御伽怪談第二集・第七話「かぶりつく首」
一
越前の国・敦賀に、原仁右衛門と言うサムライが住んでいた。彼は『北窓瑣談』の著者・橘南谿の長年の友人であった。
寛政元年(1789)十月の頃のこと、仁左衛門に所用が出来て、数ヶ月の間、京都へ旅したことがあった。
仁左衛門の妻は名を〈お千代〉と申し、二歳になる幼な子を育てていた。何かと手間もかかる時期であるため、前から下女をひとり雇っていた。名を〈お峰〉と言う。お峰は優しい性格であったが、不精者なのか、あまり働かなかった。
お千代は、そんなお峰と話が合うため、多少、不便なことがあっても気にしなかった。
屋敷は広かった。この広い屋敷にお千代と仁左衛門、そして下女のお峰だけで住んでいたのである。仁左衛門が遠出している時は、お峰とふたりだけの暮らしが待っていた。
普通ならもう少し、下男や下女を召使っている筈だった。しかし、仁左衛門の仕事の都合上、短期間の仮住まいが多く、中々、人を雇えなかった。
今回は主人の仁左衛門も長旅に出る。その留守中、屋敷に他に男子もいなければ淋しくもあり、もうひとり、二十六、七歳ばかりなる下女を雇い、留守宅を守ることとなった。
この下女の名は、なにぶん哀れな病持ちであり、明かすことは出来ない。仮に〈お初〉としておこう。
新しく雇ったお初はとても働き者で重宝した。お峰など比べものにならないほどの働き者である。だが、少し性格がきついと申すか、人当たりが良くなかった。この日もお峰と揉めていた。些細なことであるので、お千代は詳しく聞いていなかった。ただ、夕食の時、互いに無視し合っているのを見たのみである。
幼な子を含め四人しかいない屋敷のことである。お千代は、
——何とか仲良く出来ないものかしら。
と願っていた。ただ、ハッキリとは言い辛かった。お千代は揉めごとが苦手であり、優柔不断な性格である。特に子供が出来てからと言うもの、物事の白黒を付けたがらない性格が顕著になった。下女のお峰は、そのあたりのことを弁えており、お千代に心配をかけまいとしていたのである。
お千代もそれは分かっていた。だが、こればかりはどうすることも出来なかった。
——明日になれば、元通りに仲良くなるかしら?
そう考えるしかなかった。
さて、その日の真夜中のことである。シトシトと陰気な雨が降りしきり、遠く寺の鐘が低く長く響いていた。そろそろ夜の虫たちも少なくなる静かな夜であった。
お千代が奥の間でまどろんでいると、突然、隣室に寝ていたお初が苦しそうなうめき声をあげた。
その声を聞き、お千代も目を覚ました。部屋の行燈が、ほのかに灯っていた。
お千代は、
——引きつけかや? 様子を見なければ……。
と、その時、思ったと言う。
お初を雇う時、持病の癪が強いと聞いていた。お千代も昔から癪に悩まされていたが、子供が生まれると同時に良くなった。あの癪の苦しみを知る者として、お初に同情していたのである。
お千代が起きあがろうとすると、枕元に置いていた行燈がチチチッと音を立てて消え、部屋は真っ暗になった。油が切れる筈もなく、普段は一晩中灯いている行燈であった。神無月の真夜中の暗闇は考えただけで怖ろしかった。神がいなくなる月である。
ニ
神無月は不吉な月である。普段は感じることはないが、今まで神々に守られていたことをヒシヒシと感じられるほどに、この月は不気味であった。
外の虫の音が耳鳴りのように響いていた。雨の音がさらに不気味さを増して、遠く、野犬の遠吠えがした。
お千代は不吉なものを感じ、幼な子を懐に抱きながら、震える手で火打ち石を打った。カチッ、カチッと音がして火花が散ると、行燈が仄かに明るくなった。それを見て、少し心が落ち着いたと言う。
お初が寝ている筈の次の間の襖を少しだけ開けると、中は真っ暗で見えなかった。行燈を近づけて照らすと、枕元の小屏風の下に、何やら丸い物が動いている。
お千代は首を傾げた。
——猫でも入ったのかしら?
