御伽怪談短編集・第十五話「老僧の疫病神」
第十五話「老僧の疫病神」
日向の国・飫肥報恩寺の滄海和尚の弟子に、豊蔵主と言う僧侶がいた。彼は豪胆な性格で知られた知識人で、弟子をとらなかった。
僧侶・豊蔵主は諸国を修行していた。白隠和尚に教えを請い、すでに天竺伝来の仏法にも飽き、臨済禅宗の厳しい修行に酔い、禅の境地にいたる塩梅を楽しんでいた。いつも酒をたしなみ、虎を打つ気構えを持った豪快な性格であった。もちろん、弱きを助け強きをくじく心意気であったので、下々の者に慈悲を持ち、けして権威に屈することはなかった。
また、日頃から、
——貴族風情が何するものぞ。
と考えていたこともあり、自ら身分の高い者を弔うこともなく、門を叩く者があっても常に閉じたまま無視していた。
そんな豊蔵主が、下野の香厳寺で夏行に参加したことがあった。この寺は、九尾の狐と殺生石で有名な、那須野原に位置する古刹であった。この夏行で、数百の黒染めの群れ集まる中、奥州・三春城下高乾院の弟子・暁首座と特に親しくなった。
夏行は盆の頃に終わり、それからすぐ豊蔵主は暁首座を誘い、上方の古刹巡りの旅に出た。師である滄海が京にいたため、それを頼っての旅であった。
途中、沼津の松蔭寺に寄り、白隠禅師に挨拶して十日近く歩いた七月二十四日……地蔵盆の昼下がり。ふたりは浜松近くの海岸の松原にさしかかっていた。蝉のうるさい季節であった。波の音は美しかった。遠くカモメが鳴いていた。
日が傾きかけ、通る人とてない淋しい夕焼けの中を、ふたりで黙々と歩いていた。その時、突然、並木の向うから、たくさんの弟子を連れた老僧の一行が現れた。
老僧はかなり大きく、背たけは六尺(180cm)以上あろうか……赤い衣を着て、左に赤木の錫杖を突き、右に払子を携えて威風堂々と歩み寄って来た。その風貌はただ者とも思えなかった。高僧らしい厳かな雰囲気が漂っていたこともあり、両僧とも思わず側に退いて会釈した。
老僧も答礼し、つかつかと前に来たと思えば、突然、叫んだ。
「生死到来の時、如何に?」
蝉が黙った。風に木々が揺れていた。
豊蔵主は禅問答と思って即座に答えた。
「元より覚悟の上。わが心に生死なし」
時にかの老僧は、顔がたちまち夜叉のように変化し、朱をそそいだな眼を見開き、ひとつの箱を指さし、豊蔵主たちを睨んだ。
「これでも生死なきか?」
ふたりが、この怪しい箱を覗くと、血生臭い異臭が鼻をついた。箱には、切ったばかりの生首がひとつ入っていたのである。それは苦悶の表情で目を開き、天を睨んでいた。首の持ち主はと言うと……誰あろう豊蔵主その人であった。
暁首座は、あっと息を飲み怯《ひる》んだ。
豊蔵主は、鼻をつく異臭に堪え難く、思わず顔を背けたが、なお強く声を出して、
「それでもなし、それでもなし」
と拳を振りあげ、箱を打ち砕かんばかり勢いで、
「ただ、それでもなし」
と叫び続けるのであった。
風が止んだ。今まで遠く聞こえていた波の音も聞こえなくなった。気がつくと一陣の夢の去るごとく、松原も海もなく、老僧と見たものも跡かたもなく消え失せて……七月二十四日下野の、香厳寺の広間の中で叫んでいた。
夕暮れのヒグラシがあたりに響いていた。
暁首座が目を開けると、豊蔵主の叫びを聞きつけて、たくさんの僧侶が集まっていた。そこはもう、あの閑散とした松原などはなく、すでに旅立っていた筈の寺の中に戻っていた。
呆然とした暁首座は、確認でもするかのように左右を見た。豊蔵主は、虚ろな眼差しで、箱があった筈の場所を見つめている。
取り囲んでいた僧侶のひとりが叫んだ。
「なんと致したのか?」
しかし、豊蔵主は依然として、
「ただ、それでもなし、それでもなし」
つぶやくだけで、板の間を荒く叩き、拳を震わせていたのだった。
僧侶の中でもひときわ年老いた僧侶が、豊蔵主の肩をつかみ、
「いかに」
と彼を揺らした。
その問いに、ようやくハッとして正気を取り戻した豊蔵主は、しばらく黙っていた。やがて深く息を吐き、
「まさしく夢のこととも思えぬのだが……」
体験したことの始終を、ぼそぼそと語りはじめたのであった。
集まった衆僧らも、怪しみ驚くばかりで、誰ひとりとして則答することすら出来なかった。
豊蔵主たちは、口々につぶやいた。
「同じ夢を見たのであろうか?」
しかし、ひとりの僧侶が首を傾げた。
「この十日あまり、寺に蔵主らの姿は……」
夢か現か分からぬままであった。生首の臭気が鼻につき、しばらく消えなかった。夕食が出された時、血生臭い感じが残り、吐き気に悩まされた。その夜から、ふたりとも高熱を発し、百日ばかり悶え苦しんだ。彼らは十一月にしてようやく本復したと言う。この不思議な体験を含め、これは、皆、疫病神の仕業であろう。
下野の国那須野原と言えば、九尾の狐が退治された場所である。この記録にある香厳寺は今はない。那須野原にあったと記録にあるので、たぶん、殺生石の供養のために建てられたものであろう。
殺生石は、九尾の狐が退治された後、その場所に残った石で、
——やがてこの石を玄翁和尚が打ち砕き、石の中の悪霊を成仏させた。
と言う伝説が残っている。
金槌のことを古くは〈げんのう〉と呼んだのも、この和尚にちなんでのことである。そのような不思議な伝説の地で見た夢……もしくは現実であったのかも知れない。疫病神は夢の中に現れて、夢を見た人を病にする場合がある。ふたりが同時に同じ夢を見て、同じ病に苦しんだのだから、やはり何らかの疫病神の仕業だと思う。『笈埃随筆』より。〈了〉
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