御伽怪談第二集・第九話「落ちた涙の先」
一
さぁ、いらはい、いらはい。皆さま方、可愛そうなのはこの子にござる。親の因果が子に報い、夜な夜な首がスルリと伸びて、行燈の油を舐めるでござるよ。さぁさぁ、ろくろ首の花子さんだよ。花ちゃんや。
「……はい」
三味線を抱えた花子さんが、草津良いとこなどを爪弾きながら首を伸ばして……と、昭和の見せ物小屋は明らかに作り物だ。だが昔はこれで木戸銭を稼ぐことが出来た。今なら詐欺だとクレームを言われるような見せ物も、昔は結構、洒落で楽しんでいた。人の心も大らかな時代であった。
一般にろくろ首と言えば首が伸びる妖怪である。しかし、江戸時代は妖怪としてではなく、哀れな病のひとつとして考えられていた。しかも、首の抜ける病と思われていたのである。
九州平戸藩の殿様・松浦静山が文政四年(1821)から書きはじめた『甲子夜話』の中に、当時のろくろ首の記録が残されている。
先年、友人の能勢伊予守の年始の訪問があった。その時の茶飲み話に、
「世に、ろくろ首と申す者が実在するようでござる」
と語っておられた。
世の中には、ろくろ首の話は多い。だが、実際に見た者の体験を聞くのは初めてのことであり、予も楽しみであった。書き物をする関係からも、不思議な話があれば、ぜひ、聞いておきたかったのである。
静山は火鉢の上に網に餅を乗せた。ふう、と息を炭にかけると、火鉢が真っ赤に燃えていた。
ここで静山について少し語っておこう。
静山は、江戸時代の大名のひとりである。肥前の国・平戸藩の殿様として知られ、江戸時代を代表する随筆集『甲子夜話』の著者として有名であった。静山は、大名には珍しく心形刀流剣術の達人であったと言う。文化三年(1806)に隠居し、その後は執筆活動に専念した。
ちなみに静山には十七人の息子と十六人の娘がいた。その内の十一番目の娘が公家に嫁いで慶子様を産むが、この慶子様が明治天皇を産んでいる。静山は明治天皇の曽祖父と言うことになる。
伊予守はおもむろに親類の話を切り出した。
「分家の能勢十次郎の弟を源蔵と言う。この源蔵は、何分、考え方も古く、堅苦しい性格で、なかなか困り者であった。だが、不思議にも、新しくわが国に入ってきたばかりの異国の武術を、西尾七兵衛に学んでいた」
「唐手とか申す武術でござるか?」
「左様、手足を武器に、無手にて戦いまする」
当時、空手がわが国にも入りはじめていた。手足を武器にする空手は、当時のサムライたちにとっては中々新鮮な武術であった。
静山は感心した。
「それは珍しい」
刀を使わず、刀を持った者と戦う武術である。内容については知らなかったが、想像しただけでワクワクした。
静山は、大名には珍しく心形刀流剣術の達人であった。これが相当な腕前で、並の武術家では太刀打ち出来なかったと言う。
屋敷の外から獅子舞の笛が聞こえた。ふと、窓から庭を眺めると、遠くの景色の中に凧が群れ飛んでいた。火鉢は暖かかった。それにも増して、この日は天気が良く、日差しも柔らかく、いかにも初春と申す感じがした。
二
伊予守が話を続けた。
「西尾家は代々御番衆の家柄にあり、源蔵にとっては兄嫁の実家であった」
「ほぉ、御番衆とな。彼らは中々の使い手と聞くが……」
御番衆とは、城の警備を主な仕事とするサムライたちである。頭も良く、武術の腕も普通のサムライ以上の技量を持っていた。彼らの中には書き物をする者も多く、いくつもの紀行文などを世に送り出している。
伊予守は脇息に肘をかけ、話を続けた。
「源蔵は、師であり兄嫁の実家でもある西尾家に、時々、泊まり込んで、その唐手とやらを学んでござった」
静山は餅をひっくり返しながら首を傾げた。
「ろくろ首はどこにござるや?」
伊予守はチラリと見た。餅の焼ける香りがした。
「まぁ待て、本題はここからじゃ。さて、その西尾家に、ひとりの哀れな下働きの女がいたと思ってござれ」
静山は待ちきれない様子で思わず質問した。
「その女子か?」
伊予守が頷いた。
「詳しい名は明かせぬが、お松としておこう。人は皆、お松のことを、ろくろ首持ちと噂してござった」
静山は首を傾げた。
「はて、ろくろ首持ち?」
庭の塀の向こうで羽付きの音がした。チンチンと炭の燃える音がする。
伊予守が続けた。
「ろくろ首になる病を持った者にござる。源蔵は怪しんで、家人にそのことを尋ねたが、本人以外は、皆、何となく知っている様子でござった」
静山は首を傾げた。
「本物であるかや?」
「源蔵も、まさか、ろくろ首なる者がこの世におるなど、と申したそうじゃ」
「誰でもそう思うであろう」
「ある日、源蔵は真意を確かめようと決心して、二人の武術仲間と共に西尾家に泊まることにした」
静山はその言葉に感心した。怪しい噂を鵜呑みにして右往左往する者が多い昨今、馬鹿にせず、きちんと確かめようとする姿に武士としての気概を見たのである。
「それでこそ武士の誉れ」
伊予守は言葉を続けた。
「もし、本当にろくろ首なら成敗せねばならんと家人も心得たもので、お松が寝静まるのを待って密かに知らせに来たと言う」
源蔵と武術仲間の三左衛門・松之助の三人はお松の寝所に駆けつけた。薄暗い四畳半ほどの部屋でお松はスヤスヤと眠りこけていた。行燈を向けても目を覚ます気配はなかったと言う。
そのまま三人は、お松が正体を現すのを今か今かと待っていた。すでに夜半を過ぎた頃になっても、未だ変化する様子は見られなかった。
その時、皆、ふと、われに返っておかしなことに気付いた。ムサとした大男どもが、うら若き女の寝所に押し入り、寝息を伺っているのである。もし、このお松がろくろ首でなければ、いったい、何と言い訳いたせば良いのであろう?
