御伽怪談第一集・第四話「狸奴だからね」
一
寛政(1790)の頃のこと。江戸深川の小奈木沢に近い川端に、徳右衛門と申す長者の屋敷があった。あたりには田畑ばかりが広がり、家はまばらで、人の少ない土地であった。
先祖代々とは言え、徳右衛門は好んでここに住んでいた。彼は人混みを嫌っていた。誰の声も聞こえない静かな場所が好きで、心地良かった。
当然、家族はいない。
——持ってもうるさいだけだ。
と思っていたし、誰かに煩わされながら生きる気にはなれなかった。友らしい友もおらず、すべての時間を自分のためだけに使うことが出来た。だからと言って、自分が孤独だとか、哀れだとも思っていなかった。
屋敷には、親の代から何人かの下働きが住んでいた。皆、すでに老人であり、ひっそりと働いてくれていた。
家には一匹の白い猫がおり、タマと呼んでいた。玉のように美しい猫であった。徳右衛門の人生に必要なものは、このタマだけで十分だった。
ある秋の夕暮れ、田園風景の中に赤蜻蛉が群れ飛ぶ美しい夕焼けの空が広がっていた。ちょうど十五夜の月見のこと、徳右衛門はひとりで観月の芒を飾り終え、庭など眺めながら悦にいっていた。
その時のことである。不思議なことに縁の下から痩せこけた一匹の狐がヨロヨロと出て来た。もちろん野生の狐である。人のいる場所には、めったに出て来ることはなかった。
狐はしばらく庭の隅にうづくまっていた。今にも死にそうな狐の様子に哀れみを感じ、徳右衛門は狐を追うことはせず、そのままにしておいた。孤独を愛する以外は、優しい男であった。特に生き物には優しさを発揮した。
家の下働きの中心となる八兵衛爺は、そんな徳右衛門の姿を見るにつけ、
——若は、人に対してもあの優しさが必要だ。
ため息をもらした。まったくその通りである。だが、徳右衛門は人には優しくなかった。
やがてタマが庭に帰って来た。さっそく狐を見つけると、さも、怪しむかのような仕草をした。おずおずと近寄っては、クンクンと嗅いで、少し離れては、また近づいた。
狐の方は仲間が来たとでも思ったものか、元気をふり絞って首を上げた。目はまっすぐにタマを見ていた。それから尾を足の間に挟んで小声で鳴いた。
タマは、いちいち狐の動きに怯んでは、また匂いを嗅いだ。
そうこうする内に、タマも疑わなくなっていた。自分の餌を狐に分けてやると、狐は少し元気になった。徳右衛門にはそのことが嬉しかった。しばらく離れていた幼な子が、地元の子供たちに受け入れられたかのような気持ちがした。
ふと、二匹を眺めて涙をにじませた。
「タマに友達が出来て良かった」
この時代、江戸も少し落ち着いて来た。
昔のように、新天地を求めて人が集まるギラギラしたところもなくなった。昔から人が住んでいたような雰囲気を作り出していたのである。
そんな中にあって、家猫が少し遅れて江戸に広まり住むようになった。家猫は関西からやって来た生き物である。もうよそもの扱いではなく、そろそろ地元の生き物に受け入れられはじめた。これは飼い主にとっては何より嬉しい出来事であった。
ニ
次の朝のこと、昔からいた下働きの八兵衛爺が屋敷を去った。
八兵衛爺が申すには、
「もう、働くのも、老いた手前には辛うごぜぇますだ。今までお世話になり申したが息子夫婦の世話になり申す」
とのことであった。
その言葉に徳右衛門は苦笑いした。
「残念だが仕方ないのぉ」
だが内心は別なことを考えていた。
——タマさえいれば、人などいくら少なくなっても良い。
徳右衛門のタマを溺愛する姿は尋常ではなかった。人よりも猫を大切にしていたのは言うまでもなかった。ただ、徳右衛門が他の者と違うのは、溺愛をあまり隠せなかったことである。
八兵衛爺もそれについては分かっていた。心の内では、
——どうせ、若には、わしより猫の方が大切なんじゃろうが……。
少し憤慨していたが、そこは大人な対応に終始した。人と付き合えない者がいれば、まわりの者はいつも苦労する。
