X-Oasis一周年によせて(Karinのよわよわ日誌)
私が発起人として、そして今では代表として携わっているVR風俗店X-Oasis。
皆様のおかげで、ついに7/28をもってサービス開始一周年となります。
そこでこの一周年によせて、X-Oasisと私がどう歩んできたのか。
何がうまくいって、何がうまくいかなかったのか。
今だから言えることがあると信じて、書いていきます。
この文章はサービス開始……の少し前から始まります。
2019年11月
振り返ると、X-Oasisの企画が生まれたのはこの時だ。
当時から、私はこの時期の話をあまりしていなかった気がする。
なぜあまり話してこなかったのかと言われると、とにかくVR風俗店という「形」を作ることに必死だったからである。
当時、私は発起人といってもあくまで「賛同者」の立場だった。
そもそも、X-Oasisの原型だったVR風俗計画は私のものではなかったのだ。
2019年の前半、体調も崩し、あらゆる点でうまく行かない生活を送っていた私は、自分自身が少しでも打ち込める・経験を活かせるものを求めて、最初期の発起人として参加したのである。
前向きな転向でもあり、後ろ向きな逃避として関わったことは否定できない。とはいえ、実際に打ち込めることを見つけたのは嬉しかったし、実現へのハードルだった法律関係のことに私自身が役に立てた(超えるべき法的ハードルを定義して、基盤を整える手順を当時のリーダーに進言し続けた)という時期が今のX-Oasisの礎となっているのも事実である。とはいえ、これは本当にあくまで土台の土台にすぎないのだけど。
それと、現在X-OasisのCTOとして活躍しているDaryが加入したのもこの時期である。正直に言えば、この事業を事業たらしめたのは私ではなくて、過去に経営の経験があったDaryだった。
この話は、後ほどになってもずっと響いてくるので後でまとめて書こうと思う。
2020年1月
ここがX-Oasisとしてのターニングポイントだった。
現状のメンバーでの事業としての継続性を疑問視したDaryが独立……というか離脱を表明して、私がその造反に乗った。
その時はその時で大変悩んだけども、今考えると、相当変な決断の仕方をした気がする。
その時の(元の組織構造での)私は、代表面なんてやる気がまったくなかった。要は裏方の一人として、確かにDaryの指摘通り、多少なりとも頼りなかった当時の代表を支えられていればいいかな……というように、組織の中での自分の立ち位置を置いていたのである。
ところが経営経験とエンジニアとしての見積もりという感覚を武器に、いざ自信を持って地盤を動かされると、もうそういうことを言っている場合ではなくなってしまった。どう考えたって武器のある方に行くべきである。結局当時の代表も最後まで自分自身で舵を切ろうとし続けたため、完全に分裂した結果として、最後に残ったのが私とDaryだけになった。
その後、一部のメンバーについては再度仲間に加わってもらったのだが、これも私の力不足でチームビルディングをしきれず、長期的人材コストに耐えられなかったX-Oasisからは離脱してもらうことになった。結局常態化していく、Dary・Karin体制での小規模運営になったのである。
この時も本当に決断ができなくて……というか、未だにそういう所があるんだけど、何か問題があってもそれを話して乗り越えられるのが「良いチーム」の条件だと思っていたので、相当に反発した記憶がある。
というか、今もその思考のクセが抜ききれていない。結果として同じ失敗を少なくとも3回はしているし、「無理に合わない者同士・コミュニケーションがうまく行かない者同士の仲を無理やり取り持とうとするのは最適でない場合がある」という結果から逆算することを多少覚えただけで、本能的にはどうしても抵抗を覚えてしまう。それは成長なのかな。人と話すの苦手なのに。
たまに頭がお花畑と言われるんだけど、素朴にこういう謎の信仰を何個か持っているせいだと思う。コレがすごい勢いで矯正されつつあるんだけど、多分抜き差しならないビジネスの世界できちんと過ごしてきた人から見ればまだまだだろうし、自分でもまだメンタル的な側面でその決断の苦手さに足を引っ張られている……と強く感じている。
2020年7月
X-Oasis、サービス開始の月である。
クラウドファンディング(CF)を実施して、約1ヶ月後のサービス開始だった。なぜサービス開始がこのタイミングだったかというと、CFの結果を待たず、会社的に耐えられるギリギリのタイミングだったからだ。
創業メンバーとして関わってくれた人達からの資金を元手に動いて来たが、基本的に少額の出資のみだった。つまり、クラウドファンディングの結果次第ではここでリリースしないと法人として潰れてしまうため、お披露目するチャンスすらなくなってしまう……!という理由でこの時期になったのである。
最終的にCFは予想以上の盛況となり、約300万円を活動資金として受け取ることができた。
この資金によってX-Oasisが得ることができたのは、一年間サービスを続けることによる「継続的な経験」だったと思う。しかし、逆に後悔も残る。
このお金に余裕ができたタイミングで、お金を使わないと打てない布石、打てたんじゃね……?