それにしても、ぎこちない動きであった。お千代は明かりを近づけた。すると、暗闇に千切れた生首が転がっていたのである。
あっと息を呑むお千代は、血の気が引いてゆくのを感じた。だが、倒れる訳にはゆかなかった。幼な子を抱いているのである。歯を食いしばり、カタカタと震える手で明かりを近づけると、暗い闇の中に、お初に見える生首が、ふっと浮かびあがった。目は閉じていた。どこにも血らしきシミは見えなかった。青白い顔色に、乱暴に結んだままの乱れ髪が、屏風の下に広がっている。しかし、生首は死んだ者のそれには見えなかった。首だけで動いていたのである。
あろうことか、生首は屏風へ飛びついては落ち、また、飛びついては落ち続けていたのである。暗闇の中で動くお初の生首は、不気味以外の何者でもなかった。
お初の生首は、屏風の端に喰らいついてしっかりと噛んだまま、唇を開き、上に噛み付いて、少しづつ登っていった。歯噛みしながら屏風の端を登ってゆくのである。ガチガチと歯噛みする音がした。時々歯が滑るものか、下まで落ちた。
しばらくして、お千代の目が慣れて来ると、生首が青白く光っているのを感じたと言う。
お千代は、それが人の首だとは思えなかったそうである。何か得体の知れない未知の生き物が、まるで水中を上下しながら泳いでいるような感じがした。しばらくは人ごとのような気持ちで生首を眺めていた。
怖ろしい体験をしていると、心は自分を守るため、すべてを人ごとのように認識するものだ。夢のように感じ、あるいは無関係な出来事のように感じさせるのである。
やがてお千代は、ふと、われに返り、目を見開いた。すでに肝も冷えきり、魂も飛んで、今にも気を失いそうになっていた自分に気づいた。しかし、幼な子を抱いたまま気絶する訳にも行かなかった。気をしっかりと持ち、右手に子供を抱え、左手には行燈の端を握りしめたまま、眺めていた。腰が抜けて動けなかっただけかも知れないとも申していた。
かの生首は、何度も屏風へ登りつつ、落ち続けていた。目は閉じたままであったが、少しづつ薄目を開きはじめていた。生首は夢を見ているものか、閉じた瞼の下で眼球が動いている。口で屏風を咥え、ガチガチと歯を噛み合わせながら屏風を登って行く生首の姿を目にして、
——お願いだから目だけは開かないで……。
お千代は祈るような気持ちで願い続けた。
やがて、ようやく屏風を越え、生首の目がわずかに開かれ、お千代と目があった。その時、生首は屏風のお初の側に落ち、呻く声がした。だが、お千代はお初を起こそうともせず、勤めて無表情となって、そのままゆっくりと襖を閉じて寝床に戻った。
三
夜が明けるまでお千代は一睡も出来なかった。こんな物を見た後では、怖ろしくて眠ることなど出来なかった。夜具を引き被り、夜明けを待ちかねて、お初の実家へ人を使わし、急いでお初の兄・長三郎を呼び寄せた。
早朝から呼び出された長三郎は、少し不機嫌な顔をしていた。妹のお初と並んで理由も知らずに座敷で待たされていた。開け放たれた障子で室内が肌寒かった。火鉢は燃えていたが、それでも寒かった。開け放たれた廊下から、昨夜の雨で濡れた庭が見えていた。雀が鳴きながら餌を探している。
やがて、当家の妻女・お千代が現れると、長三郎は深々と頭を下げた。
「奥様、本日は如何なるこっで? このお初のやつめが、何ぞ、粗相をいたしやしたか?」
ギョロリと睨んだ長三郎が、まず口火を切った。長三郎は漁師特有のガサツな性格で、言葉使いも荒かった。しかも眠くてかなり不機嫌な様子である。
お千代は何と言えば良いのか迷っていた。お初を雇う際、長三郎の推しの強さに根負けして、つい、雇ってしまった経緯がある。もし、駆け引きともなれば、お千代は必ず負けるだろう。それだけは避けたかった。だからと申して本当の訳は申せなかった。
まさか、
——お初が、怖ろしいろくろ首だから……。
とは言えなかったのである。
「いえ、粗相と申す訳ではあらぬ故……」
とお千代が申して後、少し黙った。
兄の長三郎は、まだ眠い目を擦りながら身を乗り出し叫んだ。
「では、何ぞ?」
その時、お千代はいつになくハッキリとした口調でキッパリと申した。
「そのことであるが、お初には辞めてもらいたく存じまする」
「えっ?」
思わず驚いて声を上げたふたりに庭の雀もいなくなった。
キッと睨んだお初の顔が、昨夜のろくろ首に見えた。内心、お千代は怯んだが、ここで負ける訳にはゆかない。
