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御伽怪談第三集・第六話「闇を裂く産女」

  一

 貞享四年(1687年)のことであった。京の西の岡あたりに、この二、三夜、不思議な声がすると噂が立っていた。
 聞いた者の話では、赤子の泣く声に似ていると言う。鳥の声だと言う者もいたが、いずれにしろ不気味な出来事であった。もちろん夜中のみのことである。夏は過ぎていた。もうすぐ中秋の名月の明るい夜に、暗闇がさして鳴くと言う。誰も声の主を目にした者はなかった。だが、闇を切り裂くような、不吉な感じがしたとも囁かれていた。
 里は噂で持ち切りであった。
 里人たちは怖れ慄き、郷士たちに助けを求めた。
「あれは化けもんに違いない。サムライが退治するんが筋ちゅうもんやろ」
「おい、こら、半ザムライ。さっさと化け物退治、したらんかい」
 半分しかサムライの身分として認められていない存在。郷士とは、そう言うものであった。
 最初は化け物退治を嘆願している様子の里人たちも、終いには罵る者ばかりであった。
 郷士とは、いつでもそう言う扱いを受けるものだ。
 彼らは城下に住まず、普段は農民として暮らすサムライたちであった。いざと言う時は里を守る役割のため、半分は農民、半分は武士の身分に属していた。だが、守ると言っても天下泰平の世の中。彼らに実戦経験はなく、戦いと言っても喧嘩くらしかしたことはなかった。しかも、武士とは言え、低い禄高でこき使われていた。まさしく、赤貧洗うがごとくの生き方を強いられていたのである。それでも彼ら郷士たちの心根は、貧いが故か、立派な武士もののふであった。
 郷士の長老はいつも、
「ご祖先さまたちは、天下分け目の関ヶ原の時、足軽の身分なれども、立派に戦場を駆け巡っておった」
 と自慢話に花を咲かせた。若者たちの目が輝いていた。
 これが、彼ら郷士たちの、唯一の自慢である。しかし、英雄談とは、いつでも儚い夢のごときものである。実際は、無駄に駆け巡るばかりで手柄もなく、今は子孫が郷士として里を守らされている。

 そんなある日、郷士の若者たちが集まって相談することになった。
 中心となるのは、もちろん組頭の息子・丸太郎であった。彼は話も得意ではなく、ただやがて組頭となる運命にあっただけの身分であった。
 丸太郎が、いつものようにボソボソと申した。
「里の人にも言われておるし、化けもんなら、われらが退治せねばのぉ。不気味やけど、泣き声のぬしを確かめようか?」
 丸太郎は足軽組頭の息子であった。やがて家督を継いで、彼は組頭になる筈である。
 この足軽組頭の役職は、決まったことを下知するばかりが役目である。もちろん決定権はあるのだが、丸太郎は優柔不断と申すか、何事も決めかねる性格であった。
 丸太郎がゴホンと咳払いして申した。
「ところで、軽萱かるかや氏は、いかが思うかのぉ?」
 横に座る次之助は、
「そうゆう呼び方は、あと目を継いでからにしてんか。苗字で呼ばれたら、何ぞゆわなあかんやろ」
 と、ぶつくさ申したが、顔は喜んでいた。
 いつでも相談事を仕切るのは、この軽萱次之助である。もっぱら軍師を自称する彼は、この里の郷士の中でも一目いちもく置かれるほど頭が良かった。


  ニ

 頭の良い次之助であったが、体はヒョロヒョロとしていた。武芸もサッパリなもので、里の子供たちから、
「やーい、頭でっかち……」
 と揶揄からかわれていた。
 子供たちから何か言われる度に、次之助は、
「頭でも何でも、小さいよりはマシやろ」
 と本気で叫ぶ大人げない性格であった。その性格が幸いしてか、里の皆からも好かれていた。

