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御伽怪談第ニ集・第五話「不名誉な噂〈前編〉」

  一

 その昔、ろくろ首は病気だと思われていた。しかも、単なる病などではなく、化け物となる病である。深い業を持つ者がかかるとされ、感染うつると誤解されていた。そのため、もし、ろくろ首であることが分かれば大変なことになった。いわれのない差別を受けたのである。もちろん、本当のろくろ首かどうかは問題ではなかった。噂になっただけでひどい扱いを受けることとなった。このような悲劇にも似た境遇から幸福になった者がいた。

 宝暦(1750)の頃のこと。少ない元手で貸本屋をして世渡りする若者が増えていた。彼らは神田に住むようになり、貸本屋の聖地として知られるようになっていた。
 当時、本を買うのは一部の金持ちかサムライだけのことである。買えないとしても、庶民も本は読みたい訳だ。識字率は高く、楽しみで読む者も増えていた。しかし、公共の図書館がある訳でもなく、貸本屋が主流となっていたのである。
 それより百年ほど前、木版画により印刷技術が格段に進歩した。お経などを印刷する一部の印刷物はすでに活字が使われていた。しかし、絵を入れるのが困難なことや、校正に手間が掛かるなどの理由ですでに廃れていた。
 宝暦の頃になると、すっかり版木の時代に変わっていた。大量の出版物が巷に溢れ、初の怪談集『諸国百物語』が出版されていた。また上方からは新しい文化として井原西鶴の『世間胸算用』が次々に出版され江戸でも流行りはじめていた。それらに伴い、版元から本を借りて家々を回わる貸本屋が生まれ、利鞘りざやを稼いでいたのだった。

 そんな頃、神田・佐柄木さえき町の裏路地に、貸本屋を営む次郎兵衛と申す若者がひっそりと暮らしていた。彼は本をよく読んでいた。新しい物は発売前にことごとく読みあさり、貸す時の講釈を工夫していた。頭は良かった。だが家は貧しく、働いても稼ぎは少なかった。もっと売れる怪しげな本を高値で貸せば良いのだが、次郎兵衛はお客様に良い本だけにこだわって、いつも誠実な商売をしていた。
——正直者は馬鹿を見る。その言葉は、まるで次郎兵衛のためにあるようなもので……。
 と、この話をした彼の友人が申しておった。

 さて、その頃、江戸から遠い浜松の、気賀けが宿近くに徳ある名主がいた。田畑も六十石あまり持っていた。この広さはひとつの村に相当した。
 青山組屋敷に住む鉄砲与力の年収も同じ六十石であるが、こちらは幕府から与えられる手当ての金額。土地の広さのことではない。土地だけで六十石を持つ名主は、普通の名主と比べてもはるかに豊かであり、小国の領主にあたる暮らしぶりであった。この名主、名を参左衛門と言う。
 参左衛門にはひとり娘がいた。悪い噂もあり名を明かせぬが、仮に〈お駒〉とだけ呼んでおこう。お駒は美しい娘であった。二、八の十六の頃を過ぎて、両親も入婿いりむこの相談をしていた。だが、誰に相談しても思わしくなかった。お駒が普通の娘なら、さしずめ、娘ひとりに婿八人と言うところであろう。冨貴ふきの家の美しい娘である。誰もが望む筈であった。ただ現実はそうではなかった。
 両親も大いに嘆き、
「貧しい家からでも良いから、どこかから婿むこを取ろう」
 方々苦労して探していたと言う。お駒の縁談がうまく行かない原因は、ある噂にあった。


