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とけたアイス、 とけない怒り

ある夏の日。

私は小学六年生で、自分の部屋で一人、棒アイスを食べようとしていたところだった。夕方、もうすぐ日が暮れようという時間になっても、まだ部屋の中は暑く、椅子の上に立てた膝の内側にじっとりと汗がにじむ。

階下にいる祖母に名前を呼ばれ、私は「なあに」と声を上げた。普段、祖母は台所とトイレのついた自分の部屋で過ごし、私たち(両親、私、弟)とは別々に生活していた。けれども、何かがあるとこの時のように部屋から出てきて私たちに声をかけた。たとえば、背中がうまく掻けなかったり、ちらしの細かい文字が読めなかったりした時なんかに。

父がいる時には父が、そうでなければ母が、どちらともがいない時には私が祖母の相手をした。この時、父は仕事で、母は買い物か何かで留守にしていた。

すぐに終わる用事だろう。そう思って、私はまた「なあに」と言って、祖母の元へと階段を降りていった。食べかけのアイスは、学習机の上に置いた袋にのせたままにして。

「お前の母さんは、馬鹿だ」

階段を降りきらないうちに、祖母が言った。私は一瞬意味がわからなくて、ポカンとした顔をしたと思う。そんな私に向かって、祖母は次々に言葉を投げつけた。

お前の母さんは馬鹿だ。こんな時間に出かけるなんて馬鹿だ。今日だけじゃなくて、一昨日だって何だかわからない用事で出かけていった。それだけじゃない。アンナコトモスレバコンナコトモスルアレガデキナイコレガデキナイ。

祖母と母の折り合いが悪いらしいことに、気づいていないわけではなかった。祖母といる時の母はいつも気を使っているように見えたし、祖母は決して母に笑いかけることがなかった。私は気づいていた。だけど、大人たちがそれを言葉にすることがなかったから、まるでないように振る舞っていたから、私も知らないふりをしていたのだ。

それなのに、あの時、祖母はいろいろなものをすっ飛ばして、私に現実を投げつけた。ほのめかすとか、遠回しにとか、そういう心づかいは一切なかった。言葉で、表情で、視線で、声色で、全身で、お前の母親が(そして、お前が)大嫌いだと叫んでいた。知ってたよ。私、それ、知ってたよ。でも、それ、みんなで知らないふりするきまりじゃなかったの?

私は呆然として、でもすぐに、我に返った。我に返って、怒り狂った。だって、本当はずっと、ずっと前から、不安だったから。本当はずっと前から泣きたかったし、怒りたかったから。私は「お母さんは馬鹿じゃない」と怒鳴り、「謝って」と詰め寄った。頭が熱くなり、体も熱くなった。熱い頬の上を、熱い涙がこぼれた。

反撃は火に油を注ぎ、祖母はさらに大きな声を上げた。私は祖母の言葉にいちいち反論した。同じように大きな声で。そうしているうちに、母が帰ってきた。

すぐに状況を察したらしい母は、激昂する祖母にひたすら謝罪を繰り返し(「ごめんなさいごめんなさい私が悪いんです」)、「あなたは部屋に行ってなさい」と私の背中を強く押した。気持ちのおさまらない私は一度首を振ったものの、「いいから」という母の言葉に促されて、二階の部屋へと戻った。

部屋に入ってドアを閉めると、さっきまでと何も変わらない空気がそこにあった。昼間の暑さの名残をはらんだままの室温、それをかき混ぜる扇風機、窓から覗く夕焼けの空。何も変わらないのに、私だけがまるで別人みたいに変わってしまった気がした。机の上の、どろりと溶けたアイスみたいに、もう元には戻れない。

その夜、私は父と母に説明を求められ、夕方に起こったことをそのまま話してきかせた。祖母の言動を思い出すと、再び怒りで体が震えたけれど、だけど、心のどこかで誇らしさを感じてもいた。私はきちんと怒ることができたのだ。母を侮辱した祖母を「そうじゃない」と否定できたのだ。こわくても、ちゃんと。

