播磨陰陽師の独り言・第三百九十五話「どこかで春が」
秋ですねえ。冬はまだですが、春のお話を少ししましょう。
辛かったり、苦しかったりすると、なぜか頭の中で、
♪ どこかで春が生まれてる~
と歌ってしまいます。
心が少し軽くなります。
かなり前から、こんな癖があります。歌っていると、ヒバリやカッコウの鳴き声が心の中に浮かびます。聞こえている訳ではありません。ふと、イメージのような感覚が頭の中に浮かぶのです。そして、頬に春の日差しを感じます。すると、頭が自然に上を向いて、心の中に希望が湧いて来る気がします。
どんな辛くても、この歌が心に浮かべば楽になります。
私が北海道の生まれだからかも知れません。どんなに辛く寒い冬が来ても、我慢していれば、そのうち春になります。春を夢見ていれば、冬を乗り越えることが出来ます。
春ならウグイスの声が浮かぶかも知れません。しかし、ウグイスよりも、短い春はヒバリとカッコウの印象の方が強いです。
頭の上を飛ぶヒバリの声は、どこへ行ってもついてまわっていました。晴れた日にだけ鳴いているのでしょうか? 暖かい日差しとセットで覚えています。ふと、野外で昼寝などしていると、必ず空にはヒバリがいました。
カッコウの方は、いつも実家の裏で鳴いていました。カッコウの別名は〈閑古鳥〉ですが寂しい感じはありません。うるさいほど大きな声で鳴いていたので、
——やかましい鳥だなぁ。
と言う印象が強かったです。
春は桜が咲き誇ります。
私は桜を見るたびに、
——あと何回、桜を目に出来るのだろう?
と思います。
幼い頃から桜を見るたびに、
——あと何回、桜を見れるのか?
と思っていました。
物心ついた時から、二十歳までは生きられないとお医者さんに言われていたので、桜を見た回数で余命を捉えていたのです。
私にとっての〈死〉は、他の人に見えない世界へ移動するだけのことでした。誰にも見えないので、少し寂しい世界だなと思っていました。時々、見える人もいるので、寂しくもないかな? とも感じていました。ただ、霊たちが言うには、ものすごく寒くて……と、その寒さが嫌でした。寒いのは嫌いです。だから春の歌を思って、心を軽くするのかも知れません。
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