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怪しい世界の住人〈河童〉第三話「河伯や水猿のこと」

 この三神が現れた時、神功じんぐう皇后が小戸付近の浜に上陸して、濡れたあこめと呼ばれる男子風の御衣おころもを乾かされたので、その地は〈袙ヶ浜あこめがはま〉と呼ばれたそうです。そこが後に転じて、今の〈姪浜めいのはま〉となったと伝わります。
 神功皇后は、その後に宇美うみにおいて応神天皇を出産されたそうです。神功皇后も播磨陰陽道には時々出て来る人物ですが、それは長くなりますので別の機会に譲るとして、姪浜住吉神社の由緒書きの最後に、

——伊弉諾いざなぎの命が禊ぎ祓いをされる時、河童が現われて道案内のお手伝いをしたことにより除災招福の神の使いになった。

 と、ここでようやく河童が出て来ました。
 当時の河童は〈かわ・わっぱ〉と呼ばれていたようです。
 これは川にいる子供のような姿のものを意味していますが、橘の小戸の場所は川ではないようです。川ではないものを〈川のもの〉と呼ぶには不自然さがあります。しかし、海峡のような場所のことも昔は〈川〉と呼んでいました。そして、この言葉が訛って後の世に〈河童〉と呼ばれるようになりました。
 伊弉諾の命が黄泉の国から帰って来た時は、すでに、鬼やら化け物は存在していました。それらが黄泉の国から伊弉諾の命を追いかけて来るのですが、黄泉の国から出たのかどうかは書かれていません。また、この時に現れた河童のことは、古事記などの神話としての有名な文章の中には登場していません。ただ、各地の多くの伝説や古い記録の中に時々登場するのみですが……。
 神話の中に登場する河童が本当にいたのかどうかについては分かりません。

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