「今までいた下女とも何かと不仲となる故、わらわも困り果てておりまする」
お初が口をはさんだ。
「まさか、そんな理由で?」
お千代はキッパリと答えた。
「はい、左様で……」
お千代は、はやくここから立ち去りたかった。怖ろしいろくろ首と同じ部屋にいるのである。昨夜の生首を思い出しては、時々、手が震えた。
お千代は話を続けた。
「お初には、ぜひ辞めていただきたく存じまする」
突然のことに驚いたお初は、ボトボトと大粒の涙を零した。そして鼻を啜りながら、
「旦那様は留守中であると申すに、奥方様の勝手をなされまするか?」
その言葉にも、お千代は頑なに言い放った。
「何が何でも辞めていただきまする」
お千代はあんな怖ろしい体験は二度とする気にはならなかったのである。
その時、廊下を幼な子が走った。お峰が追いかけていた時、お初の顔をチラリと見た。
結局、最後まで辞めてもらう理由をハッキリと言わなかった。お初の実家は近くの町であり、世間に悪い噂が流れることを気使ってのことでもあった。もし、噂になれば、お初だけのことでは済まない。長三郎はもちろんのこと、実家の家族も、ろくろ首持ちと疑われ差別を受ける。だから、お峰にさえ訳を聞かせなかった。
四
お初がその後、どうなったのかは分からない。とにかく辞めてもらったことだけは事実であった。
下女のお峰も、お松のその後については知らなかった。お峰は、お初とそれほど仲が良くなかったし、その後のことを知らないのは当然のことだろう。
ただ、お千代は、兄の長三郎と時々屋敷の近くですれ違うことがあったと言う。もちろん、お初の消息など聞くことなどなかった。ろくろ首のことは、もう、忘れたかったし、強引な性格の長三郎と話して、また、お初を押しつけられでもしたら、それはそれで怖ろしかった。
あの病なら、どこで働いても長くは持たないだろう。もしかすると、お初自身もすでに気付いているかも知れない。
——あのキツい性格が、お初をろくろ首にしているのかしら。
と思うと、お千代は、
——人ごとで良かった。
と思ったと言う。自分にも、かつてお初のような癪の病があり、性格がキツければろくろ首となっていたかも知れない。そう考えるとゾッとした。もし、まだ、お初が屋敷で働いていたら、感染っていたかも知れない。それらのことを考えるたびに、お千代は気持ちが暗くなった。
お初を辞めさせたことや、ろくろ首を見たことは、京にいた夫の仁右衛門に手紙で詳細を告げた。その際、ついでに……予のために詳しく書いた書き付けを託してくれたのである。ありがたいことである。
仁右衛門が、後に夫婦で京に移り住んだ時、妻女に直接会い、話を聞くことも出来た。
その話すところによると、
「夢や幻などのことではなく、まさしく、ろくろ首を、この目で見てございまする」
とのことであった。
「思っていた以上に奇怪でございました」
とも申していた。
予は、このことを後になってつくづく考えた。思うに、ろくろ首は人が怖れるほどの妖怪などではなく、ただの哀れな病である。持病の癪の多い者は、気が頭にこもり、その気が形を結んで首より上に出るとも言う。
その人の寝ている姿を見れば、本物の首は、そのまま体についているとも言う故、体から魂が離れる〈離魂病〉の一種かも知れない。
お初は、屏風の内側に眠っていたとのことである。
妻女は、その時のことを、
「首が体についていたかどうかは定かではありませぬが、離れた生首は、しっかりと見てございます」
と語っていた。『北窓瑣談』より。
なぜかろくろ首は関東に多い病だとされている。昔から、西日本にはあまりない病のひとつである。西日本にもあるにはあるが、日本海側のごく一部に限定されている。
また、離魂病は、生霊の原因となる現象のひとつで、魂が体から離れる病と思われている。古くから知られていた。それが実体化して、屏風を登る姿は、それがたとえ化け物でなかったとしても、さぞ、怖ろしかったであろう。
離魂病の者は現代社会にもかなりいて、時々、写真やビデオに撮られ、投稿心霊何やらに映されることとなる。首だけで飛ぶ者は、皆、同じようなキツい性格を持つそうである。多くは女性の病だが、たまに男もなると言う。写真に映るものは、映っているだけで、実体化は難しいとのことである。〈了〉
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