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御伽怪談第一集・第二話「化け猫の報恩」

   一

 時は江戸時代。天明年間(1782)の五月初旬のことであった。
 大阪の農人橋のうにんばしに、河内屋惣兵衛と言う傘を扱う商人あきんどが大きな店を構えていた。当時、大阪でも農人橋は奇妙な出来事の多い土地として知られていた。
 惣兵衛にはひとり娘がいた。名をお糸と言う。この娘は容姿も美しく、父母の寵愛はもちろんのこと、まわりからも、
——糸はん、糸はん。
 と呼ばれ愛されていた。幼い頃から誰かれとなく可愛がられていたが、年頃になってからは〈農人小町〉と呼ばれ、知らぬ者とていないほど知られていたと言う。ただ、残念なことに、奇妙な噂のある娘であった。
 家には、長年飼っていた斑猫ぶちねこがいた。名は見たままの〈ブチ〉と言う。ブチは、父の惣兵衛が子供の頃から飼っていた猫であった。この猫が生まれた日のことは誰も知らなかったと言う。
 お糸も、物心ついた頃から、
——ブチ、ブチ……。
 と呼んで寵愛していた。しかしこの猫、いやらしいことに常にお系に付きまとう。片時も離れなかった。家のどこにいても、もちろん厠へ行く時ですらブチがいる。お系が年頃となってからも、いつも近くにブチがいた。そのため、まわりからも嫌な噂が囁かれていた。
——農人小町は猫に魅入られた不幸な娘。
 縁組などの話が出ても、
「猫に……やろ」
 と、何げなく口ごもり、うやむやにされることも多かった。物事をハッキリとは言わず、うやむやにするのは上方の男たちの特徴である。
 両親もそのことが唯一の悩みの種であった。
 やがてのこと、誰もがこの年老いた猫を煩わしく思ようになった。
 そうこうしている内に、家の者が、
——どこか遠くへ捨てに行こう。
 と言い出して、とうとう捨てに行くこととなった。

 農人橋から猫を捨てに行くには、北の曽根崎新地へ向かうことが多い。あのあたりは人生すら捨てるに相応しく、いつも怖しげな雰囲気があった。やがて心中で有名となる曽根崎界隈は住む人もまばらで、足元にまとわりつく湿地が続いていた。
 家の丁稚が、哀れな捨て猫の任を任され、ブチを紙袋に押し込んで、口をしっかりと縛り、暴れるのをものともせず……とは言っても怖る怖る連れ出して、湿地の水溜まりの中に棒でつついて、
「おぉ怖い、どうか恨みませんように」
 と両手を合わせてトボトボと帰った。しかし、もうブチが先に家に帰っている。そんなことが何度か繰り返された。

 ある日のこと、親戚一同が集まって、
「猫は魔物やさかい、親の代からとは言え、もはや、打ち殺して捨てるしかなかろう」
 と、相談していたところ……驚いたことに、ブチはどこかに姿をくらましてしまった。
「おぉこわ。聞こえたんとちゃうか?」
 誰もが首をすくめ、背筋が寒くなる思いであったと言う。祟りを怖れる姿は尋常のものではなかった。さっそく、皆で近くの〈空堀お祓い通り〉に出かけて行き、榎木大明神にお参りしたと言う。
 縁の遠い親戚に至るまで、各々、祈禱その外、魔除けなどを貰い受け、ようやく安心したそうである。猫除けの祈祷などないと思うが、ブチが化け猫かも知れない……と思ってのことであった。


