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Bitter & Sweetの『29歳』について語りたい

30歳手前に特有の悩みとか焦りって色々ありますよね。
例えば現在28歳の僕は、

  • 大学院に進学するより、やっぱり普通に就職した方が良かったかも。

  • Facebookを開く度に「結婚しました」「子どもが生まれました」報告を目にするな…。俺にも結婚ってできるのか?

  • 20歳そこらで思い浮かべていた28歳の自分ってこんなにポンコツじゃなかったのにな…。

といった悩みに脳のリソースを蝕まれながら生きています。
(これでもオープンにできるものを厳選したつもり。)

そういう20代後半の焦燥感を題材にした曲が出たんですよ、Bitter & Sweet(以下、ビタスイ)の『29歳』っていうんですけど。
まずは全人類にMVを観ていただきたい。記事の続きは読まなくていいので全員MVを観ましょう。

ということで本記事では、僕がビタスイの『29歳』のMVを観て特に語りたい部分についてひたすら語っていきます。
MVを観た後に記事に戻ってきてくださった読者さんがいるか非常に怪しいとはいえ、そんなことは気にせず本題に入りますよ。




30代手前の生々しさ

記事の冒頭でも触れましたが、
「とりあえず社会には出たけど、今の生活を続けていて良いのかな?」「自分の将来はこの調子で大丈夫か?」といった、30代に差し掛かる直前だからこその悩みや焦りってありますよね。

その時の自分に出来ることを出来る限りやっているような、一方で目先のタスクだけを消化して騙し騙し生活しているような…という自分の行き着く先が見えない恐ろしさ。

そういう感覚の中で無理して頑張っている様が、曲の歌い出しから想起させられるんですよ。
それ自体はあまりに生々しいのに、そのエグみが喉につかえる感覚は無く、気付いたらストンと曲の世界観に引き込まれてしまいます。


そこからの「夢見た未来にいるのかな」が力強くて、過去の自分が思い描いた未来と現実との無慈悲なギャップを投影せずにはいられない。
「昔なりたかった自分はこんなんじゃなかった気がする。でも今となってはよくわかんない…」という感じでしょうか。

順番が前後しますが、2番だと「リセットできない旅の途中」という表現になっていて、
「あの時にこうしておけば…」という途方もない数の後悔があり、だけど前に進まざるを得ないという追い込まれてる感。
28歳の僕としては、そこに自分の状況を重ね合わせちゃうんですよ。


あなたの背中を追う私でいられなくなる

そこから途端に曲の核心に迫っていき、良い意味で強まるエグみ。
好きな人か相当に慕っていた人が亡くなってかなりの時間が経ち、ついにあなたの享年を明日で追い越してしまう…ってことだと解釈しています。

年上のあなたは「あんなに大人と輝いて見えた」し、私はその背中に向かって走っていた。
それでも私は大人になりきれていない。消えたいと咽び泣くこともある。
等身大の20代後半の悩みが生々しくあればあるほど、あなたに対する色々な感情や、私が追いかける背中を失う心細さが痛烈に伝わってきます。

ただサビに入ると、私がそこから自分の人生を歩こうとする弱くて強い推進力を帯びるんですよ。
「私は消えたいと思ってしまうけど、あなたは生きることを渇望していたし死を望む人じゃなかった。だから私があなたの分も生きなきゃ」
といった感じ。

そして、「あなたは私の勇気に変わった」の直後に「勇気なんて欲しかったかな」が来るのも生々しい。

あなたが私の記憶の中だけで生きて背中を押す存在になってほしくなかった。生きて私のそばに居てほしかった。
そんな記憶の中のあなたという存在を、私の心の中でどう位置づけて良いのかわからない。
戸惑いつつも、あなたの歩んだ道の先を行く決心が一応はついた。

という感情を含んだ「よくわからない でもありがとう」のように思いました。

こうした曲を、ちょっと闇(病み?)を匂わせつつも歌えてしまうビタスイのお二人の表現力がとにかく凄まじい。

萌美ちゃんは「何であなた居なくなっちゃったのよおおおおお」とでも言わんばかりに感情的になったり、しっとりと悲しさや寂しさを思わせるような歌い方になったり。

あさひちゃんは一見すると、あなたが居ない現実を一旦は受け入れて落ち着いたようにも思えるのに、あなたの存在を探してしまうような弱さがちょくちょく垣間見える感じ。

ちゃんと聴けば聴くほど重みを感じるものの、その重み付けがあるからこそ歌詞の生々しさが活きるし、後述のような考察に至らせる余地を生んでいる気さえします。


私と記憶の中に生きるあなた

2番サビの「あいたいと願うたび 風に花にあなた見つける あなたは私の世界に変わった」
の歌詞で以下の言葉を想起していました。

人間は2回死ぬっていうの。
1回目はその肉体が滅んだ時。
2回目はその人の記憶がこの世界から消えてしまった時。その人のことを覚えている人がいなくなった時。

これは「NOeSIS」というノベルゲームの、ある登場人物のセリフです。
僕が高1でNOeSISにハマって以降、根本的な価値観から進路までこのゲームに変えられたり、12年経った今でも折に触れてやり直しています。
(iPhoneならリメイク版、AndroidならHDリマスター版があるので、騙されたと思って「嘘を吐いた記憶の物語」だけでもやってみてください。)

本題に戻りますと、先に引用したセリフ曰く、人は1回死んだらその人を知っている人の記憶だけに残る存在になる。
そして生前のその人の記憶を持つ人が全員亡くなった時、あるいは全員から忘れられた時に、第二の死を迎えるというのです。

「あいたいと願うたび 風に花にあなた見つける」からもわかるように、
今ここにあなたが居る光景や、「あなただったらきっとこう言う/するだろう」と思い浮かべることで、記憶の中のあなたと生きることは出来る。

年齢という数字上、私はあなたを追い越してしまう。
記憶の中のあなたは、私の知っているあなたという時間軸で止まったままかもしれない。
他の人にとっては、私の中のあなたという存在はもう理解しようがない。

それでも「あなたは私の世界(を形作る存在)に変わった。(だからまだ死んでいない私と、一度死んでしまったあなたとで共に生き続けることが出来る)」
という、ある意味では救われてる気もするし、別の意味では救いようがないとも捉えられる落ち着き方になるよなぁ…と思うのです。

この曲における私にも、本記事を書いている僕にも、この落ち着き方で私が救われることになるのかわかりません。

しかし、これからも私の記憶で寄り添い続けてくれて、私の指針になり続けてくれるあなたに対して、
「いつか心から きっとありがとう」を言える私になりたいという、心細くて心強い感じが、本当に最後までリアリティたっぷり。


最後に

本記事では、 ビタスイの『29歳』のMVを28歳がひたすら語っていきました。
僕が自分の状況とどう重ね合わせていたのかはあまり言及しなかったため、全体的に薄っぺらく思われてしまったかもしれませんがご容赦を。

実はこの曲は、初披露のライブ(Bitter & Sweet Standing Live 2024~Excite~)で聴けていました。
その時から「歌詞を聴かせるために全ての要素が組み合わさった曲」という印象を持っておりましたが、MVを見返しまくって、強い生々しさと共に歌詞が腑に落ちていった実感が。

個人的には、ちょうど聴くべきタイミングでこの曲に出会えて良かったです。