   ニ

 お駒は村の中で、
——かの娘は、ろくろ首だから……。
 と噂されていた。
 もちろん、根も葉もない噂であった。しかし、火のないところに煙は立たぬと、誰もが敬遠するのである。
 この時代……特に田舎では……ろくろ首と噂されただけで言い知れぬ差別を受けた。いわゆる身分によるものや、地域によるものよりもきつい差別であった。とにかく表立っては誰も何も申さない。陰口を叩くこともなく、話題にすらしないのである。存在そのものを無視するかのような無言の圧力が、お駒にもヒシヒシと感じ取れた。
 悪ガキなどは石を投げ、
「やーい、化け物」
 など、心ない暴言を吐いた。単に怖れてのことであった。言い知れぬ恐怖と不安が弱い者に向けられた。噂は近郷近在にも広まり、お駒を歓迎する者などなかったのである。
 もちろん、両親も噂は耳にしていた。しかし、世の中には〈飛頭蛮〉と言う抜け首の病があり、それを治す漢方薬があることなど知りもしなかった。村の誰もがそんなことは知らなかった。ろくろ首は、単に治れば良いだけの病である。そう思われている土地もあったのだが……。
 両親がお駒に何となく尋ねてみると、
「いささか覚えもありませぬが、時たま、山川さんがを見回る夢を見ることがありまする。そのような時に、わらわの首が抜け出るのや?」
 と首を傾げた。
 だからと言って誰も実際に、飛び回るお駒の首を見た者はいなかった。このことは、単にられた馬鹿者が、逆恨みして流した噂に過ぎなかったのだから……。
 しかし、それは後になって分かったこと。その時は心配するだけ心配して、何事も解決しなかった。心配している間は解決しないのは世の常である。いっそのこと、行動してみれば良いのだが、心配する者は動かない。噂話に惑わされ、真実を確かめもしない人々が多い土地では尚更である。
 そして、世間とは、
——一犬いっけん、虚に吠ゆれば、万犬、実を伝たう……。
 の諺のように、根も葉もない噂に尾ひれをつけて、さも真実であるかのように広めてゆくものである。ひとりが虚言を吐くと、多くの者が真実だと思い込み次に伝えてしまう。もちろん冨貴な家へのねたみやうらやましさも含まれていた。
 村はもちろんのこと、近郷近在までもお駒の評判を知らぬ者はなく、誰ひとり婿に来ようなどと思う者はなかった。娘が結婚出来ないことは家が滅びることを意味した。両親はそのことを思うにつれ、嘆き悲しむ日々を送っていた。

 さて、お駒には優しい叔父がいた。母親の弟にあたるこの男、名を佐治兵衛さじべえと言う。彼は毎年、江戸表へ商いに出ていた。
 江戸にはたくさんの人が住んでいる。
——姪の婿養子は、この広い江戸なら、きっと。
 そう思い、江戸表へ出た際は旅籠はたごや商売先で色々な人に話していた。もちろん噂は隠していたが、やはり誰も良い返事はしなかった。江戸者はお駒の悪い噂を知らない筈である。
——遠く、閑散とした村へなど、都会の若者が婿入りしないか。
 そう思うと佐治兵衛は悔しかった。だが、そもそも田舎を嫌って江戸に出て来た若者が、田舎に行く筈はなかった。江戸とは今も昔もそう言う所であり、田舎者が多かったからである。


   三

 ある初夏のこと、江戸に来た佐治兵衛が、旅館の暇つぶしに貸本屋を呼んだことがあった。この時、来たのが神田の貸本屋・次郎兵衛である。
 次郎兵衛は、
「毎度、ありがとうござりまする」
 と丁寧に挨拶し、背負っていた貸し本を降ろした。
 しかし、佐治兵衛は次郎兵衛には興味がなかった。本を読みたい一心で呼びつけたのである。本さえ揃っていれば、誰が持って来ようと気にはしなかった。だから、次郎兵衛の顔を見ることはなかった。
 貸本屋が一冊を取り上げて、
「さて、この本は、なかなか面白うござりまするぞ。最近、上方から来た『世間胸算用』と申しまして、大阪はさすがは商売上手のお国がら、大晦日の付け払いをめぐる悲喜こもごもの物語……」
 などと、立て板に水を流すように淀みなく語り出した。それから、ぺらぺらと本をめくって声を上げて読み出した。
「世の定めとして……大晦日が闇なることは、あめの岩戸の神代かみよこの方、知れたことであると申すに、人は皆、常に渡世を油断して、毎年ひとつの胸算用違いする。季節を仕舞いかね、迷惑するのは、覚悟が悪いからである。一日は千金にえ難し。銭金ぜにかねなくては越すに越されぬ冬と春との峠……」
 読み上げる声はなかなか上手かった。
 今まで気にもしていなかった佐治兵衛は、貸本屋の声の調子や、知的な響きに興味を持った。そして、聞く内にいつの間にか引き込まれ、次郎兵衛のことをすっかり気に入ってしまったのである。
 ふと、次郎兵衛の顔を見ると、
——年の頃はお駒とピッタリだろう。
 と思った。
 賢さも性格も気に入り、いくつか話を交わす内に、ふと佐治兵衛は、
「浜松の田舎に器量も良く性格も良い娘がおる……」
 何となく切り出した。
「わしの姪なんじゃが、姉のひとり娘で、義兄は名主なんじゃが……」
 名主の身分は町人である。苗字・帯刀を許され、村を取り仕切る身分にあった。これを江戸では〈名主〉と呼び、上方では〈庄屋〉と呼ぶ。
 佐治兵衛は話を続けた。
「これがまた可愛い娘であって、今年、二十歳になるところ。田舎故か、中々嫁ぐことも叶わず。義兄は婿養子を望んでおるのじゃが……」
「左様でごぜぇますか、それはそれは良いことで、分相応のお相手が見つかると良うござんすのぉ」
 次郎兵衛は、自分には関係ないと思って愛想笑いをした。だが、ただの自慢話などではなかった。佐治兵衛は、まじまじと次郎兵衛の顔を見つめ、
「そなた、悪いが婿養子に来てくれぬか?」
 と、本音を口にした。
「えっ?」
 次郎兵衛はしばらく沈黙の後、笑った。
「手前どもは分相応でもなく、貧しい貸し本を商うだけの者。からかわれても何も出ませぬぞ」
 佐治兵衛は顔をグッと近づけ、
「いや、戯れなどではない。この顔を見てくれ、大真面目な話じゃぞ」
 次郎兵衛は、何を言われているのか、ピンとこなかった。しかし佐治兵衛は、そんな次郎兵衛に頼むのであった。
「承知ならば、明日にでも浜松に同道して、婿になって欲しい」