だけど、両親はそんな私に「もう言い返したりするな」と言った。何を言われても「はいはい」と聞いていればいい。ただニコニコと笑ってやり過ごせ、と。

私はしばらく両親の顔を見つめてから、「わかった」と頷いた。他に言いたいことがないわけではなかったけれど、苦しそうな顔をした二人を前に、それを言葉にすることはできなかった。

それから、祖母は母や私たちに対する不満を隠そうとしなくなった。態度はますます高圧的になり、日常的に暴言を吐いた。それでも気がすまない時には、あたりにあるものを投げてよこした。新聞紙だとか、座布団だとか、植木鉢だとか。私たちを寝かせまいと、夜通し、大きな音でレコードをかけた。でも、私は二度と祖母に歯向かわなかった。両親の言う通り、黙っていれば、祖母が起こす嵐はいつかはおさまった。黙って頭を下げ、布団にくるまって耳を塞いでいれば。

以来、祖母に対するその態度が、その他のあらゆる不快な出来事に対する私の態度の基本方針となった。とにかく終わりだけを願ってやり過ごすこと。胸のうちに怒りがわいても、その熱を即座に冷やしてしまうこと。冷やして固まった感情は、別のものにすりかわる。たとえば、軽蔑だとか、憎しみだとか。

それは、たぶん、間違ったことだったのだと思う。だって、苦しいから。ずっと凍ったままの冷たい感情を抱えるのは苦しい。もう何十年も前の出来事を憎み、ずっと前に死んでしまった人間を憎み続けるのは苦しい。忘れ去られた冷凍室の氷みたいに、霜だらけになって動かすこともできない憎しみを抱えたまま生きるのは。だったら、ちゃんと熱があるうちに、燃やしておきたかった。

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家での生活が続いている。日々はいたって穏やかだ。夫と娘と家族そろって、基本的には笑って暮らしている。夫は在宅勤務。不便なこともあるみたいだけれど、家族との時間が増えて嬉しそうだ。

私は仕事を休み、同じく保育園を休む娘と日々を過ごしている。絵を描いたり、本を読んだり、歌を歌ったり。時々、娘は「お友達に会いたいなあ」などと口にして私を切ない気持ちにさせるけれど、概ね楽しそうだ。好きな時に好きなことをして、飽きるとごろりとソファに転がって、そのまま昼寝をしたりしている。愛し方が乱暴なせいで敬遠されていた猫とも、この休みの間にずいぶんと仲良くなった。

けれども、そんな穏やかな日々の合間で、私は何度もあの時の自分の怒りを思い出している。あの時の怒りや諦めや絶望感を。それは、たぶん、この穏やかな日々の合間で、あの時と同じように、怒りを感じているからなのだと思う。そして、いつもみたいに、その怒りを瞬間冷凍することができないでいるから。

「よくあることだ」「私には関係ない」「怒ったって何も変わらない」。そうやっていつもみたいに怒りを他の何かにすり替えてしまうことが、なぜだか今はできないでいる。たぶん、してはいけないのだと思っているから。ちゃんと、怒らないと、怒りたいと、思っているから。

だけど、ずっと長いこと「怒らないように」とやってきたせいで、上手な怒り方がわからない。「上手に」なんて考えている時点で、何か、きっとちがうのだ。

怒りにまかせて怒ってしまおうか。そう思うと、あの時の祖母の姿が思い浮かぶ。激しくて、恐ろしくして、どこか気持ちよさそうで、すごく不幸そうに見えた祖母の姿。怒るのはこわくて、とても難しい。

だけど、もう閉じこめてしまいたくない。それでは、だめなんだ。でも方法がわからない。だけど、諦めてしまいたくない。私は、溶けたアイスなんかじゃないはずだから。まだ、間に合うはずだから。だから、私はちゃんと怒らないと。



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