ここで布石を打てなかった理由と責任は、完全に私の未熟さである。
このサービス開始時点で、私は完全に最初のパンクと挫折を噛み締めていた。
2020年7月(の、裏側)
7月28日のリリースを目前に控えた2週間程前。
必死にサービス用ソフトの調整を行っているDaryの横で、私はひたすら悩んでいた。
というのも、X-Oasisの中でお手本となるべき私の行動を一つ一つ分析して、誰が読んでも再現できるマニュアルにする、という仕事に全く手が付かなかったからだ。
もっと言うと、詳しいサービスの設計に関しては6月時点で何度も話したし、結論も出ていた。あとはこれをまとめたスプレッドシートを読んで、想定されうるUIもだいたいできているので、普通に誰でもできる仕事、にまで落とし込まれていたと思う。
しかし、この時の私にはこれを完遂できなかった。
資料もある、一度自分でも議論に参加して決めた流れでもあるのにも関わらず、まったくマニュアルが書けなかったのである。
昔から文章を書くのは苦手ではないと思っていた。
だからこそ請けた部分もあるし、そもそも私はこういう役回りで貢献したいと元々思っていたのにも関わらず、本当に一ミリも手が付かなかったのである。
結果として出力されたのは、マニュアル以下のフローチャートと、HPシステムの内容を口頭で説明する動画だった。直前まで詳細がなかったものだから、当然サービス開始当日はキャスト含めて混乱させてしまった。その後、結局サービス開始後に分担してマニュアルを書くことになり、殆どの部分でDaryに引っ張ってもらってしまった。
自分で自覚している理由は二つある。
ひとつは、「何回読み返しても資料の内容を理解することを頭が拒否した」からである。議論に参加している時、その場その場では発言できていたと思うのだけど、俯瞰的な視点でサービス全体を設計するということに対して、あまりにも私自身のスキルと集中力が足りなかったのだと思う。
当たり前の話、何回読み返しても理解できないものを人に説明することはできない。何回か相談してみたものの、私も自分がここまで理解できないと思っていなかったから、「そこに書いてあるよね?話したよね?」の確認で済ませてしまって、実際の理解は及んでいないのになんとか進めようとポーズを取る……というループに陥っていた。
浮かばない考えと、文字の入らないテキストエディタを往復していたら、制限時間が来てしまったというのが実際のところである。
ふたつめは、いつからか芽生えた文章を書くことへの強烈な苦手意識である。
何なら、この文章もそうだ。本当に自信がないまま、書けるタイミングを無理やり作り出して書いている。実はこの文章は作業配信中に書いていて、この配信中に終わらなかったら切腹しようぐらいの気持ちで書いているから、なんとか書けている。X-Oasisに関わってから、私の文章アウトプット能力は著しく下がってしまっている。思えば、元々文章を書くのは苦手ではなかったが、異常なタイプの集中力を要していた。外部からの接触をできるだけシャットアウトした上で、カンヅメにならないと文章が書けない書き手だったのだ。
元々、私は文章が好きだった。
書くのも読むのも大好きだし、やりたいことがあったら何でも文章に残すべきだと考えていた。
ターニングポイントはコミケで出していた3冊目の同人誌だろうか。
あの同人誌には未だに自信が持てないのだけど、ちょうどX-Oasisと関わり始めた時期であり、どちらにせよ私生活での鬱を引きずっていた時期である。
鶏が先か卵が先か。何の影響かは分からないのだけど、本当に文章というもの全般に自信がなくなっている。というか、人に見せたくなくなっている。
「作家性」の強い文章スタイルは、日々の仕事というものにとにかく噛み合わないのだと思う。仕事として文章を出すということに精一杯になりなさい!という世界からの強いメッセージを汲み取ってるし、それに適応しようともがきながらも、結局、一年後の今日に至っても、こういう文章を書いてしまっている。
実はこういったnoteも、下書きの段階のものが死屍累々の状態で積み上がっている。過去の告白だけではなくて、その時語りたくなった映画やゲーム等のレビュー記事を書こうとしてるのに、途中で全く手が動かなくなる。作家性に頼りすぎて、自分の中に明確な文章を書くための方法論がなかったことの証だと思う。
この文章を作家性からの卒業式にしたい。実際、次の文章は比較的業務的な意味の籠もったものになる。思うに、効果がどのように出るかはともかく、こういう決意表明を儀式的にしておくことが大事なのだ。