 このふたり、同じ歳で竹馬の友である。また、ここに、今ひとりの友がいた。三人目は体の大きな角五郎である。彼は体格が良く強そうな感じはするが、大男総身に知恵はの諺通り、今一まわりかねていた。良く言えば、おっとり刀、悪く申せば、いや、申すまい。三人は、とにかく仲が良かった。
 次之助が腕組みをして考えていた。角五郎も何となく考えるフリをして、腕組みをしてうなっていた。丸太郎はふたりを見てハラハラしていた。これはいつものことである。
 やがて、次之助が口を開いた。
「こればっかりは、行かなしゃぁないで」
 角五郎は、何が起きているのかも分からず、とりあえず同意した。
「そやそや、行かなしゃぁないで」
 考えるのは角五郎の役目ではなかった。また、内容を決めるのも違っている。彼の役割は何だか分からなくても、友の意見に賛同することである。
「やっぱり行くんやったら、夜更けかのぉ?」
「当たり前やろ。昼間に行って、どないすんねん」
「怖いかのぉ」
「そりゃ、怖いやろなぁ」
 などと、夜更けに里の外に出て様子を見ることになった。
 昼間の内に武器を用意して、次之助を中心に、綿密な戦略が立てられた。丸太郎は賛同する郷士を集め、
「化け物を退治して、手柄を立てよう」
 と、げきを飛ばした。この檄も次之助の指示である。形だけでも組頭の倅である丸太郎が、激しく檄を飛ばす。それだけで、皆の心がひとつになった。こんなことは、はじめてかも知れない。災害も戦も、何もない平和な時代に、戦う心をひとつにして、皆が同じ目標へ向かっていた。

 さて、その日の夜となった。
 郷士たち十四、五人ほどを噂の場所近くに待機させ、丸太郎ら三人がさらに近づいた。まず化け物がいるかどうかを確認して、攻撃を指示するためである。
 郷士たちは思い思いの古びた甲冑を着て、かねて準備のあずさ弓を携え、何人かは槍を持ち、あとの何人かで松明を抱えて待機していた。まだ、松明に火はなかった。化け物を見つける前に明るくしていては、何のための明かりなのか分からないだろう。

 先に控えた丸太郎らが、草むらに伏して、様子を伺っていた。ふと、顔をあげると、一丁ばかり東の麦畑に不気味な声がした。秋の虫の鳴く季節であった。虫のに、かすかに混じって赤子の声がする。春の猫の鳴き声にも似ていた。すでに秋がはじまっており、さかりの声をあげるには季節外れである。時々、それらの音に混じって、トラツグミの笛の音のような声も、
「ヒー、ヒョー」
 と聞こえていた。
 不気味な夜。新月も近く、下限の月だけでも暗いと申すに、曇りの空がなお重く、それらの鳴き声を響かせていた。


  三

 闇夜を切り裂く不気味な声は、確かに赤子のようであった。だが、赤子にしては不気味であった。そして、それ以上の不吉さを誰もが感じていた。
 丸太郎が、怖れながら小声で申した。
「よりによって、こないな真っ暗な夜に確かめんでも」
「仕方ないやろ。今朝、思いついたんやから」
 あたりは暗かった。闇の奥で赤子のような化け物の鳴き声だけが響いていた。
 丸太郎が目を擦った。
「もぉ、眠いのぉ。明日でもいいんちゃうか」
「ここまで来て逃げられでもしたら、たいへんやで」
 不気味な声が暗闇で続いている。皆、背筋が寒くなった。
 丸太郎が大きなクシャミをした。
「う~寒いのぉ」
「まだ、暑かろう」
「寒気がするんじゃ」
「寒気より暗がりや。この暗さでは何にも見えんが……」
「明かりがいるのぉ。誰ぞ、仲間を呼んで来い」
「誰ぞって、そこまでは考えてへんかったなぁ。うちら三人しか、ここにはおらんのやで」
 その時、体の大きな角五郎が立ち上がった。
「ほな、わしが行こか?」
「お前は、ええって。ここにいてくれ」
 仕方なく次之助が状況を判断した。
「丸太郎は怖いからそう言うけど、やっぱり、角五郎が行くんが一番やと思うわ。丸太郎は大将やろ。わいは軍師やさかい、残るは兵隊の角五郎だけやろ」
「な、なんかあったら、どないするんや」
 次之助が笑った。
「その時は、檀公だんこうの三十六策や」
「なんやそれ?」
「アホやなぁ、逃げるが勝ちや」
 角五郎は立ったまま笑っていた。それから、
「ほな、行って来るわ」
 と申して、急いで郷士たちを呼びに行った。

