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播磨陰陽師の独り言・第八十二話「分相応の生き方を」
入院する前、自分で出来る範囲を超え、かなりオーバーワークになっていました。仕事がオーバーワークになると、あちこちに歪みが生まれ自転車操業になってゆきます。しかし、どこかで一度、立ち止まってみなければ今がそうだと分からなかったのです。
これらのことを何度か経験してみて、
——余裕を持った生き方こそが、人間らしい生き方だよな。
と、つくづく感じました。
分相応と言う言葉があります。
どこかで、これが分相応だと諦めなければ、いつまでも、もっと出来る筈だと頑張ってしまいます。頑張ればどこかにシワ寄せがやって来るのです。
人に必要なスペースは、立って半畳、寝て一畳だけです。お腹にいっぱい食べたとしても、せいぜい二合半。これが人の身の程と言うものです。手を伸ばしても届かない物を望めばどこかに無理が生まれ、無理が祟って病となります。多くの場合、手の届かない物事を望むあまりに様々な苦労を背負い込みます。その時は苦労と感じませんが、後になって、突然、厄がやって来るのです。幸いにして、もう少しで手遅れになるところ、何の因果か祖先の守りか、何とか助かっています。
今回の入院も、もう少しで足首を切るところでした。ですが、左足の薬指と小指の骨の一部を失っただけで助かりました。もう、正座することは出来ないと思います。また歩くにも杖がいるようです。しかし何とか他のことは出来ます。これらは、忙し過ぎて無理をした結果なので、真摯にこのことを受け止めて、残りの人生を出来ることを行なって生きようと思いました。これらのこともあって、すべての講座から引退した訳です。
講座を行なっていると、どうしても締め切りに追われます。徹夜でマニュアルを書いていることも少なくありません。また、当日の準備やら、色々な作業で眠る時間もままなりません。そうやって、次第次第に不規則な生活が、日常になって行ったのです。やがて、それらの不規則な生活も、終わりの時を迎えることとなりました。それと同時に、皆さんの学びの時間も終わりました。次は、学んた物事を活用して、楽しむ時が来たのです。そして、自ら楽しみを生み出す人となって後進の人々に伝えてください。
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