八兵衛爺は時々、
——わしがもう少し若ければ、若のことを何とかして、将来、苦労をせんように……。
と思ってはいたが、若くないのを言い訳として、いつも何もしなかった。
さて、何日かすると、タマと狐は慣れ親しんで寄り添うようになっていた。常に一緒に歩き、まるで昔からの友にでもなったかのように親しげに遊んでいた。
時々、狐が赤蜻蛉を捕るような仕草で跳ねると、タマも真似して跳ねた。タマは狐ほど高くは跳べなかった。
狐が鳴くと、それに応えてタマも鳴いた。そんな鳴き声が秋の景色の中に溶け込んでゆく。
徳右衛門は、タマの新しい友達を、まるで自分の友のように感じていた。
一方、八兵衛爺が去った屋敷の中では、残されたふたりの下働きの者が憤慨していた。
大助が怒りながら申した。
「若は、猫ばかりか、この度は狐のごとき卑しきものまでも」
権太郎が、びくつきながらそれに答えた。
「あぁ、もしあれが人を化かすやつだったら、わしら、どうしたら……」
それから仕事を片付けながら遅くまで相談して、
「若に、苦情を申しあげるべし」
と、言うことになった。
ふたりとも八兵衛爺のいる時は、なだめられていた。一番年上だった八兵衛爺は、特に人格者でもあり尊敬されていた。八兵衛爺に比べて少し若い……と言ってもかなり高齢だが……ふたりは感情が抑えられなくなっていたのである。
大助は特に怒りやすかった。いつも奥歯を噛み締める癖があって顎が角張っていた。彼には、普段から猫に対する扱いと、自分たちに対する扱いの違いに大きな不満があった。
また、大助よりひとつ下の権太郎は、とても怖がりであった。太めの体に丸顔の姿には福よかな印象があった。彼は日々の不満より、将来を無意味に心配する癖があった。
何日か前から、
——村で狐火を見た。
との噂がたっていた。
その噂の出どころは分からなかったが、権太郎にはどうでも良かった。庭の狐が原因ではと心配するしかなかったのである。
三
次の日も、タマと狐は仲良く餌を食べていた。眠る時も同じく、まるで旧知の間柄かのように見えたと言う。近所に家もなく、野良猫も少ないこの土地のことである。
徳右衛門は、
——タマに親友のようなものが出来て本当に良かった。
と何度も胸をなでおろしていた。
狐に感謝してのことか、時々、豪華な餌を与えていた。もちろん家の者は作るだけである。彼らの口に入ることはなかった。そのことが大助たちに目に見えない不満を作った。小さなことと言えば、小さなことである。しかし、これを無視して見過ごせば、やがて大きな厄につながりかねない。そんなことは、徳右衛門には分からなかった。彼に分かる筈もなかった。
そして、ついに、ある噂が流れた。
——村で化かされた者が出た。
当然、大助も権太郎も、庭の狐の仕業だと考えた。
この噂も、結局、何のことだか分からなかった。根も葉もない与太話に過ぎないのかも知れないが、ふたりが心配するには十分であった。
その日、夕食を配膳しながら、大助は徳右衛門に厳しい表情を向けた。
「若、もう我慢、なんねぇだ。あの狐を何とかしてくれろ」
「何とかと申しても、何を、どうしろと?」
「村で、狐に化かされた者が出ましたぞ」
「だから?」
「あの狐の仕業では?」
「まさか。ありえぬ」
ふたりの間でオロオロしていた権太郎も、
「いいえ、ありえますだ」
と口を挟んだ。
話し合いのつもりが、ただの口論となってその日は過ぎた。単なるわだかまりだけが残った。
それから何日かは、タマと狐が共に戯れ遊ぶ姿を見ることが出来た。もちろん、鳴き声も聞こえていた。
大助は、鳴き声が聞こえるたびに苛立った。怒り過ぎて食欲もなくなるほどであったと言う。また、権太郎の取り越し苦労は頂点に達し、ふたりとも、猫や狐のことを無視するようになっていた。
やがて狐が姿をくらますと、時を移さずしてタマの姿も見えなくなった。
ある日、タマがいなくなったことに気づいた徳右衛門はふたりに尋ねた。
