、流されないその子がかっこいいとさえ思った。こんな生き方もあるんだ。そう思った私も、それ以降、その社会から卒業したーーーつもりだった。

中学校に入ってからは、中学校という社会に飲み込まれていた。横目で教室のなかを追い、「どう思われるか」を気にし、そんなことを気にしていないかのようなふりをして。心の中で「つまんない」と叫びながら、その感情をどこに吐露すればいいのかも分からず、ふとした時に涙を流しながら必死に生きてった。思ってることを吐き出したら、嫌われることなんて知ってるんだから。だから私は「ブログ」の中で生きることを悦び浸った。

高校・大学へと階段をいそいそと昇り詰めると、私は人を俯瞰してみるようになっていた。そのことについて、この本では「見下している」と表現されている。見下すという行為をあなたもやっているよね、と。大学生の今、この言葉にぶち当たり、一瞬なんだかとても辛かった。そうか、私のこの「感情がないという感情」は人を見下す行為に走っていたのか。その行為から1番遠いと思っていたからこそ、とても辛かった。

世の中には「いじめ」というものがある。当人にとっては軽い遊びにすぎない。その分かりやすい「見下す」という行為が「生きづらい」という社会をつくる一つの構成要因だ、と私は思ってる。けど、もしかしたら、与えられることによって「生きづらい」と感じている人が誰よりも強く、生きづらい世の中を自分のなかで創造しそれを醸成させているのかもしれない。

だからこそ、信子ちゃんのように立ち向かえる人は勇敢で勇ましい。と、私も思う。

と同時に、伊吹みたいな人がいてよかった、と思う。「結佳」をぎっしり受け止めてくれて、感じてくれてありがとう。震える人差し指を握りしめてくれてありがとう。

大学3年生の12月、「感情を忘れた自分」に気づき身震いするような恐怖に襲われた私は、少しずつ感情を取り戻す努力を重ねてきた。みるみるうちに生きやすくなり、捨てることもできるようになった私は、前よりずっと生きた心地がするようになっていった。そんな意識を忘れたことにこの本と出会い、懐かしい恐怖に身を馳せながら通読し、改めて「自分を大切にすること」「欲望のままに生きることの心地よさ」を学ばせてもらった気がする。

最後に。伊吹からもらったこの言葉を噛みしめて、このnoteを締めたいと思う。

「一番嫌だったのは、谷沢がそれを押し殺して、谷沢がきっと一番嫌いなやり方で、おれにぶつけたってこと。谷沢が大嫌いな谷沢が、おれより傷ついた顔をして、自分を傷つけてたこと。おれは、谷沢の好きな谷沢と、ああいうことがしたかった。」

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