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不幸のすべて・第二十四話「悲しみの欲」
前回、強い欲望が様々な不幸を生み出すと書きました。不幸を生み出す欲望は〈七情〉と呼ばれています。ここで説明する〈七情〉は、本来は欲望ではありません。それは、人の心にある感情を意味しています。
この七情の中で〈悲しみの欲〉は強い悲しみの感情に付随するものです。
悲しいと涙が出ます。これは何も悲しい時だけではありません。クシャミやアクビをした時に自然と出る涙もあります。嬉しい時に出る涙もあります。また、誰かが目に涙をいっぱいに溜めているのを見ると、つい、つられて涙が出てくることもあります。
もちろん、悲しい時は、かなり大量の涙が出ます。しかし、涙が出ないほど悲しい場合もあります。
人は、わざわざ悲しむために映画を見たり小説を読んだりします。これは〈可哀想〉だと思う出来事や物語に出会って、自分が可哀想ではないことを実感するためにです。これが、つまりは〈悲しみの欲望〉なのです。
人は悲しみを実感すると、自分が生きている気がして来るようです。しかし、多くの人々は何かを実感する必要もなく実際には生きているのです。
これについては、
——息をするものはすべて生きるものなり。
と伝わっています。
これは、当たり前かもしれません。しかし考えてください。人は、数日、食べなくても、または寝なくても何とか生きていけます。しかし、息をしなければ数分たりとも命は持ちません。
あなたが自分で息を止める時、一分くらいは大丈夫かもしれません。ですが、誰かに強制的に息を止められれば、わずか数秒で命は終わります。頑張れば数分くらいは生きていられるかも知れません。いずれにしろ、相手も頑張るので、息の切れ目が命の切れ目となるのです。
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