感じている
何を感じて何を思って何をしたいのかわからない。働いて帰ってきたらご飯を食べてスマホ見て寝て起きて働いての繰り返しだ。考える暇が無い。暇が無い。暇じゃないと考えない。やることがなくてダラダラと過ごした何日間と、「そろそろ何かするか」と有意義な時間を過ごす意欲に満ちる瞬間までの間に、意味の無いことを考える最高の時間があったはずだ。やらないといけないことから目を背けるという質の悪い背徳感を乗り越えた先に、やる意味の無いことをやるというと質の高い背徳感が生まれるのかもしれない。
社会人一年目だからキャパオーバーになっているだけで、もう少し待てば余裕が生まれてひとりの時間を持てるのかもしれない。
このまま目の前に立て続けに現れる「社会的な行い」をこなしていく作業の間に死ぬかもしれない。
どんな人生が自分にとって正しいのかわからなくて、落ち込んだり悲しんだりたまにハッピーで心が軽くなったり虚しくなったりする不安定な情緒に振り回される自分を肯定することで、「今を生きている」ということにしている。
実際のところ、不安定な情緒に振り回されていたさっきまでの自分を肯定し続けることによって「ついさっきを生きている」。
でもついさっきまで悲しい気持ちになっていたのは自分なので、ついさっきまでは「今を生きている」ということなのかもしれない。
何も考えていないつもりだったけど、書き始めたら書きたいことが多くてまとまらないしまだまだ書き足らない。言語化できていなかっただけで、新しい場所で色々と感じてはいたらしい。よかった。
言語化は説明的で嫌いだから他のところで発散したかったけど楽だから頼っちゃうね。大丈夫だからね。ダメなことなんてないからね。