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播磨陰陽師の独り言・第505話「ビデオデッキ」

 はじめてビデオデッキを見たのは高校生くらいのことでした。β(ベータマックス)が発売されたばかりの頃で、まだVHSは影も形もありません。
 実家がビデオデッキを購入したのは、電気屋さんが売りに来たからです。最近は知りませんが、私の田舎では電気屋さんがセールスにやって来ていました。ほとんど毎月来るのです。新しい家電が発売されると、商品を持って説明しに来ます。今で言うとプレゼンですか? 電気屋さんはソニーの製品を主に扱っていました。
 当時、ソニーは新発明のオンパレードで、カラーテレビにはじまり、ビデオデッキ、ウォークマン、ラジカセなどの見たこともない製品ばかり発売していました。最も電化製品が売れた時代でした。
 最初の頃のテレビはキット販売で、電気屋さんで組み立てて売っていたそうです。その前のラジオも同じようなものですね。だから電気屋さんになるには、テレビを組み立てられるだけの知識と技術が必要でした。その頃、電気屋さんがいつも持っていたハンダゴテを私は羨望の眼差しで見ていました。
 大人になってゲームの仕事についてから、時々、ハンダゴテの作業がありました。自分で使うコンパネにジョイスティックやボタンをつけて配線していたのです。ボードに半導体をハンダ付けしたこともあります。ハンダ付けは割と得意でした。朝まで徹夜でハンダ付けをしていたこともあります。
 さて、βデッキを買ったら、なぜかチャップリンが入ったテープがついてきました。もちろんソフトは発売されておらず、コピー品でした。レンタル屋さんもまだありません。テープは60分物しかなく、一本7000円くらいしました。
 大人になって大阪に住みはじめた頃、ビデオソフトが発売になり、ぼちぼちレンタル屋さんが登場しました。あの頃はまだ著作権とかゆるくって、テレビを録画したテープまでレンタルされていました。勝手に録画した物なので、ラベルはもちろん手書きです。中にはどうやって手に入れたものか、テレビ放送がはじまって間もなくのレアな番組までレンタルされていました。そのレンタル屋さんは火事で焼け、貴重なテープも燃えてしまいました。
 やがてβとVHSの戦争はβが負けて、ソニーもVHSを販売するようになりました。それから8ミリビデオ、DVと形を変え、とうとうHDの時代が来たかと思えば、あっと言う間に録画そのものをする必要がなくなりました。今ではオンデマンドにないものは、最初からこの世に存在していないと思って過ごすようにしています。
 昔は番組表を見ながら録画予約とかしていましたが、あの面倒な作業も今となっては懐かしいです。

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