”VRとアバター” 私の基本スタンス。

バーチャルAV女優のKarinです。

相変わらずこの記事の存在だけでメタ的なので、苦手な方はブラウザバックをお願いします。

きっかけ

最近、「バーチャルアバターと性(特にジェンダー)を語る」という基礎コンセプトが曖昧になっているどころか、自分でも理解があやふやになっていたので基礎を固め直しました。

きっかけは、「バーチャルでは性別が関係なくなったって言ってる人(概念)がいるけど本当?」とか「そもそもジェンダー論の上でVRに新規性ってあるの?」というTwitter上の議論でした。その時はハッキリ答えを出せなかったのですが、これに直接答えを出す前に”アバターを纏う”という概念について自分の基礎スタンスを整理しないと何も言えなくなるな……という手応えがあったので、書いて公開することにします。


足掛け一年かかりましたが、ようやく自分の立ち位置を作れたと思っています。

基本スタンス

「VRアバターは眼鏡や車椅子、あるいは義手義足のような装具である。」

というのが私の考えです。

先に言っておくと、この答えでは「ジェンダー論に関する新規性」とか、「VR研究にとっての新規性」とか、そんなものは出てこないと思います。
(こういう表現にしたのは私が初めてかもしれないですが)

少なくとも私にとって必要だった機能は、「不自由をなくすための装具としてのVRアバター」でした。この表現にたどり着いた理由を含めて、以下解説していきます。

そもそも眼鏡の機能の話

「眼鏡」が一番わかりやすい例えとして機能していると思うので、例として眼鏡がどのような機能を持っているかについて。

眼鏡やコンタクトレンズというのは、今や78%の人が使用している器具です。非常にありふれたものすぎて、「不自由をなくす器具」と言われてもピンとこない人すらいるかもしれません。
少し大げさな言い方をすれば、眼鏡は「視力が弱くてよく見えない」という障害を抱えた状態を補正するための”装具”です。運転免許証の条件にも書かれているぐらい、元の肉体では不可能だったことを可能にしてくれる文明の利器です。身近すぎて気付きにくいですが、「自分の不自由な能力を補正することで活動をしやすくする」という点において、眼鏡の必要性は車椅子や義手義足と同じ立ち位置にあるものです。

眼鏡ほど身近なものでも、”身体の不自由感を軽減する”点においては”装具”というカテゴリ分けをされるというのはわかっていただけたと思います。

余談ですが、ありふれておらず物々しいという意味での逆パターンとしては「宇宙服」なんていうのも"装具"ですよね。

(ここで出してる”眼鏡は義手義足と同じようなもの”という話の出典は、確か眼鏡屋さんにあったポスターに書いてあった標語?だったと思います。)

じゃあアバターって装具じゃん

この記事では”VRアバター”と”アバター”は明確に分けて話します。

先程、「能力を補正することで活動をしやすくする」ものは装具と呼んでいいよね、という話をしました。そう考えると、アバターの”装具”としての面が見えてきます。

アバターとは「外見の情報を補正することで活動をしやすくする」もの。

と定義してみると、なんだか眼鏡とか車椅子と同じカテゴリのものに見えてきませんか?

VRアバターとよくあるネットゲームのアバターの間に共通する機能として、「外見の規格化・補正」という機能があるのは間違いないでしょう。(VRChatやSecond Lifeについてはあまりにも自由度が高いので、規格化はピンキリですが……)デフォルメされた姿だからこそ「現実の自分」とは違った関係が築けるんじゃないかと思ったり、「現実の自分の属性」に引きずられない新しい自分を気軽に探しにいけるいいきっかけになるんじゃないかなと思います。

「現実の身体は補正する必要のあるものなのか?」とか、「現実の比重を減らすと人生に別の不都合が出るよ」みたいな話は当然出てくると思うんですが。そのままの自分に痛みを感じている人がいるっていう話は何度でもしておきます。

”VR”アバターの評価点は?

