播磨陰陽師の独り言・第515話「どこにもない声優文化〈後〉」
モノクロ・テレビが発明される前、放送の主流はラジオでした。その頃、ラジオドラマが主流でした。今でもラジオドラマはありますが、映像で放送される種類のテレビドラマの概念は、まだ、ありませんでした。テレビそのものがなかったのです。
映像と言えば、すでに映画は発明されていました。これは映画館と言う特別な施設に行かなければならず、個人の家で見ることは出来ません。
まだ、ラジオも高い時代だったので、町内のお金持ちの家にしかラジオはなく、近所の人々が集まって、皆が正座して聴いていたそうです。
当時、ラジオは音声だけなので、放送劇団のメンバーは声優でした。生のオーケストラと効果音を出す係、そして声担当の声優たちで質の良いドラマが放送されていたのです。
そんなある時、テレビが発明されました。まだモノクロでしたが、映画館のようなリアルな映像が、個人の家でも楽しめる時代がやって来ました。テレビがラジオと違っていたのは、街頭放送があったことです。たくさんの人々の目に触れる場所にテレビが設置され、野外で放送を見ることが出来ました。そして、テレビは瞬く間に国中に広がったのです。
しかし、このことが原因となって、声優の仕事が減り続けます。放送の中心は映像なのです。声だけの俳優に用はありません。失業する声優も増えて行きました。そんな時、そこに、突然、救世主が現れます。
外国のテレビドラマ放送で、日本語吹き替えが必要となったのです。声だけの演技なら右に出る者はありません。顔がテレビに出ない声優たちが大活躍することになりました。それからアニメの時代がやって来ます。
日本のみを対象と考えていたアニメ作品でも、オンデマンド配信により、全世界同時に観ることが出来るようになりました。こうなると吹き替えはもう間に合いません。多くの作品は字幕で配信されました。ただでさえ英語版の吹き替えが不評だったので、コロナ禍のせいもあり、日本語のまま字幕で配信されたのです。
こうなると世界が黙っていません。やがて、アメリカのアニメである『スパイダーマン』まで日本語吹き替えの方が賞賛されるに至ります。英語圏の人々が、オリジナルではなく日本語吹き替え版の方を褒め称えるのです。これは驚くとしか言いようもありませんね。
それで世の中が変化しました。世の中と言うのは外国の話です。特にアメリカの子供たちが、会話に日本語を挟むように変わったのです。たとえば母親を英語で〈ママ〉とではなく、日本語で〈お母さん〉と呼んでみたりするそうです。日本でも戦時中、兵隊たちが中国語混じりの日本語を話していました。これを〈兵隊支那語〉と言います。
一方、中国人たちは日本語混じりの中国語を話していたのです。言葉はそうやって混じり合って行くのですね。そして言葉を通して日本人的な感覚も……。
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