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不幸のすべて・第四十二話「人生を生きる極意」

 今回のブログ『不幸のすべて』第四十二話は番号が不吉ということもあり無料といたします。次回からは、また、有料となりますことを予めご了承ください。


 さて、夢は必ず叶いますというと、このブログを読み続けている方には分かると思いますが、はじめての人はにわかに信じられないかもしれません。

——だとしたら、わたしの夢が叶わないのはなぜ?

 と質問される方も、いらっしゃるかも、知れません。そう思う方は、この『不幸のすべて』を第一話からお読みになることをおすすめします。
 しかも、そんな質問をすること自体、夢を叶える意識とは無縁です。そしてその人が、夢や希望を持っているかどうかについても分からないと思います。
 人がこの世に生きて叶える夢や希望とはそもそもごく個人的な欲望とは違っています。
 この『不幸のすべて』第二十二話に、

——内欲の内、まず、四欲七情を征したる後、三欲を征するべし。

 と書いていますが、どんなに望んでも四欲七情に基づくものは叶わないのです。宇宙や自然の法則を無視した欲望は決して叶うことはありません。
 さて、

——祭礼を無視して生きる人は、その人生において、夢や希望を持てはしないのです。

 と、前回のブログに書きましたが、それはその人が、

——自分はこの先、ずっと生きている。そして老人になる日は遠い。

 と思っているからです。
 そう言う言葉そのもので思っていることはないのかも知れません。しかし、多かれ少なかれ、そのようなことを心の隅で考えてはいませんか?
 では、お尋ねします。

——明日は死を迎えるかも知れないので、今を必死で真剣に生きよう。

 と思ったことはありますか?
 もし、それがある方は、まだ、夢や希望を持てる方です。もしそれがないとしたら、ではまたお尋ねします。

——あなたの夢は、そしてこの世での希望や覚悟はどのようなものですか?

 あなたに潜んでいる能力や可能性は、あなたが覚悟して思いきりさえすれば、この世界を変えることだって出来るのです。
 人類の誰かひとりでも出来たことは、学び、そして努力すれば、誰にでも可能なのです。先人が道をつけてくれているのですから、それは決して無理ではありません。そのことに気づいてください。
 つまり、あなたの可能性は、

——この世を変えられる力を持っている。

 ことなのです。
 その力を、世のためそして人のため、存分にお使いください。とか書いておいて、

——それでは、皆様、お幸せに。

 とかで終わると良くある内容のない本や怪しげな宗教関係に勧誘する時のようになってしまいます。
 播磨陰陽道はそう言うものとは違いますが、あなたが幸福について思っていることは少し違うかも知れません。あなたが幸福になるためには覚悟と努力が必要です。しかし、たとえば、全財産を投げ打てとか、毎日の日課として厳しい修行に明け暮れる必要があります、とかは書きません。それは無理というものです。最初から人に出来ない種類の努力を強制しておいて、

——あなたがそれを出来なかったので、教えているところに達しなかったのです。

 と言い訳にする種類の物事は多いです。そのような言い訳は嫌いです。無理をしなければ出来ないことをしなければならないとすれば、それは最初から人には無理なのです。
 たとえば、

——完全に禁欲し、その後、悟りを開く。

 とかは絶対に無理だと考えています。
 これは私の個人的な考えではなく数千年にわたる播磨陰陽道の公式な見解です。そして何世代にわたる伝承の中にも、無理をして聖者になった人に出会った祖先など知りません。
 これは秘密ですが、

——人が努力して悟り聖者になるなど、所詮しょせんは、ざれごとにすぎない。多くの聖者を訪ね歩けど、彼らの心は児戯に等しく、決して彼らの思うものではない。

 と伝えています。その証拠に、

——自分は神や仏にすべてを教えられ、この世の真理も真実もすべて知っている。

 と口走るにわか霊能者が何と多いことでしょう。この種の人に対する対応の方法を純粋な技法として播磨陰陽道では伝承しています。
 私も何人かにその技法を使いましたが、相手はすぐに感情的になり自滅して行きました。
 感情的になって自滅すること自体、悟れている人の心であるとは思えませんでした。
 もし、それを悟りと呼ぶりなら、あまりにレベルが低すぎます。
 話は少し脱線しましたが、では、どのような覚悟と努力が必要だというのでしょう?
 それはこの世界を変える覚悟です。あなたの小さな世界を変えるべきだと言っているのではなく、この世界そのものを変える覚悟が必要なのです。

——それは大きな概念を持ってください。

 という意味です。
 人は小さな概念を持つことにより、もっと小さな世界に閉じこもりがちです。そして、努力とは毎日のではなく時々のです。
 毎日、必死でする努力にはやがて無理が来ます。
 常に播磨陰陽道では、

——決して手の届かないものを望むべきではない。

 と言っておりますので、無理な努力をすべきではないのです。
 無理なことは、どんなことがあっても無理ですので、それは自然の法則には叶いません。
 自然の法則にそくして努力しなければ効率も悪く無駄というものですが、この続きは次回に譲るものとして、では、あなたの幸福が、常にゆるぎなきものでありますように……続く。

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