   二

 そんなある夜のこと、惣兵衛の夢枕に件のブチがボーっと現れた。
 惣兵衛は夢とも知らず、つぶやいた。
「おのれは、せっかく身を隠したのに、なんで、また帰って来たんや?」
「お糸を魅入る魔物と言われ、殺されそうになった故、しかたのぉ、身を隠したんや」
「魔物やないんか?」
「よぅ考えてみぃや。この家に先代から養なわれておよそ四十年。恩はあれども恨みはない。なに故、怪しいことをせねばならんのや? 疑われて憤慨《ふんがい》しとるわ」
「えっ?」
「お糸の側を離れんのは、年を経た化け鼠が狙っておるからじゃ」
「化け鼠? 化け猫やないんか?」
「いくら化け猫やとしても、恩義のある家に悪さはせん。猫には猫の仁義と言うものがあるんや」
「そんなもんかいな?」
「化け鼠のやつが、お糸を喰い殺そうと企む故、少しも離れず守っとったんや。もちろん、鼠を退治するんは、猫の当り前の仕事やけど、中々、あの化けネズミだけは難しい」
「そんなに強いんか?」
「そこで相談がある。島之内口の河内屋市兵衛はんのところに一匹の虎猫がおる。これを借り受け、わてら二匹で戦えば、よもや負けることはあるまいぞ」
 と告げると、ぷいと姿を消した。
 目覚めてから惣兵衛は首を傾げつぶやいた。
「はて、おかしな夢を見たもんやなぁ」
 その時、女房も起き出して、
「どうやら同じ夢を見たのでは?」
 と申し、夫婦で夢の内容を語り驚いたと言う。しかし、結局、
「夢を見ただけやから……」
 と、信じることはなかった。夢は五臓六腑の疲れと申し、心の迷いと思ってのことであった。
 その日は暮れて夜が来た。するとまたもやブチが夢に現れ、ご神託のようなことを申すのであった。
「夢だから言うて疑いなや。虎猫さえ借りてくれれば、憂いは消え去るであろう」
 その次の夜も同じ夢を見たと言う。四日目くらいには、ブチもあきれ果てた様子。
「もう、いい加減、借りて来てくれや。お糸を守るんも限界やし」
 これには夫婦も仕方なく、ついに相談して虎猫を借りることになった。

 翌日のことであった。
 柳並木を眺めながら川沿いを下って行くと、島之内口はすぐであった。大きな蔵が立ち並び、小舟が行き来している。そんな中を雲雀ひばりが鳴いて美しく、川辺にサギが餌をついばんでいた。道修町《どしょうまち》からだろうか、薬種《くすりだね》の物売りの声が響いた。
——えぇ、定斎屋じょさいやでござい……。
 道行く女たちの下駄が、路地の石畳にカランコロンと流れてゆく。コイノボリが風になびいていた。
 大阪では端午の節句の四ツ〈午後十時〉頃までにノボリをしまう風習があった。それは明日六日の大阪城落城の日をはばかってのことであった。早い家では夜中にならない内にコイノボリを片付けた。だが、今はまだ、たくさんのコイが青空に泳いでいた。
 惣兵衛は、
——のどかやなぁ。
 と思ったが、猫のことを思い出して、
——どないして話そうか?
 と悩んだ。自分の下駄の音も何やら虚しく聞こえていた。


   三

 島之内口で同じ屋号の〈河内屋〉を探すと、すぐに見つけることが出来た。そこは、立派な料理茶屋であった。表で案内を乞い、庭へまわると、縁側に、さも強そうな虎猫がニャアとアクビをした。
 茶屋の主人の市兵衛に会うと、挨拶をして、
「実は内密で……」
 と耳打ちしてから、夢のことなどシブシブと語り出した。
 すると市兵衛は、
「この虎猫は、長年飼ってはおりまするが、別段、素晴らしい猫とも思えず……」
 と丁寧に前置きしてから、半笑いになって、
「しかし、そないな不可思議なことがあるんやったら……よろしいわ。おもろいから貸しましょう」
 と、承諾したと言う。
 惣兵衛は苦笑いして、
「それでは明日にでも、お迎えに参ります」
 と挨拶して茶屋を後にした。

 次の日、使いの者に虎猫を取りに行かせたところ、ブチから知らせでもあったものか、さして嫌がりもせずついて来たと言う。
 惣兵衛のお店ではご馳走などを用意して虎猫をもてなしたが、お糸はなぜ虎猫を借りて来たのか知らされていなかった。
 やがて、ブチもどこからか帰って来て、虎猫と寄りそっていたと言う。まるで、久しぶりに会った友が語り合うように見えたそうだが、お糸はブチを怖れてか、近付くこともしなかった。

 その夜、またまた夫婦の夢にブチが来た。
「いよいよ明日の夜、化け鼠と対決することにする。日暮れには、わてらを二階へ上げ給え」
 と嘆願した。
 惣兵衛は、猫の願いに任せて、翌日は両猫に格別のご馳走を与えることにした。
「あんじょう、頼んまっせ、ぶち猫大明神様」
 人の言葉が分かる筈もないとは思ったが、惣兵衛は何となく猫を信頼し、両手を合わせたと言う。