 やがて角五郎が郷士を連れて戻って来ると、皆、久しぶりに武装して大喜びしていた。暗闇の中でも笑顔が見てとれた。
 彼ら郷士は武士の身分に近いとは言え、晴耕雨読と洒落ては見ても、しょせんは農作業の日々に甘んじて退屈していたのである。また、天下泰平の世の中では出世の見込みもなかった。自分たちより少し身分の低い里人に、邪険にされるのが精一杯の人生であった。
 角五郎が尋ねた。
「まだ、あの声はしよるか?」
 嬉しそうに次之助が答えた。
「あぁ、まだまだ、しよるで」
 赤子のような声は止みそうになかった。
 声に注意しながら、皆して地面に槍を立て、四、五人、松明を手にした衆がおそる怖る近づいて行った。弓の衆が暗闇にキリキリと狙いを定めた。弓はつるが緩んでいる物もあったが問題ないだろう。ひとつでも当たれば十分である。地面に刺した槍は、錆びている物が多かった。だが、これも役には立つだろう。ただの化け物退治である。野盗や軍隊と戦う訳ではなかったし、敵も多くはないのだから。
 皆、まだ正体を確かめていない化け物を、狩りの獲物くらいにしか思っていなかった。武器も人数も余りある。これで足りないものがあるとしたら、威嚇に使う、犬やかね太鼓くらいのものだろう。化け物を驚かさないように静かに近づいて退治するつもりであった。
 丸太郎は、勝ち戦の大将にでもなったかのような気分で明かりを眺めていた。ふらふらと明かりが揺らめいた。


  四

 麦の少ないところに物影が見えると、丸太郎が合図して、四、五間まで、皆、近づいて目をこらした。そこには人のようなものが両手を地につきひざまずく影が見えた。
 良く見ると、暗闇の影は手をついているのではなく、翼の先をついていた。
 それは人の姿をした、大きな鳥のようであった。さらに良く見ると、頭と胸は女のようで、剥き出しの乳房が遠目にもハッキリと見てとれた。
 その姿を見て、次之助がつぶやいた。
「あれは人か? それとも魔物か?」
 誰もが見たことのない姿であった。その不思議な鳥のような形が、暗闇の中に松明で浮かびあがったのである。顔は美しい女のものだった。しかしその体は、人の大きさをした鳥にしか見えなかった。翼に乾いた血がついていた。足の爪は鋭く尖っていた。
 化け物は、武器を携えた郷士たちをチラリと見た。だが、少しも驚くこともなく、また鳴き声をあげた。
 皆、
殺そう」
 と口々に申す中、遅れて来た古老が止めに入った。
「待て待て、射ることは叶わなぬ」
「何と?」
「あれは、産女うぶめと申す化生けしょうのもの。けして殺すべからず」
 丸太郎は、古老の言葉に意味も分からず、
「こ、殺すな……」
 とだけ叫んでいた。背筋が寒くなって怖気付いたからかも知れなかった。
 丸太郎の声に、郷士たちは戸惑った。せっかくの手柄を立てる好機を逃したのである。ぶつくさ言いながら集められた郷士たちに、古老がつぶやいた。
「もし射損なって驚かしでもしたら、人にあだをなし、在所に祟りをなすやも知れぬ」
「なんと」
「障らぬ神に祟りなしじゃ。皆の者、すみやかに里へ帰り給え」
 古老は息を切らしていた。それからまた、古老がつぶやいた。
「子が出来ぬことを悩み苦しんだ婦人に、たまたま子が出来て、難産して死んだと思え」
「あの化け物になんのかかわりが?」
「まぁ聞け丸太郎。その執心が鳥の姿に変化へんげして、夜に飛び回わり、他人の赤子を取ると言う。これを産女と呼ぶ」
「あれが、その産女なのか?」
 古老は産女を見て、うなずいた。
「わしも、昔、娘を難産で失ったことがある」
 丸太郎の目が涙でうるんだ。
「姉様も、難産で死んだ」
 その時のことである。産女がオギャァと不気味に鳴いて、西の空へ羽ばたいて消えた。皆、思わず両手を合わせ、誰彼となく声が漏れた。
「西方浄土、南無阿弥陀……」
 産女を見送ると、いつまでもいつまでも声が皆の心に残った。

 野ざらしにされた妊婦の死体から、たまに赤子が生まれることがある。その赤子が泣くことを、古くは〈産女鳴く〉と言った。今では使われない言葉のひとつである。難産で命を失う女性は多かった。誰にでもひとりくらいは亡くなった身内がいる時代であった。
 また、昔は赤子の衣を、夜に外に干すことを忌む風習があった。それは産女に血をつけられるのを嫌ってのことであるが、最近はこの風習もなくなった。
 産女は、母親になれなかった悲しい霊が起こす不思議な現象のひとつである。『奇異雑談集』より。〈了〉

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