播磨陰陽師の独り言・第465話「折り畳み原付」
まだ、ヘルメットを被らなくて良かった頃、原付に乗って会社に通っていました。折り畳み式の、何と言ったかなぁ……ホンダのモトコンポでしたっけ。最近、ガチャポンでこのバイクが出たので懐かしく思い出しました。
オートバイは好きです。しかし、モトコンポなどのスクーター類にしか乗ったことはありません。二十代の頃、会社に通うために乗っていました。当時は尼崎の南武庫之荘から江坂まで通っていました。途中にロシアパンのバルナスがあったので、朝ご飯に買っていました。前にもパルナスのことは書きましたが、あのパンも好きです。ピロシキが特に好きでした。ちなみにピロシキと言うのは複数形の言い方で、中身の違う揚げパンがたくさんあることを意味するのだそうです。これで言うとカレーパンもピロシキになります。あの頃、梅田のロシア料理の店にも時々行きました。隣のメキシコ料理の方が好きでしたけど……。
さて、私がスクーターに乗らなくなったのはヘルメットが強制になったからです。当時は頭に合うものが少なく面倒だったのと、それまでは被らなくて良かったので、突然、ヘルメットと言われても面倒だったのです。それに、今のスクーターのようにしまうところもなく不便でした。
まだ、スクーターに乗っていた頃、ブレーキが故障して、下りの坂で止まれなくなって、足を踏ん張ったら、靴の踵がなくなったことがあります。足の裏は無事でしたが、靴はその日に買い替えました。
あの頃は、スクーターに乗るのが好きでした。真夜中にわざわざ神戸まで遠乗りしたこともありました。夜景がとても綺麗でした。神戸には行くのに、不思議と住んでいた尼崎市内には行きませんでした。夜中もやっている梅田の本屋さんに行くことも、しばしばありました。神戸と京都は同じような距離だと思いますが、京都へ行ったことはありませんでした。
やがてヘルメット使用が義務となり、スクーターに乗るのをやめました。その代わりと言っては何ですが、自転車に乗るようになりました。丁度、運動不足であったこともあり、会社と自宅の往復に自転車が都合良かったのです。自転車には一方通行とかないので、好きなコースを走りました。その頃から、会社の帰り道に銭湯を見つけては入るようになりました。雰囲気のあるレトロな外観の銭湯が好みでした。銭湯へ行くためのセットまで作って、シャンプーや石鹸を入れて持ち歩いていました。
最近は自転車にもヘルメットが必要なそうで、もう自転車も乗らないかも。
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