   四

 両手を合わせた佐治兵衛は、ひたすら頼み込んでいた。
 次郎兵衛は困り果て、
「両手をお上げくだされ」
 と申すしかなかった。この縁談が良いも悪いもなかった。あまりの突然のことに、次郎兵衛は狐にでもつままれたような心地がしたと言う。
 もちろん彼は独身やもめである。祝言をあげる予定もなく相手すらいなかった。しかも、相手がいたところで、生きて行く算段もなかった。
 次郎兵衛は、突然の話に戸惑いながらも考えた。しばらく腕組みしてから、ふと、真面目な顔をし、細々と話した。
「手前どもは身分も賤しく、このような貧しい暮しぶり。また、親族も貧しく、婚礼の支度も出来ませぬ」
 と物語るのであった。それは紛れもない事実であった。貧しさは、いつか次郎兵衛にも何とか出来るかも知れない。しかし、生まれついての身分については、どうにもならなかった。
 すると佐治兵衛は、承知したのだと思い込み、
「支度は、すべてこちらが行う故、何の心配もいらぬ。裸ひとつで来てくだされ」
 大喜びの様子であった。身分のことは気にもしていない様子であった。聞く話が本当なら、相手は小国の大名にも及ぶ暮らしぶり。神田の貧乏長屋しか知らない次郎兵衛には想像もつかなかった。
 佐治兵衛の言葉に、次郎兵衛も喜んだが、ふと、首を傾げ、暗い顔をした。
「はて、禄も相応で娘も美しく、支度のいらぬと言うからには……何か他に訳でも?」
 佐治兵衛は早口に答えた。
「何であっても、他には隠すことなどござらん。ただ……」
「ただ?」
 それから佐治兵衛は、ゴクリと言葉を飲み、重くなった口を開いた。
「あぁ、ろくろ首だと申して、根も葉もない噂をされておるだけじゃ」
 その言葉に次郎兵衛は思わず笑い出した。
 佐治兵衛は拍子抜けな感じがして驚いた。
 そんな様子を見た次郎兵衛は、
「いや、失礼。この世に、ろくろ首などある筈もなく。もし仮に、本当に、そんな者であったとしても何を怖れましょう。手前どもが婿になりましょう」
 と、大きく、うなづいたのである。
 伯父の佐治兵衛は大いに喜んだ。
「それならば、さっそく村へ参ろう」
 と誘ったが、次郎兵衛は、
「貧しけれども親族もあること故、話を通してから挨拶に参ります」
 と申して、その日は家に帰った。
 次郎兵衛は帰り道、色々考えてみた。さすがに若者のこと、
——末々は、いったい、どうなることだろう?
 何やら不安になって、あれこれ悩んでしまった。悩むと背負った荷物を重く感じた。普段なら、貸した本の重さだけ懐が重くなっている筈の帰り道であった。時鳥ほととぎすが鳴いた。次郎兵衛はその声を耳にして、
——時鳥の別名は、魂迎鳥たまむかえどり。袖振りあうも何かのえにしか?
 と思ったと言う。
 ひとりで悩んでいても仕方がなかった。
 帰る道すがら、かねて親しくしていた友人……古着の森伊勢屋の番頭・秀吉しゅうきちを訪ねて相談すると、秀吉は、突然、怒り出した……後編へ続く。

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