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だいたい世界は少しずついつの間にか変わる

学生時代、イトーヨーカドーでアルバイトしていた時のこと。売り場に立つ私は、さわやかな男性のお客様に、こう質問されました。「今日、何時まで?」。聞かれた私は「え!」と小さく叫び、「そんな、困ります、そんなの、私…」としどろもどろに答えました。その返答にきょとんとするお客様。

そう、相手が知りたがっていたのは、お店の閉店時間だったのです。それなのに「自分のバイトの終了時間を聞かれている」→「バイト後『どこかに行かないか』と誘われている」と勘違いをし、挙動不審にもじもじしてしまった私。ああ、今思い返しても恥ずかしい。

娘を産んですぐの頃も、同じようなことがよくありました。一ヶ月検診で、お医者様からの「体重はどうですか?」という質問に、「なかなか減らなくて」と答え、「いえ、お母さんじゃなくて、赤ちゃんの成長具合についてお聞きしているのです」と冷静に返されたり。娘を抱いてる私に向かって、誰かが「可愛いね」と言うたびに、うっかり「いやあ」と照れてしまいそうになったり。

私の世界の中心はどこまでも私でした。
イトーヨーカドーでも、娘でもなく。

でも、この間、ふと気がついたんです。いつの間にか、私は、体重を聞かれても、年齢を聞かれても、好きな食べ物を聞かれても、主語のないどんな問いかけに対しても、まずは娘のことについて答えるんです。いつの間にか世界の中心がずれている。ずれているというか、娘のことを含んで、分厚いものになっている。本当に、気がつかないうちに、いつの間にか。

振り返ってみれば、世界はいつもそんな風に変わります。何か変化がほしかった時、私は、書店の本棚をすがるような気持ちで眺めては、世界をひっくり返してくれる1冊を見つけ出そうと試みたり、出会った瞬間に世界の色を変えてくれる誰かを、雑踏の中から探し出そうとしてみたり、そんなことをしていました。あっという間に、一瞬で、鮮やかに、私と世界を変えてくれるものがあるのではないか、そう思っていました。

でも、だいたいの場合はちがう。世界は少しずつ少しずつ、変わっているうちは気がつかないくらいのゆっくりとした速度で変化するもののようです。そして、変わり終えた後、やっと「あれ?なんかちがう?」と気がつくことが多いみたいです。それとも、もしかして、私が鈍いだけなんでしょうか?

いつの間にか、変わっていた私の世界。変わりたくて変わったわけではないけれど、ここから見える景色も悪くはないようです。少なくても、デートの誘いだと勘違いして、恥ずかしい思いをする機会が減ったことは、喜ばしいことのはず。

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