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播磨陰陽師の独り言・第二百七十八話「大山旅行のこと」

 ゲーム開発だった頃、二度目のボーナス旅行は真冬の大山だいせんでした。鳥取県の大山のことです。真冬だったこともありスキーに行きました。雪道を車に分乗して、チームで向かう途中、雪で道が分からなくなり、崖から落ちそうになりました。
「おぉ、危なかった。全滅するところだった」
 と安全を確認してから、皆で苦笑いしました。
 冬の大山は少し不気味でした。雪に埋もれる地蔵さんが並んでいる姿を見て、
——さすがは霊地大仙だなぁ。
 と思いました。地蔵菩薩の赤いべべが、雪からチラチラ見えて印象的でした。ようやくホテルに着いて、グッスリと眠りました。
 翌日になって、スキーがはじまりました。スキー板はレンタル。山の上までリフトで行って、下まで滑りました。雪は好きではなかったので、一度滑って、スキーを返し、徒歩で地蔵巡りをしました。
 霊地と呼ばれる大山は、様々な霊現象が語られる土地です。しかし、残念なことに霊的なものが不活性化される真冬に行ってしまったため、亡霊の類は見えませんでした。いない訳ではありませんが、あまり見えない時期なのです。真冬でも、よほどのところへ行けば見ることはあります。しかし、この旅の目的はスキーなので、肝試しではなかったのです。
 大山でも、やはり企画会議と称する雑談をしていました。色々なことを話ましたが、やはり最後は怪談に流れて行ってしまいました。何人か集まると、不思議に怪談がはじまるのです。だからと言って、誰も、
「肝試しに行こう」
 とは言いません。また翌日もスキー三昧の一日でした。
 私はスキーよりスケートの方が好きで、しかも得意です。幼稚園の頃からスケート靴を履いていました。スキーは小学生の頃からです。しかも山に行かなければ出来ないので、毎日と言う訳にもゆきませんでした。スケートは、冬中、ほとんど毎日リンクへ行きました。家の近くの学校のグランドがリンクだったので、放課後はいつでもスケート三昧でした。小学生の内はスピードスケート。六年生からはアイスホッケーのスケートを履いていました。ホッケー部だったので、防具やヘルメットはすべて持っていました。今でも冬のオリンピックはホッケーばかりを見ています。今ではスケートもありませんが、懐かしいです。

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