いかに最初のお客様が作家性を求めていても、そうじゃない方向に私は進みますよと示すことが、最終的には前向きな形で受け止めてもらえると願って……
2020年8月~2021年1月
一番がむしゃらで、一番特に何も起こせなかった時期だった。
先程言ったように、語れないスランプに陥りながら、X-Oasisをどんな方向に引っ張っていくべきか?という決定に対して非常に無自覚なまま引っ張ろうとしていたように思う。
この時はもう2人スタッフがいたのだけど、その人たちとDaryの仕事をなんとか繋げながら気丈に振る舞おうとする、というだけで精一杯で、本当に新しいことに気持ちが行っていなかった時期だと思う。
それと、そのスタッフと結局会社としてはうまくやっていけないな、という決断をしなくてはいけなくなったのも、この時期に含まれる12月である。
その方も副業ではあったので、そういう意味での葛藤でなかったのは救いなのだけど、今度は「無理に合わない者同士・コミュニケーションがうまく行かない者同士の仲を無理やり取り持とうとするのは最適でない場合がある」という前回からの学びと、「そうは言ってもやっぱり一緒にやれませんって言うのってしんどいし、まだ上手くやれる余地はあるんじゃないかっていう疑念」という新しく身に着けた概念が強烈に喧嘩をしていた。
結局その話は遂行できたんだけど、その結果として、上で少し語ったような「資金的な状況が悪くなるまで特に何も動けなかった」という結果を生んでしまったのだと思う。
そんな中、その1月にはさらに大きな話が舞い込んできた。
相手の詳しくは今更言わなくてもいいし、言わない方がいいのだと思うのだけど。大手アダルト関連企業から買収の話が舞い込んできたのである。
かなり先方の社長は積極的で、担当者の方と共に「この時代だからこその、ひいては未来のバーチャルセックスを作ろう!」と言って大いに盛り上がった。しかし、結果として6月には破談してしまったのである。
2021年1月~6月
この買収話に何があったのか……と言われると、先方の社長がノリノリでいてくれても会社としては大きく動けないこともあるんだなぁという一般的な教訓だったりとか。そもそも社長が細かい話の詰めを経理部門に任せようとしたタイミングでもう少し食い下がっておくべきだったのかな……など、色々なことが絡んだ&判断ミスがあったのだと思う。
しかし、ここで一番痛かったのはこの話が来た時点で安心してしまっていたというか、かなり守りの姿勢を加速させてしまった自分の心だと思う。
実際、ここで大きくX-Oasisの形を変えるようなことをするよりも買収後の方が動きやすそうだな……という判断でやめたことの中に、今思えば「早くやっておけばよかった・その時しかできなかった」ことはいくらでもある。
また、買収に対応するため、会社としての法務的な確認や不備を整えていた際に司法書士様にお支払いした金額も売上に対して相対的に大きかったことから、買収話の最中も、経営としては加速度的に悪く傾き始めた。
そのため、破談となった今となっては、悪いことしかなかった時期であるし、結果としてその「悪さ」を作った主犯はそこで日和った決断をし続けた私なのだと思う。
そういう意味で、未だに「経営」というものに答えが出せていないのが正直なところである。
私もある程度制度としては勉強したものの、未だに経営というものについての矜持や哲学についてはDaryの受け売り……というか、正確に受け売れているかも自信はない。
一つだけ弱音を書いておくと、本当に経営というのは人間と人間の当たり前の関係・信頼を築いていく過程と一直線に繋がっていると思う。
つまるところ、勢いと狂気を燃料にしていたコミュ障としての私は非常に相性が悪いのではないかという疑念を捨てきれていないことである。私が経営に対して良い形で関わり続けようと思ったら、まずは
すいません、
ちょっと通りますよ…
/⌒ヽ
/´_>`)
| /
| /| /
/ / ||
(ノ U
みたいな顔で、淡々と必要なコミュニケーションを取れる人になる必要があるのではないだろうか。かといって、関係者の細かい機微を反応して先回りできるスキルを身につけるのも必須である。
世の中の有名な社長さんって独特のキャラとコミュニケーション術を持った妖怪的なキャラが多いけど、アレは最適化の結果なんだなとつくづく思う。
2021年7月
というわけで、X-Oasisと私たちは色々なうまく行かなかったことを引きずって続いている。ついに一周年だ。
もう怖いものはなくなっているので、nanaちゃんに加入してもらうこともできたり(↓リンク)、一周年ということで新しいサービスや企画への提案を、皆様にお見せする準備をしています!
