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御伽怪談短編集・第十七話「貧乏神の挨拶」

 第十七話「貧乏神の挨拶」

 寛政(1790)の頃のこと。予は歌人の津村淙庵そうあん。叔父の見た不思議な夢について少し語ろう。
 叔父が壮年の頃のことである。ふと、昼寝していた時、妙な夢を見た。ボロ切れをまとった乞食らしき老人が座敷に姿を現わし、そのまま黙礼したのである。
——はて、知り合いであったか?
 と思う間もなく、老人はトントントンと軽やかに階段を上がり、二階へ行ってしった。もちろん、ただの夢である。ちなみに叔父の家に二階などない。その時、天井から、何やら貧乏臭いホコリが舞うような気がしたと言う。
 叔父はそのことを語るたび、
「階段を上る足音が下まで響いてござった」
 と申し、むせて咳込んでいた。
 不思議なことに、それより後は万事がうまく行かず、家も次第に貧しくなって行ったと言う。
 そのことを考え、ふと、叔父が申していた。
「これは、いわゆる貧乏神と言うものではあるまいか?」
 叔父の意見はもっともである。貧乏神は俗名で、正式には〈まづしきの神〉と言う。窮鬼きゅうきと呼ばれる悪霊の一種である。人の夢に現れては、挨拶して居座ると言う。すると、迷惑なもので、しばらく貧乏になる。しかし、幸いなことに数年で去って行く。それを過ぎて四年も過ぎて、まだ貧乏なようであったら……それは貧乏神のせいではない。貧乏体質が染み付いているせいである。考え方そのものが貧乏体質になっているからだ。
 これは、生活パターンや、物事に対する考え方を変えることで、すぐに抜け出すことが出来るだろう。しかし、嘆いたり、人をねたんだりする者は、なかなか体質を変えられない。頑張って何とかするしかない。物の本に人を妬む者やうらやむ者を貧乏神は好むとある。

 それから四年ほど過ぎたある日のこと。叔父がぼんやりと昼寝をしていると、また、おかしな夢を見た。ボロ切れをまとった老人が、今度はトントントンと二階から降りて来たのである。何度も言うようだか、叔父の家に二階はない。今度は貧乏神が別れを告げる夢を見たと言う。
 老人が申すには、
「わしらは貧乏の神と言うやつじゃ。四年前にこの家にやってよったが、他に用も出来たによって、ただ今、ここよりぬる」
 とのこと。
 叔父が驚いていると、また、老人は言葉を続けた。
「わしらが出て行ったら、焼き飯に焼味噌をこしらえて……隅切盆おしきに乗せて、裏口から持ち出し、近くの川へで流すべし」
 と申した。
 隅切盆と言うのは、四角い盆のことで、神事に使う白いものを意味する。
 叔父は、
——おかしな夢を見るものだ。
 と思ったと言う。夢であることを自覚していたのだ。
 老人は、さらに続けた、
「心して聞くが良い。これ以後、焼き味噌をこしらえるべからず」
 と、ニヤリと笑って、
「貧乏の神と言うんは、ことの他、焼き味噌が好きなものじゃ。焼き味噌ばかりではない。味噌を生のまま食べるは、さらに悪い……」
「なんと?」
「味噌を焼く火の気すらない貧しさと思い、喜んでやって来る」
 そう語り終えると老人は品なく笑い、夢から覚めたと言う。
 叔父は、教えられた通りに焼き味噌を川へ流した。それ以降、生活に困ることはなくなったと言う。
「不思議な夢を見たものにござる」
 と、ある時、首を傾げながら話してくれた。『譚海』より。〈了〉

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