では、VRアバターの話になると急に「性別がない世界」なんて話が出てくるのはどういうことなのか考えてみようと思います。

過去のゲーム内アバターシステムとVRアバターの違いは、「視覚を騙す対象に自分が入っているかどうか」です。
簡単な話、2Dのネットゲームをやっているときに「自分の手」を見ても、目に映るのはアバターではなく自分のリアルな手だということです。
装具としての”アバター”の限界は、「客観的な外見情報の補正」でした。

一方で、VRアバターの場合は視覚を騙す対象に自分自身も含まれます。
VRソーシャルをしているときに「自分の手」を見れば、視線の先にあるのは自分のアバターの手です。
この「主観的な外見情報の補正」と、「自分の身体とほぼ同じ動作で、同じように扱える」という点がVRアバターの評価点だといえます。

次節では、主観的な外見情報の補正について述べます。
ちなみに、後者の”身体感覚との一体感”はまさに「眼鏡とコンタクトレンズの差」と同じようなものです。自分と装具の一体感が高ければ高いほど人は気持ちよく感じますよね。
メインの機能は同じでも、使い心地を全く変えてしまうほどの大きな差だというのがわかりやすい比較ではないでしょうか。

”変身”できると何が変わるのか

先程はVRアバターにできることを、「主観的な外見情報の補正」と「客観的な外見情報の補正」というように分けて書きましたが、これを両方できるのであればやっていることは事実上の”変身”です。

では、”変身”できると何が変わるのかといえば、変わるのは自分の姿だけで世界は何も変わりません。
もちろん、他人との接し方や接され方に違いは出ると思います。しかし、その理由は自分の属性や振る舞いが変わっただけで、相手に横たわった価値観に何か変化があったわけではありません。

相手はいつだって変わらない自分の物差しでこちらを判断します。
そのときに、”相手がその物差しで測っているもの”という主体の見た目だけを変えることができるのがアバターなわけです。
これがVRアバターでも、「客観的な他人の価値観」という点においては同じことです。だから、2Dのアバターが言うほど世界を変えなかったように、VRアバターは言うほど世界を変えないと思います。

代わりにVRアバターにあるものは、”自分が自分を見る目を変える力”です。
”自分が自信を持てない姿の自分”にできないことでも、”自分が自信を持てる姿の自分”に変換されてしまえば動き出せる人はいます。

ただ、世の中の人の大多数は自分の姿に対する問題を持っていません。正確に言えば、ほぼ全員がうっすらと問題を持っているのでしょうが、自分自身の姿に自分のアイデンティティを脅かされているわけではない人がほとんどだと思います。(これは客観的な姿の良し悪しの話ではなくて、主観的に自分の姿に納得できているかという話です。念の為。)
つまり、結局VRアバターという装具を手に入れても、できることは他の人と自己肯定感を比較したときのマイナスを0に近づけたり、少しのプラスに寄せることぐらいです。

すごく簡単に言えば、遠くの景色を見るのに眼鏡が必要ない人と眼鏡が必要な人がいる、というだけの話だと思ってください。

動き出したその後の話。

この節は自戒も込めて。
少なくとも、現在のVRを含めたアバター技術が変更できるのは外見の情報だけです。姿には平等にチャンスができても、今度はそれ以外の部分で人が見られることになります。

これも、ただ単に車椅子に乗るだけでは自分は動かない……というのと同じような話です。車椅子にも操作技術が必要とされるように、自分のアバターに合った人格・声・動き・世界観を技術として身につけることは「見てほしい自分」を実現するために必要なことですよね。
じゃあこれらがない……となったときに、少しでも夢に近づくために努力できるようにするのがアバターと、周囲からの認知の力だと思います。

つまり、アバターが持つのは、問題解決の力そのものではなくエンパワメントのきっかけです。

だからこそ、ポートフォリオとして動画を作ったねこますさんのように「”見てほしい自分”を作る上で、声を作ることは必要ではなかった」というのも理に適ったアバターの活用方法だなと思っています。