特に今年に入ってから、私が至らないばかりにたくさん回り道をしてしまったけども。今一度前を向いて、皆さんに助けて頂けるように魅力的な場所である努力を続けようと思う。
ここまで書いてきたことは、つまるところ「代表であるところの・信用の源泉となってしまっている私の作りたいものは何か」という話に統合できるのかもしれない。そういう意味では、X-Oasisは凄く挑戦的に守りたいものを増やし続けたサービスだ。
キャストのIPや契約のあり方・そもそもの「アダルト分野への挑戦」ということの意義、そして「アダルト」という言葉で言い換えられるタイプの「性」も、ジェンダーとは無関係ではないということ。
これらの1つ1つのアイデアは、普通は面倒だからアダルトサービス業者としてはなかなか手を出さないものである。
というか、法的な措置含めて難しい所があるから、ビジネス判断としてこういうことには手を付けないのだ、と割り切っているのだとも。
実際、こういった規範や”組織としてのあり方"のような目標は、掲げれば掲げるほど意思決定が難しくなるし、選択肢が減る。
もちろん用法用量を守って掲げることにはいい面も出るけど、守る側にそれ相応の力が必要になるという事実には変わりない。
にも関わらず、一周年のタイミングで、人並み以上に出力を続けるための努力が足りたと胸を張って言うことができないのは心苦しいけれど。同時に、やはり自分たちの事業として、形が先行していたとしても、続けて来なければ本当の意味で理解することはできなかった。
この事業を事業として打ち立てようと思うことができた人間は、本当に私一人なんだと思う。だからこそ、せめて学びがあるうちに。今、周りに人がいてくれるうちに。取れるところまで責任を取って、X-Oasisがある未来を引き続き作っていこうと思う。
引き続き、お付き合いよろしくお願い致します。
あとがき
この文章の書き味は、「膿を出す」という感じだった。
過去の自分を責めても何にもならないとはわかっていても責めてしまうし、かといってそこまで自分が変われたか?と言われると、場当たり的な理解が進んだというのに過ぎないと思っている。12月頃の失敗として書いているのも、その場当たり的な理解と自分の信条のギャップが埋まっていないから起きた出来事だ。
じゃあ何を持って禊として、自分は前に進もうとしているんだろう……と考えながらこの文章を書いた。結論としては、この文章自体が「膿」であり、これを出し切るまで自分は動けていなかったんじゃないかと思うようになった。
つまり、私が何か発信しようとすると、これまでの私のできなかったことと向き合うことになるという構造自体が私の手を鈍らせていたのではないかということだ。
正直今回の記事を書くのにも相当時間をかけてしまったし、本来であったらあるまじきことである。
でも、書こうと思えるようになってから10日ほどでこの一年半の膿を出し切ることができたのだと思えば、悪くない気がしてきた。
一回ここで書ききってしまったから、もう未来を語るときに、どんな過去も含めて語るべきか悩む自分はいない。未来は未来だ。
この記事も、このあとがきの宣言を書くのにも。相当な関係者の気力により掛かる形になってしまった。しかも完全に遅いんだけど、書ききったことでようやくスタートラインに立てた気がする。
少なくとも、noteの一つも出せない自分はもういない。この記事を書くという、自分にとって大事な時間も、自分で作れたし。今後もこういう配信があったりしたら、「かりんちゃん自分で追い込みしてるな……」と思いながら見てほしい。基本無言の時間も多め・深夜になってしまうと思うので、快眠BGMを流しておきます。