御伽怪談短編集・第十三話「参拝は心の糧」
第十三話「参拝は心の糧」
最近はあまり聞くことはないが……少し前まで死に逝く者が別れを告げに来ることは、普通の出来事だった。これは江戸時代も後期に、拙者・佐藤中陵が山形へ薬草の調査に赴いた時、善勝寺の天膳和尚から聞いた物語である。
米沢に町田弥五四郎と言うご隠居が住んでござった。彼は常に阿弥陀仏を信じ、何年も前から、毎日、善勝寺に参詣しておった。いつもひとりで来ていた。お付きの者もなく、ただひとりで歩く姿を見るにつけ、
——それにしても足腰が達者なものじゃ。
と感心していた。ご隠居は杖をついていた。遠くから杖の音がして、
——もうすぐここを通るな。
と感じたものである。
拙僧は、杖の音を見計らって出迎えた。
「よぐござったなっす」
ご隠居はいつものように挨拶を返してくれ、明るく微笑んだ。本堂の阿弥陀仏を参詣し終えると、必ずご隠居は戻って来る。拙僧はその時にお茶を出して、いつもの茶話を楽しむのである。最近の話題は少し暗いものばかりでござった。
ご隠居が、また、尋ねた。
「人は亡くなると、すぐに極楽へ行くものにござるや?」
この話は何度か申しておる。拙僧も嫌がらずに同じような答えを告げた。
「いやいや、まずは現世をさまようて、その後に三途を渡り、閻魔王の前に引き出され、地獄か極楽のいずれかに参るものでござるぞ」
ご隠居は、ふぅとため息をつき、
「死んでも、まだ、行きたいところがあれば、さまよう内に行くことも出来まするかや?」
「人、死して、しばらくさまよう……とも申す言葉の通り、身内の者にも挨拶をして、思い残すことのなきよう、歩きまわるとも申しまする」
「いったい、いつまで歩くものであろう?」
「その者や、まわりの者たちが死を知り、諦めた時まででござるな」
「そうであるか」
とご隠居は笑った。それからふと、
「まわりの者が知るまでか……」
と、小声でつぶやいた。何かその姿には寂しげな雰囲気があった。ここ数日は、同じことを話すご隠居を、拙僧は不思議に感じた。
――少し頭の方が……。
とも思ったが、他の受け答えはハッキリとしていた。
ご隠居は、時々、
「家が近い故、楽でござる」
とも申されて、だから毎日来れるとも申しておったが、詳しい場所は聞きそびれた。これがこのご隠居の日課となっていた。
ご隠居は、
「年のせいか、もう二ヶ月も患っておりまするのじゃ」
と申されていた。それでも毎日、寺をお参りしていて、中々達者なものと感心していた。
拙僧は、毎日来てくれるご隠居と親しくなり、いつもの茶飲み話を楽しみにしていた。
だが、最近、拙僧は、
——人はある程度老いると、死後の世界を気にやむものであろうか? あるいは、毎日、阿弥陀仏を拝む内に、心はその方向へ向かうものであるのか?
寺や仏事に慣れ過ぎた拙僧は、時々、そのようなことを考え、反省するようになった。
——仏事に関わる者が、仏を蔑ろにすべきではないないのじゃな。
とも考えるようになった。
さて、もう秋も終わりのことでござる。以前から拙僧が彫っていた仏像がようやく完成し、ご隠居に渡そうと思ったことがござった。その日は珍しくご隠居が当寺を訪れることはなかった。一刻も早く仏像を渡したかったが連絡の術がない。
——こちらから連絡するには、いかがなすべきであろう?
と、しばらく考えあぐねていた。付き合いは長いが、なにぶん、待っているだけの楽しみ。こちらから連絡しようにも、屋敷すら存じてはいなかった。
そんな夕方近くのこと、寺男がご隠居宅の下男を案内して来た。下男は佐平と名乗って挨拶をした。
「おぉ、ちょうど良いところに……」
と、拙僧が言いかけた時、佐平は目に涙をいっぱに浮かべ、出来るだけゆっくりと、しかも丁寧に告げるのだった。
「町田のご隠居さまが、昨晩遅く、お亡くなりになりましてごぜぇますだ。今晩、通夜をお願い致しますだ」
口籠っていた。
話を聞いて、拙僧は首を傾げた。
「はて、昨日も昼頃に来て弥陀に祈って帰っられたが、その時は元気そうであったぞ。何故、死んだと申すのじゃ?」
すると、佐平は首を左右に振って申した。
「そんな筈はござんせん。このふた月もの間、ずっと床に伏しておられ、部屋から出ることすらかなわず」
「えっ?」
「昨夜、にわかに息を引き取りましてごぜぇまする」
この時に至り、拙僧は、はじめてご隠居の魂が体を離れ、毎日、寺に来ていたことを理解した……。初雪がちらついていた。
死に逝く人は親しい人々に会いに行くと言う。肉体から魂が離れて、遠くにいる身内や友人に挨拶する……とも言われているが、実際は、単に普通に現れるだけで、挨拶するようなことは少ないようである。
人によっては、寂しいと叫ぶだけで、何もしない場合も多い。『中陵漫録』より。〈了〉
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