御伽怪談第四集・第三話「本能寺と死霊」
一
寛文十一年(1671)のこと。京都・本能寺に殊勝なる若い僧侶がいた。名を澤園と言う。医学に明るく療治などもしており、弟の泰山と共に本能寺に勤めていた。僧侶とは言え、ふたりは武家の出であった。医療の心得えのある僧で、武家の出と言えば、播磨に祖先を持つ神祓衆の末裔であろう。織田家に仕え、やがて豊臣家に仕えた神祓衆は、徳川家に追われながら細々と生きて来た。
信長公本能寺の変の後、この寺は焼け落ちて跡形もなくなった。澤園の務める本能寺は、その後、場所を変えて再建されたものである。元々の場所に再建すれば良いのだが、そうはならなかった。と言うのは、信長公本能寺の死後、捕らえられた明智側の武士たちは、すべて首を切られ、本能寺の跡地で火を放たれたからである。もちろん、残酷な見せしめであった。そのため、この頃の本能寺は、本来の土地より東に建てられていた。当時、本能寺のあたりは鬱蒼とした森が広がっており、夜は不気味な土地であった。
さて、本能寺の檀家に七兵衛と言う中年過ぎの男がいた。晩婚であったため、女房とは少し歳は離れていた。だからか、かなりの恋女房であり、誰からも羨ましがられていた。
七兵衛は信心深かった。もちろん、女房のお加代も信心深いことに変わりはなかった。そしてふたりとも、澤園たちに絶対の信頼を寄せていたのである。
そんなある日、女房のお加代が重い病となった。原因は分からなかった。病名すらも分からないまま、死病であることだけが判明した。
かなりの重病であり、毎日、お加代は苦しんでいた。
澤園は、ふと、
——これは祟りの一種かも知れぬ。
と、感じることがあった。
お加代の身元を明かせば、澤園の遠縁にあたる家に仕えていた者だ。もちろん、代々仕える子孫であった。先祖は織田家にも仕えていたと言う。
——祖先の祟り。
この言葉は澤園たちをも悩ませる物事だった。神祓衆であった澤園の祖先たちは、本能寺の変の事件に関わっていた。そして残忍な明智の残党狩りを指揮し、たくさんの首級を焼き払った。まだ百年も経たない出来事である。そうして時々、関わる子孫のどこかに祟りを起こして苦しめた。もちろん、霊力の高い者ばかりが狙われた。
七兵衛は女房が重い病のため、澤園に療治をしてもらっていたのだが、死病であり回復する兆しもみられず、それでも諦め切れなかった。信頼する澤園たちに、
「手の尽くしようもござらぬ」
と言われてしまえば、もうどうすることも出来ないことは知っていた。
病床のお加代とは何度も話し合って、死後の身の振り方を決めていた。お加代も祖先の祟りだと知っていたようである。
お加代は、
「澤園様の手に負えないなら、もう死ぬるしかありませぬ。どうか死後のことを宜しくお願い致します」
と覚悟を決め、化けて出ることがないよう祈っていた。
七兵衛は、毎日、涙に明け暮れていた。
お加代がすでに末期と言う時に、澤園が見舞いに訪れた。
女房の姿を見ると、やはり何かに憑依たかのようであった。髪は逆さまに立ち上がり、顔は朱のように赤くなって、その怖ろしさは言うばかりもなかった。
ニ
澤園は、
「やはり祖先の……」
とだけ申すと、祈るしかなかった。
お加代も七兵衛も澤園も、祖先のことは知っていた。これは彼らだけの秘密であった。
豊臣の残党……と言うだけで肩身の狭い世の中、ましてや、その前身が織田家神祓衆に祖先を持つ者となると、よけいに幕府に嫌われていた。
豊臣家が滅びて七十年。まだ、神祓衆討伐隊が幅をきかせていた。そして明智衆の祟りまで、不幸な子孫たちに禍根を残していたのである。
澤園はお加代の変わり果てた姿を見て、やはり驚いた。額を流れる一筋の汗を感じ心を落ち着けようともした。もちろん、それなりの覚悟をし、哀れにも思っていた筈である。
澤園は幽霊など見慣れていた。先祖代々、しかも生まれつきの霊能者の彼だったが、祟りは初の経験であった。祟りがどのようなものか、憑依されてどう変化するかについての知識はあった。実際にこの目で見ると、やはり聞くとは大違いである。そのことに気づいて焦った。顎をつたう汗は、そのことを物語っていた。
七兵衛は、澤園からポタリと音を立てて落ちる汗を、ハッとして見た。鳥肌、そして体が震えると、はじめて妻の死を覚悟した。