「ここ数日、タマが帰って来ぬようだが、誰ぞ知らぬか?」
ふたりはもちろん、猫のことなど気にしていなかった。徳右衛門の言葉に首を傾げ、
「はて、猫など飼っておりましたかのぉ」
血だらけの包丁を手に笑うだけであった。徳右衛門の言葉を無視することが、彼らにとっては精一杯の不満の解消方法であった。だから、徳右衛門がいくら説明しても埒もあかなかった。
徳右衛門は慌てて方々を探し歩いた。
「タマ、タマ、誰かタマを知らぬか……」
と呼ぶ声が、いつまでも村にこだました。しかし、村でもタマを見かけた者はなく、その行方は杳として知れなかった。もし仮に、タマの行方を知る者がいたとしても、果たして徳右衛門に知らせるだろうか? それは疑問であった。
遠くで狐の鳴く声がすると、タマもいるかと思い、探し歩く日々が続いた。だが、けして見つかることはなかった。
四
タマは見つかる筈はなかった。野生の狐と野に帰ったのである。一度、野生に帰った生き物を、里で見つけることなど出来る相談ではない。
その内、村の多くの者が狐に化かされるようになったと訴えはじめた。
管轄する奉行も、
「化け物相手では手の打ちようもござらぬ。しばらく賞金を出して対応すべし」
と申して、村からと言う形で、退治した者に報奨金が出ることになった。村としては、迷惑限りない話である。やがて遠くから人が来るようになり静けさも失われた。だが結局、狐すら見つからない内に、騒ぎは何となく立ち消えてしまった。
徳右衛門も大騒ぎにうんざりして、とうとう諦め、
「猫と狐は、元来、同じ陰獣である。同気相和して怪しまずとも申す。狐に誘われて、行方をくらましたのであろう。長らく飼っていたのに残念である」
と、悲しげに語るようになっていた。
徳右衛門は、
——あの時、狐を追い出していれば、タマを取られることはなかったのでは?
と、いつまでも後悔した。タマを失い心にポッカリと穴があいたのである。
それから間もなくして、残ったふたりの下働き、大助と権太郎も田舎に帰ってしまった。
——もう、皆、それ相応の年であった。
と表向きの理由を述べて、きちんと挨拶してのことであった。
徳右衛門はとうとうひとりとなったが仕方のないことであった。皆がいなくなることは、以前から存じていた。だが、タマを探すことに頭を使い、すっかり忘れていたのである。
今はタマもおらず、徳右衛門は広い屋敷の中にひとりぽっちになっていた。
この先、彼はこのまま年老いて行くことだろう。屋敷の中で何かあっても、誰にも知られることはなく、訪ねて来る者もない。そのことだけが哀れであった。もちろん財産は残っていた。ひとりで使うには多すぎた。金さえあれば何とかなるのは、ずっと先の時代の話だろう。この時代はそうではなかった。
いったい誰のために、そして何のためにひとりで生きようとするのだろう?
この屋敷も徳右衛門の代で終わることになるだろう。『譚海』より。
昔から、猫は〈狸奴〉と呼ばれていた。化け狐や狸のためにこき使われる存在である。化け狐たちに引きよせられ、時には共に化けて踊り歩くこともあると言う。狐狸の集まる所には必ず猫が混じっていることが知られていて、化け狐に奉仕するとも言う。このことは、案外、広く知られていた。化け猫になってからも、狐たちの位の方が上のようである。
化け狸は、化け狐と敵対しているが、それでも猫は両方に従う。時には立場的に板挟みになることもあると言う。
前にも書いたが、この〈化け猫〉と呼ぶ言葉は、関西の方言である。こちらは総称なのか、尾が増える猫又の一種を呼んでいるようである。
関東では〈猫鬼〉と呼ぶのが一般的であった。昔は時々、猫鬼の頭蓋骨と称する見せ物が出ることもあった。猫鬼は、額に角のある猫のことである。この化け物は人を襲って生き血を吸うとも言われ、ある時期にすでに駆逐されたことで知られている。〈了〉
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