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不幸のすべて・第七話「言葉を糺す」
前回の最後の部分に、
「社会を糺すには、大人が言葉を糺すことこそが必要とされていると言うことです」
と書きました。
糺すとは、正しいと言う意味ではありません。乱れているものを最初の状態に戻すことです。それはつまり、言葉を元に戻すと言う意味を含みます。
現代社会では、何重にも省略された言葉を勝手に使い、相手に伝わっていると思い込んでいます。しかし、ほとんど伝わっていません。何となく雰囲気で伝わったような感じがするだけのことです。外来語の省略形を多く使う人は、特に伝わっていません。
日本で、日本人に対して使う日本語なのに、何語でもないジャパニーズ・イングリッシュばかりを挟み込んで使っていれば、伝わる筈などありません。正式な英語発音ではないので、英語圏の人には理解出来ません。また、日本語としても曖昧な使い方過ぎて、人によっては誤解を生じます。これらは、良く分かっていないことをかき回して伝えたようなフリをするために、わざわざ使っているのでは?と、思います。言った人にも、聞いた人にも、責任の所在が明らかにならない言葉使いなのです。つまり、責任逃れの話術です。こんな言葉使いばかりしていると、乱れるのも仕方ありません。
言葉の使い方を〈糺す〉とは、省略された言葉を使わず、本来の日本語で、しかも責任の所在を明らかにしながら、明確に伝わるように話すことです。ちょうど、着物の襟を糺すのと同じことを言葉の中で行うのです。
大人が言葉を糺すと書きましたが、これは、子供や目上の者に対してと言う意味です。
われわれ播磨陰陽師には、
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