お加代は病床で夫が震えるのを感じ、それを自分の死期と捉えた。遠退く意識の中で、死後のありさまを考えた。
——化け物になって、人の世を脅かすんは、嫌や。
お加代は頭を振って否定した。涙が目から溢れた。立ち上がった髪はどこまでも固く、真っ赤な顔をさらに恐ろしくしていた。目玉ばかりが濡れていて、ギラギラと光を跳ね返していた。お加代は、精一杯、懇願の気持ちで澤園を見た。口は微かに動き、何かを申したように見えた。
澤園は、お加代に顔を近づけて頷いた。
「心配なさるな。そなたの心は受け取り申した」
心残りのまま澤園は本能寺へと帰ったが、果たしてその三日後、お加代は相果てて通夜となった。
いくら化け物のような外見になったとは言え、七兵衛はお加代を愛していた。だからその悲しみは尋常ではなかった。泣き叫ぶ姿は、見るに堪えないほど哀れであった。
寺男の太郎兵衛と次郎兵衛が、七兵衛をお加代の死体から引き離して棺桶に押し込んだ。いつもなら、納棺の時に濡れることなどなかった。しかし、今回ばかりは七兵衛の涙と鼻水で、ふたりともビッショリと濡れていた。
太郎兵衛たちにとって、それはそれは怖ろしい納棺であった。普通、死体は青白い色をしている。だが、七兵衛の女房は違っていた。棺桶に入れる時も真っ赤な怖ろしげな顔をして、髪は逆立ち、体は強張ったまま、なかなか押し込むことも出来なかった。
「こんな難儀な仏は、はじめてですじゃ」
次郎兵衛がため息をついた。
「どうか、祟りなど、ありまへんように……」
太郎兵衛は祈るように手を合わせた。
難儀なのはそれだけではなかった。通夜の時のことである。読経の最中に、突然、棺桶の蓋が割れて死体が立ち上がった。これは温度差や死体の状態で、たまにあったが、髪の逆立った女房の姿はかなり不気味である。慌てて寺男たちが死体を棺桶に押し込んだが、なかなか大変であった。
ただでさえ強張った死体を桶に押し込めなければならなかった。頭と言わず手足と言わずボキボキと骨は折れ、あらぬ方向に曲がりながら、ようやく棺桶に収まったのである。
三
葬儀も終わり、墓場に埋めて、その三日後のことであった。この日は奇しくも六月二日〈本能寺の変〉の夜であった。
雨がシトシト降っていた。上旬であり、晴れていても新月の暗い夜である。京の雨は真っ直ぐに降る。風も吹かず、ただ落ちて来るだけの雨はジメジメして、人の心を憂鬱にさせた。
澤園は弟の泰山と障子一枚を隔てて勉学にいそしんでいた。行燈の明かりの下で、書見代に本を乗せて読んでいた。泰山は座禅を組みながら、兄の声に耳を傾けていた。普段なら法華経のひとつも読むところだが、今夜はあの日である。ここで読むなら『信長公記』が相応しかろう。雨蛙の声に重ねて澤園はしめやかに朗読した。
——すでに、信長公の御座所・本能寺を敵が取り巻き、四方より乱れ入った。信長公も、御小姓衆も、警護の者は向かえ打っていると思った。しかし、刀を打ち合う気配すらなく、ただ外から鬨の声だけが響き、鉄砲を打ち入れる音が続いた。これは謀反であるか? いかなる者の企てぞ? と信長公が申したところ、森乱丸がお答え申した。明智が者と……。信長公はその時、是非に及ばず。
この物語にふたりは涙した。そう遠くない祖先たちの無念さを、かすかに心に秘めてのことであった。そろそろ寝ようかと本を閉じた頃、寺の裏から足音が聞こえた。泰山はそれを聞きつけ襖を開けた。
「盗人でも入ったものか?」
兄の澤園も聞きつけて頷いた。
「心得たり」
即座にギラリと脇差を抜き、待ち構えた。
障子を開けようとしているのか、カリカリと爪を立てる音がした。だが、少しも開かなかった。やがて足音は裏口へ回った。ヒタヒタと裸足の足音が雨の中を遠退いて行く。雨音は静かであった。時々、蛙の声がして、他には何の音もなかったが、しばらくして台所に寝ていたふたりの寺男が大声を出して澤園の元へ走って来た。太郎兵衛が肩で息をしながら、
「あら、悲しや、悲しや」
暗がりで手で顔を覆って泣き崩れていた。
「なにごとであるか?」
明かりを向けると、ふたりとも汗だくになっていた。次郎兵衞が息を切らせながら申した。
「さてさて、怖ろしいことですじゃ」
