つまらないものが連れてくるものもある
夫と結婚してまだ間もない、初夏の頃の話。
休みの前日の夜、夕食を食べ終え、とりとめのない会話をしているうちに、「映画が観たいね」という話になった。
歩いてすぐのTSUTAYAに行くという手もあったけれど、夫が以前から気になっていた映画が上映中だという。調べてみると、高速で30分ほどの映画館で、レイトショーをやっていた。急いで出かければ、なんとか間に合うくらいの時間だった。
夫婦ともにめんどくさがりで、普段だったら、その時点で諦め、「明日にしようか」となっていたはずだ。だけど、その夜だけは、なぜか2人とも気持ちがおさまらず、とにかく出かけようとしたくをはじめた。
「急いで急いで」と、笑ってお互いを急かしながら車に乗り込んだ時、見上げた空は確かによく晴れていて、そこには月も星も瞬いていた。それなのに、高速に乗り込んだくらいから、大粒の雨が降りはじめ、車のスピードが上がるのに合わせるように、雨は嵐のような豪雨に変わっていった。
車中、私たちは、ずっと大笑いをしていた。せわしなく動くワイパーと土砂降りの雨の音をかき消すように、「なんで、こんなひどい雨の中、私たち、わざわざ映画を観に行くんだろう」と怒鳴るように言い合い、笑い続けた。駐車場についても、まだ雨は降り続き、私たちは、ほとんど役に立たない傘をさしながら、走って映画館の中へ入った。
そして、映画が始まった。
映画は信じられないくらいつまらなかった。最初の15分くらいには何とか存在していた「これから面白くなるはず」という希望も、開始して20分がたつ頃には消滅していた。私と夫は、映画館の薄闇の中、視線と頷きだけで相談し、物語が半分も終わらないうちに席を立った。これまで一緒にたくさんの映画を観てきたけれど、途中で退席したのは、後にも先にもこの時だけだ。
映画館を出ると、嵐は嘘のようにおさまっていて、あたりは静けさに包まれていた。それまで無言のまま歩いていた私たちは、車に乗り、ドアを閉めた途端、豪雨の時の続きのように、笑い始めた。
「ひどい映画だったね」と口にしたいのに、笑いすぎてその一言が言えない。いつもは冷静な夫が、ハンドルに覆いかぶさるようにして大笑いする姿もおかしくて、それを見ているだけでも次から次へと笑いが生まれ、自分でもだんだん何がおかしいのかわからなくなるまで、笑いは続いた。涙が流れ、お腹が痛み、息が苦しくなった。
あの夜のことは、夫婦の間で何度となく話題になり、つまらない映画や漫画の話をする時には、「あの映画よりマシかどうか」が判断基準になった。そして、あの夜のような豪雨が降るたびに、私たちは映画のタイトルを言って、笑い合う。あれから、もう、何年もたっていても。それから、たぶん、何十年が過ぎ去っても。
もし、あの時、私たちが、出かける前に映画の評価を見ていたら、あるいは天気予報をチェックしていたら、あの夜のことは起こらなかったにちがいない。実際、あれから私たちは用心深くなり、映画を見る前にはネットで簡単に評判を確認するようになった。
だけど、もしかしたら、そうすることで、私たちは何かを手に入れそこなっているのかもしれない。あの夜みたいな、無駄で、くだらなくて、他の人には何の価値もなくて、でも、何年たっても忘れられないキラキラとした記憶みたいなものを。
世界にはたくさんの情報があふれ、人類がつみあげてきた成功事例だとか、ノウハウだとか、ライフハックだとか、そういうものをたくさん知ることができて、とても便利だけれど。
でも、いつもいつも最短距離での成功を目指して、効率のよい道ばかりを選んでいると、出会えないものもある。それは、「失敗からの学び」みたいな高尚なものだけじゃなくて、あの夜の大笑いみたいな、人生になくてもいいんだけど、でも、あるとちょっとだけだけど、心の色を明るくしてくれるようなもの。誰かとのつながりを感じさせてくれるようなもの。
そう思うと、ちょっともったいない気がしてくる。
今度、何の下調べもなしに、適当に車を走らせ、たどりついた街を歩き、見かけたお店でごはんを食べ、目についた景色を眺めるような、そんなデートに、夫を誘ってみようと思う。
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