 夜に入り、猫を二階へ上げると、しばらくは何事もなく静かだった。四ツ〈午後十時〉を過ぎた頃だろうか? にわかに騒がしくなった。すさまじく揺れ出して、天井はガタガタときしみ、ほこりが舞った。時々、猫や鼠の怖ろしげな喚き声が聞こえ、物が壊れる音がした。どこをどう走るものか、ドタドタと激しく足音が響いた。埃が落ちて来る。
 大阪の建物は丈夫に出来ている。細工した組み木を合わせて釘を使わず組み込まれた建物は、ちょっとやそっとではビクともしない。しかしである。それでも、ガタガタと不気味な音を立てて、軋むのである。
 建物が丈夫に造られているのは、そこに住む人々の心が怖がりだからである。彼らはしっかりした建物に守られていないと安心出来ないのだ。だから、集まっていた親戚の者たちも皆、音がするたびに首をすくめた。家が壊れるのではと不安を感じ、地震のことが思い出された。だからと言って、皆、ビクビクしているばかりで、誰も確かめようとはしなかった。
 猫と鼠の戦いは永遠に続くかのように思えた。何かの度に激しい音が響いた。天井を見上げた人々は、昔話の、九尾退治の一節を思い浮かべたと言う。
 やがて、深夜の九ツ過ぎにもなろうかと言う頃、ようやくシンと静まりかえった。皆は二階の出来事を論じ合っていたようだが、結論の出ないアホな話で盛り上がっていた。


   四

 惣兵衛が、最初にシビレを切らせて我慢出来なくなった。
「誰ぞ、二階の様子を見てこいや」
 その言葉は静かな空間に虚しく響いていた。
 ひとりがビクビクしながら答えた。
「わ、わては別に、知らんでも良いさかい……」
 誰もが遠慮したり、尻込みしたりしていた。びくつく惣兵衛ではあったが、しかたなく、しぶしぶ立ちあがり、
「どっこいしょ……しゃあないなぁ」
 と、ぶつくさ言いながら、蝋燭ろうそくを片手に、よろよろと階段を上がって行くのであった。
 二階の座敷は、したたる血で汚れていた。獣の臭いが充満していた。惣兵衛がなかなか降りて来ないので、皆が、怖る怖る上がって来て、何人もが体を重ね、びくつきながら垣間見ていた。
 惣兵衛は台を足場に天井板をそろりと押し上げ、覚悟して首を伸ばした。風が吹いて蝋燭がパッと消えると、何も見えなくなった。
 慌てて灯りを入れると、大きな獣が倒れていた。血生臭かった。よく見ると、猫にも勝る大鼠の喉笛にブチが喰らい付き、頭はすでにかち割られ、息は絶えていた。
 島之内口の虎猫は、鼠の勢いに勝っていたが、やはり疲れたものか死にかけていた。皆は大慌てで虎猫を救い出し、
——やれ薬や、医者や。
 と大騒ぎとなった。

 その後、虎猫は色々と療治して命を取り止め、惣兵衛は厚く礼を述べて市兵衛方に返しに行ったと言う。もう鼠にお糸を取られることも、ブチがつきまとうこともなくなった。
 これらのことは、お糸には知らされていなかった。だが、ブチの死を機に真実を知らされて驚いた。お糸はそっと涙に頬を濡らすと、両の手をブチの思い出に手向《たむけ》るのであった。
 それから、
「惣兵衛は、ブチの忠義に深く感じ入り、手厚くほうむり、やがて猫の塚を建てたと……それがし、在番中に聞いてござる」
 大阪城の御番衆を勤めた者が、江戸に立ち寄った際、予に詳しく物語ってくれた。『耳嚢』より。

 市兵衛が住む島之内口は、農人橋から南に下って、谷町六丁目を過ぎたあたりにある。空堀のお祓い通りは、その中間くらいのところ。今でもお祓い関連の人々が住んでいる。
 お祓い通りは、谷町六丁目の駅を西へとぼとぼ歩いて、右手に榎木大明神のある筋を、左に折れたところから始まる細い通り。榎木大明神のすぐ近くには直木賞で有名な〈直木三十五の碑〉がある。
 この物語にあるように、猫はたまには恩を返すと言い、上方にも江戸にも記録が残っている。しかし、恩を返す確率で言うと、やはり犬の方がたくさん返すようである。
 さて、ここで物語られたブチの塚はどこにあるのだろう? 調べたところ今はない。空襲でなくなったものか、あるいは江戸時代が終わって、なくなったのかも知れない。ただ明治の頃、西成区の太子町に猫塚が建てられた記録は残っている。
 この塚は三味線の猫の供養と言う名目だが、松乃木大明神の中に合祀された時、近松門左衛門碑と一緒に合祀されたと言う。公園になる前の天王寺にあった。碑の記録は太平洋戦争の空襲で失われたが、他にもいくつか合祀されているようである。ブチの猫塚も含まれていたら良いなぁ……。〈了〉

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