まとめ

結局、「バーチャルでも性別は関係ある世界」だし、「性を持たない」わけでもない。(設定上無性でも、それを共有できていない相手は、大抵外見の性別を当てはめてしまう。)
これらがやっていることは、既存の価値観の打破ではありません。既存の価値観の上で選べるオプションを増やしてみよう、という試みです。
きっと、”可変である性別・姿そのものに意味はない”という価値観を心から信じて作り出すことができるのは、VRなんかには留まらないほど進化したバーチャル空間で生まれ育った新世代の人類だけだと思います。
そこに自覚的になってバトンを渡したいな~(本音)

じゃあ今はどんな魅力を信じればいいのかというと、少なくとも「”自分が信じる自分の姿”を表現するコストは現実より低いので頑張ってね。」という点だと思っています。現実で再現しようと思ったら整形地獄+高額費用で済むかどうかすらわかりませんからね。
お前のやりたいようにするためのコストは下げといたけど、結局それで周りからどう思われるかはいつも通りだよ、ってことです。

それと、「自分が信じる自分の姿」を持つこと自体が高等技能だというのもここ一年で浮き彫りになったと思います。私自身、別に自信があるわけではありません。機会の平等というのは、巨大な格差に繋がりがちなのは事実ですから……
このハードルを乗り越えるためのメソッド、あるいは義務教育のような活動が今後現れてくることも期待していたいです。

余談ですが、「やさしい世界」の暴走や揶揄(要出典)にも同じような理屈が走っている気がしています。根底では「やりたいようにやるためのコストが下がった」という正の面が評価されているはずなのですが、拡張しすぎて「やりたいようにした結果周りからよく思われなかった時も、いつも以上に優しくされるべき」とまではならないように気をつけていきたいですね。

ちなみに、「(2つの)性別を自分で選ぶことが容易な世界」については一つ大きな懸念がありますので、その内容は日曜日のお話の中に入れさせていただきます。

【宣伝】12/23(日)の21時より、361°アートワークスさん主催の特番イベントに出演させていただきます。
ClusterというVR空間(VR機器を持っていなくてもPCから入れます)+Youtube Liveで配信されるので、ぜひご来場ください!

あと、noteをたくさん書いてる友人の”つくしなづな”と共同で、「VR、バーチャル、Vtuberと性、ジェンダー周辺の話題について触れるゆるい集団」である #むじなのーと というnoteマガジンを運営しています。
この記事自体もそのマガジンの一部なので、ここまでお読みいただけた方にはぜひマガジンもフォローをよろしくお願いします!

根も葉もミもフタもユメもキボーもない話で申し訳なかったのですが、最後に付け加えておくと。
私はこの一年から今にかけて、人生の中でこれ以上なかったほどに生の実感があって、少し自分が好きになりましたよ。

今後の展望とか、書きたい記事の予告(箇条書き)


・文字媒体の方が性別は意識されない話
 (確かに、私もVRChatに最初抵抗があった理由はこれだ)

・アバターの姿と中身って合わせる必要あるの?
 (かっこいい女性のアバターで男性的な人格の女性を男性が演じるとか)

・VR空間では鏡を見ただけで死にたくならないっていうのがすごい

・そもそも私はVR・VTuber技術程度のフルダイブで満足していない
 (過渡期としてはとても上手く行っていると思います)

・結局、私がこの話を続けるとジェンダーフリーの話よりトランスジェンダー的な話になるので、ジェンダー論からは無限に離れていく。

・VTuber・VRアバター・バーチャルツイッタラー・なりきり・着ぐるみ
 全部同じような性質を持っているものの、この差を比較することには大き な意味があると思います。

・【6期】ゲゲゲの鬼太郎15話をみて。

・この記事の”前作”とでも言うべき私の自伝、「僕がバーチャルAV女優になった理由(わけ)」を買って!

・下にある❤を押して「スキ!」をつけて、SNSでこの記事を共有して!

バーチャルAV女優のKarinです。 「性別に囚われず好きな仕事のできる世界」を目指して、男性向けセックスワークをやっています。