その言葉だけ申して震えると黙ってしまった。太郎兵衛が口をパクパクしながら続きを申した。
「先程のこっでござりまする。先日亡くなった七兵衛の内儀が現れて、さも恨めしそうに見上げたと思ってくだせぇ」
太郎兵衛は汗を拭いて続きを申した。
「七兵衛の内儀と申せば、お棺に入れる時、真っ赤な顔をして、それはそれは怖ろしく、髪は逆立って、なかなか押し込むことも出来なんだ」
次郎兵衛がようやく口を開いた。
「葬式の準備に、少々手間どってござりまする」
「あぁ、覚えておるぞ」
「その内儀が、口を開いたと思ってくだされ」
太郎兵衛は内儀の口真似をした。両手は七三に構え、さも幽霊ここにありきと言う感じであった。
「喉が乾くほどに、水を飲ませよと申し」
寺男たちはブルッと震えた。
その時、次郎兵衛が手をあげて妙な仕草をした。
「こう、ポッ、ポッと……」
「なんだそれは?」
四
次郎兵衛が首をすくめて申した。
「へぇ、人魂でござい。髪は逆さまに伸びあがり、朱のように赤い顔で、あまりの怖ろしさに……」
ふたりとも抱き合って震えると、次郎兵衛が、
「われが、思わずそこに水があるほどに飲めと叫ぶと、飲み水をたたえた箱に、ハタと手をかけ、ザブンと柄杓を突っ込んで、ガブッ、ガブッと飲んでござりまする」
と、首が痛くなったものか、次郎兵衛はその場にへたり込んでしまった。
太郎兵衛が話を続けた。
「しかし、まことに幽霊とは不気味なるもので、時々、上を向いては、あぁ喉が乾くわいと叫んだと思うと、もうゾッとしてゾッとして。その後は……」
ふたりとも首を傾げた。
澤園は彼らの言葉にこの世の不思議を感じた。皆して、明かりを手に台所へ向かった。
明かりを入れると、水浸しの土間に柄杓が捨ててあった。濡れた足跡が回りについていたが、どこへ行ったものか分からなかった。
寺男たちが不安げに申した。
「前に寺が焼けた時の亡霊が、まだ成仏出来ずに彷徨っておるんやろうか?」
皆で手を合わせ、澤園が経文を唱えた。
それからと言うもの、何度も本能寺の森で、お加代が目撃された。周りを切り取られた明智勢の生首が飛び交う中、真っ赤な顔の死霊がケタケタと笑うと言う。澤園も何度か目撃した。その度に、お加代を助けられなかった自分を恥じた。
——亡き祖父ならば助けられたかも知れぬ。
と思うと情けなかった。
寺の寺男たちも何度か見たと言ったが、あまりに怖すぎて、とうとう本能寺を辞めて逃げ出してしまった。それから何度か寺男を雇ったが、いずれも長続きしなかったと言う。
お加代の死霊は悲しかった。なぜ悲しむのか理由はすでに忘れた。いつも本能寺の森の中で、しかも深夜ばかりに意識を取り戻す。あとのことは記憶すらなかった。毎日毎日、同じような景色の中で過ぎて行く。毎日ではなかったのかも知れないが、そんなことはお加代には分からなかった。
——あぁ、悲しや。
ふと、ため息をつきながら呟いた。
死んでいる者が、ため息などつきようもなかった。そもそも息すらしていないのである。ただ生きていた時の習慣で、ため息のような動きをしただけである。もちろん、話す時に口を動かさない。声帯を震わせて声を出す必要もなく、空気を振動させて声を轟かすことも無意味なのだから必要なかった。
もし、お加代に自分の姿を眺めることが出来たなら、さぞ、怖ろしく思って嘆くことだろう。だが思うことなどあるだろうか? 死霊は感情のままに動くだけで、何かを思ったり考えたりはしないものだ。第一、脳すら持たない死霊にとっての思考は、難解な芸ごとのようなものである。
何年かして、澤園も修行が出来て来たと見えて、ある夜、意を決して、弟と共にお加代の死霊を祓うこととなった。しかし所詮は敵わなかった。悔しくも悲しい思いを互いにして、その夜は過ぎて行った。
結局、このお加代に何が憑依したものか分からなかった。本能寺で亡くなった怨念なのか、それとも三条河原で処刑された者どもか、思いあたる節が多過ぎた。ただ、真っ赤な顔は焼け死んだ者の恨みの念と思われた。本能寺の近くの処刑場では、かの石川五右衛門が釜炒りの刑に処せられたと言う。『諸国百物語』より。〈了〉
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