御伽怪談短編集・第四話「串浦社の祟り」
第四話「串浦社の祟り」
享和から文化(1800)にかけての頃だった。江戸で何度か大火があり、たくさんの家が焼け、木材が不足していた。特に文化三年の火災は大きく、千人以上の人々が亡くなったと言う。全国から木材が集められ、江戸へ運ばれた。江戸から遠く離れた伊予の国も、けして例外ではなかった。
そんな頃、伊予の国・宇和島の上灘の端に〈串浦〉と呼ばれる海岸があった。その近くに〈串浦社〉と呼ばれる神社があった。串浦社は森に囲まれていた。その多くは太い木々であり、何本もに注連縄が巻かれていた。いかにも神聖な鎮守の杜と言う感じかした。
ある晴れた春のことであった。
何事があったものか、
——鎮守の杜から材木を取るべし。
と言うお達しがあった。
地元の長老たちが、
「ご神木を切るなど、とんでもない」
と訴える中、お上は強行姿勢に及ぶと噂された。多くの人々が祟りを恐れて猛反対したのは言うまでもなく、次第に大騒ぎとなった。
ただでさえ、ご神木を切るなどあり得ない出来だった。特に春先に切るなど考えられないことである。祟りがあったら、いったい、誰が責任を取ると言うのだ。しかし、江戸へ送る木材が割り振られてのことであり、仕方のないことであった。
様々に揉めた末、普請奉行の藤堂三郎殿が哀れにも貧乏くじを引かされた。彼は上役に逆らえない性格であった。長い役所務めの彼は、臨時の普請奉行の大役を命じられ、どうすることも出来なかった。
反対する人々を宥めすかしたが、人々はなおも強硬な態度を見せた。仕方なく何人かを捕縛して処分しなければならなくなった。
「お奉行さま、これじゃ、あまりにひどいですじゃ」
何人もが訴えたが、藤堂も腹を切る覚悟で物事にあたるしかなかった。
切り出しの当日は晴れわたっていた。いくつもの大船が岸に近づくと錨が降ろされ、運搬用の小舟に、たくさんの人足たちが上陸した。人足は三百人あまりもいたと言う。多くの人足が嫌がる中、給金をはずんで荒くれ者たちが集められていたのである。
普請奉行の藤堂も小舟のひとつに乗船して海岸へ向かった。船頭を務める太兵は吐き捨てるように申した。
「祟りなどあるものか」
その言葉が誇らしかった。
この船頭、人足頭でもあった。この頭は名を〈太兵〉と言った。彼は背中に派手な入れ墨をした大男で、何事も恐れぬ性格は、誰からも畏敬の念を持って見られていた。藤堂はそんな太兵のことを、粗暴だが頼もしいとも思っていた。
大船八隻から小舟約五十艘。小舟には各々の八人の人足が乗り込み、三百人あまりが海岸へと向かった。
先頭を走るのは、人足頭・太兵の乗り込む一番舟。その舟には監督奉行の藤堂も乗り込んでいた。
串浦は湾になっていた。港らしい港はなく、湾を囲む森と、その真ん中に神社があるだけで、あとは海岸の地形であった。その海岸を目がけてたくさんの小舟が近づいてゆく。当地は祟りを恐れる者が多く、漁をする者とてないため、たくさんの魚が群をなしていた。カモメが魚を目指して飛び交っていた。穏やかで美しい海であった。
やがて小舟が海岸の砂を噛むと、太兵が勢い良く浜に飛び降りた。しっかり砂を踏み締めた足に波が打ち寄せた。空をカモメが鳴きながら飛びかっている。小舟に備え付けた板を渡すと、
「お奉行さま、ささ、これにて降りられませい」
ガサツに申した。その声はダミ声だが少し優しい感じかした。
藤堂は軽く会釈をして小舟から浜へ移動した。浜から見える景色は美しかった。足元を蟹が慌てて逃げてゆく。社の後ろはすべて木々に覆われていて、奥は見えなかった。まして森の中に人がいようとは思いもよらなかった。
しかし、どうしたことであろう? 鎮守の森の中から白衣の烏帽子の男たちがわらわらと湧いて出てきた。
藤堂は、
——隠れていた反対派の連中が、大挙して現れたのであろう。
と、軽い気持ちで思っていた。
