播磨陰陽師の独り言・第二百九十九話「怪奇現象が起こる訳」
怪奇現象……何て不思議な言葉でしょう。昔の本には、たくさん体験談が残されています。それらを見た現代人の多くは、
——昔の人は、おおらかで、想像力が豊かだったんだろう。
と思ってみたり、
——素朴で科学も発達していない時代だから、迷信ばかりを信じていたのだろう。
と言うようなことを考えているようです。
しかし、よく読めば分かると思います。皆、同じものを見て、同じ対応で解決しているのです。迷信や集団ヒステリーの類ならば、同じものを見たり、対処したりは出来ない筈です。
昔の怪奇現象には、明らかに規則や法則と言うものがあります。そして、誰もが同じ姿を見ると言う特徴もあります。ハッキリと観察した記録も残ります。冷静に観察して記録した文書なので信頼性を感じます。
それに比べて、今の人の体験談はひどいものです。起きた出来事に驚いてしまって曖昧にしか覚えていないため、書いた物を読んでも何だか分かりません。それと、昔の人に比べて知識がないためか、知っている物事で表現しようとして、妙な記載が多いです。勝手な言葉を作って表現しようとする節まで見てとれます。
今の人は、霊的なものがない前提で考えて表現していますが、昔の人は〈あるかも知れない〉がまず前提になって物事を考えています。
——昔の人は、科学が発達していないため、迷信に惑わされている。
と考えるむきもありますが、現代人の方がよほど迷信に惑わされています。知ったようなふりをする科学的な解釈を振り回して、真実を知ろうとしない人が多いです。
現代の科学では、まだ分からないことがたくさんあります。それを、すべてが分かっていて、科学で説明出来るとでも信じているのでしょうか。
さて、怪奇現象は恐れると起こります。事故物件とかありますが、事故がない部屋でも住人が想像したことを恐れれば、それが現実となるのです。正確には恐れれば恐ろしい現実を引き寄せると言う意味です。
疑心暗鬼と言う言葉があります。〈疑心は暗鬼を生ず〉と言うものですが、疑心は必ず暗鬼を生じさせます。暗鬼とは実際にいない筈の鬼のことです。いるかも知れないと言う想いが、いない筈の鬼を生むのです。これは恐怖の感情が、魔物の棲む世界と、こちらの世界をつなぐ入り口を開くからです。そうならないためには、危なそうな時には恐れないことが重要になります。
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