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播磨陰陽師の独り言・第百八話「ゲーム業界の野球大会」

 ゲームの開発をしていた頃、大阪の服部緑地の野球場で、ゲーム業界の野球大会がありました。京都チームと大阪チームに別れて戦いました。
 よく京都チームの人たちに、
「イカリ、売れ過ぎて、疲れてるんと、ちゃうのん。せいぜい、おきばり」
 と野次られたものです。
 当時は、怒IKARIと言うゲームが絶好調で売れに売れていた時期でした。
——やっぱり京都の人はキツイなぁ。
 とか思いながら、空振りしては苦笑いするしかありませんでした。
 ビデオゲームの業界は不思議なもので、
——明日の敵は今日の友。
 を地で行くような業界でした。
 特に開発職はゲーム開発の仕事だけを渡り歩くのです。途中で入社して来る人は、以前にどこかのゲーム開発に関係していたと言うことになります。野球大会でもしようものなら、敵も味方も知り合いばかりなのです。
 当時は、特に大阪の江坂には、主なビデオゲーム関連の本社や支社が集まっていました。
 あの頃は、まだ、コナミの開発も江坂にあってナムコの大阪支社や他の会社も多かったです。
 ここに、
——主にビデオゲームの……。
 と書いていますが、パソコンのゲームは業界が別でした。パソコンのゲームはパソコンの業界で開発されています。
 一方、ビデオゲームはアミューズメント業界なので、ゲームセンターやドリームランドに置くマシンと同じ業界です。古くは、ジュークボックスや自動販売機も同じ業界でした。似たようなものにパチンコ業界がありますが、あれはあれで別な業界です。
 ビデオゲームの開発を仕事にしていた人は、会社を辞めても、やはりビデオゲーム関連の会社に入ります。同じように見える家庭用ゲーム開発の仕事でも、違う業界の会社を選ばないのでした。その理由は、仕事のやり方や発想が大きく違っていて、他の業界に馴染めないからかも知れませんが……。

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