いったい、どこから現れたものか、ざっと四百人ばかりもいたと言う。この狭い地域に、人足と白衣の人々がひしめきあい、お祭り騒ぎのようになった。
藤堂はあまりの混雑に閉口し、なす術もなく眺めるしかなかった。
白衣の人々は手で人足たちを押しとどめた。木を切ることを止めようとしているらしい。彼らは言葉を口にしなかった。だが、皆、言わんとしていることを悟った。
藤堂は、反対する白衣の人々に、
「下知なれば……」
と、自分の力のなさを言い訳し続け、切り出しを命じるだけであった。
いくら金をもらっているからとは言え、人足たちは不吉なものを感じていた。一刻も早く作業を終えたがっていたのである。
ちょうどその時のことであるのことである。混乱ている中、人足頭の太兵が苛立って斧をふるった。カーンと大きな音があたりに響いた。その瞬間、打ち寄せる波の音も、カモメたちの鳴き声も、すべてが打ち消されたかのように静まり返った。藤堂殿は耳鳴りがした。それは太兵も同じようであった。誰も彼もが顔を顰めて空を見上げると、何かに取り憑かれたように木を切りはじめた。
鎮守の森が切り裂かれてゆく。
白装束の男たちは顔を覆って嘆き悲しむかのように見えた。だが声は出さなかった。
木を切る作業は何事もなく終わった。
やがて、切った木を小舟から大船に移し変えていた時のこと。にわかに空が掻き曇り、激しい風が吹いた。
その時である。
浜に残った白装束たちが、一斉に海に飛び込んだ。波飛沫が激しくたつと、彼らは泳ぎながら船に迫ってきた。
気づいた太兵が叫んだ。
「何事か?」
身を乗り出した藤堂は目を見開いて海面を見つめた。海面では、たくさんの白装束たちが、波に揺られながら大船を包囲しはじめていた。そして、海面から、なぜか白い手だけが伸びてきた。腕だけである。あろうことか、海面からたくさんの白い腕が伸びて、大船を掴んだのだ。
激しく揺らす手に、大船の上は混乱して立っていることも出来なくなった。海へ落ちた人足は白い手に掴まれて次々に水中へ消えて行った。そして、とうとう大船はバラバラになっしまった。船の残骸も、積んだ材木も、人足たちも皆、白い手に掴まれて暗い海の底に沈んで行った。
藤堂が海に落ちた時、まだ意識はあった。足元に白い手が絡みついているのを見ながら、どうすることも出来なかった。水面は明るかったが、沈むに従って海は暗く冷たくなった。いくつもの魚の群れが目の前を通り過ぎるのを見た。手足は動かなかった。息が苦しい筈だった。しかし、苦しさはなかった。
藤堂は、
——拙者は、もう、死んだのか?
と思った。
——そんな筈はない。
何度も自問自答を繰り返した。意識はあった。むしろ意識があることだけが不思議だった。海底に体が着くと蟹が群がった。ハサミの先が藤堂の目玉を突いたが、痛みは感じなかった。ブチっと音がして、目玉が千切れてゆく。しかし、藤堂は、まるで人ごとのようにそれを眺めていた。見える筈もない体が喰われてゆく姿を、藤堂は眺めていたのだ。
ふと、藤堂には、まわりの人足たちが見えた。たくさんの人足が白い手に囚われて、海底を漂っていた。皆、体は動いていないが、苦しみの表情だけが見てとれた。生きているままに意識があって、蟹や魚たちに啄まれ、苦しみもがいているようだった。
藤堂は、ふと、
——これが祟りと言うものか?
そう思った頃、次第に意識が遠くなった。
翌朝、生き残った数人が瀕死の状態で対岸にたどり着いたと言う。そしてこの物語を語り終えると、皆、血を吐いて息き絶えた。あとの死体はただのひとつとして上がらなかった。
鎮守の杜の木を切ると、ややこしいことになる。昔も今も切るべきではない木には手を出すべきではないのだから……。『閑田次筆』より。〈了〉
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