もし、間違いであれば、腹を切る覚悟が必要である。三人ともにそのことは十分に分かっていた。しかし現実を目の前にして心が揺らいだ。
——このまま目を覚さないでいて欲しい。
源蔵らは祈るような気持ちで様子を伺った。
三
どんな時でもアクビは出るものだ。特に緊張しすぎると自然に出てしまう。源蔵はアクビを咬み殺して口を押さえた。眠かった。次第に目蓋が重くなり、閉じかけては見開いた。眠いのは源蔵ばかりではなかった。あとのふたりもコクリコクリと舟を漕ぎ、ハッとしては目を開けていた。
その時、三左衛門が小声で申した。
「源蔵氏、退屈でござるな」
ふたりを誘ったのは源蔵である。だからと申して退屈しのぎに何かする訳にも行かなかった。
それから間もなくのこと。お松の胸のあたりから、モクモクと煙のようなものが燻りはじめた。それはまるで、寒空に口から出る息のようであったと言う。
あっ……声を出しそうなところを押さえ、目を皿のようにして見ていると、激しい煙となって、竈門から湯気でも出るかのように立ち込めた。
やがて、お松の肩から上が見えなくなった。それを目にした三人は大いに怪しんだ。
三左衛門が何かの気配を感じて見上げると、お松の頭は欄間にあって、まだ眠りこけていた。それはまるで、晒し首のようであったと言う。
三左衛門は、震える声で欄間を指差した。
「源蔵氏……源蔵氏、上に、上に……」
見上げたふたりは驚いた。お松の首は天井近くにあり、体は寝たままの姿で転がっていたのである。
「まさか、これがろくろ首と言うものか?」
と、思わずつぶやく松之助は、ポカンと口を開けたまま体が震えていた。三左衛門もやはり震えている。源蔵もしばらく見ていたが、
「どうする? 成敗するか?」
小声でつぶやき、生唾を飲み覚悟した。
お松は目を閉じていた。だが、次第に開けかけて、薄目を開き、ぼんやりとあたりを見ているようであった。時々、お松が瞬きして、白目を剥いた。視線は源蔵たちに向けられていたが、怖ろしい物であったそうだ。皆がお松の生首を避けるように見ていると、ゴソゴソと何やら動く気配がした。お松が寝返ったのである。すると煙は消え失せ、いつの間にか頭は元の所に戻っていた。そんなことがあったのに、お松はグッスリと寝たまま一度も起きなかった。
源蔵らは近寄ってお松をマジマジと見たが、特におかしなところはなかったと言う。
最後に伊予守は生真面目な表情をして、
「源蔵は堅物だが、けして虚言癖のあるような男ではない。また、慌てて見間違いを大袈裟に口にするような性格でもない。だから、このろくろ首のことは真実であろう」
と語った。
静山は興味津々の様子で尋ねた。
「世の人は、ろくろ首は喉に必ず紫色の筋があると申すが、何か特徴のようなものはお松にあったかや?」
伊予守は腕組みをして少し考えていた。それからポツリと、
「源蔵の申すところを聞くと、お松の外見は普通の者と何ら変わるところはなかった。ただ……」
「ただ?」
「顔色が、やけに青ざめていたとのことにござる」
いつの間にか火鉢の上の餅が焦げていた。獅子舞のお囃子も遠のいてゆく。
この話を聞くに、とても奇怪な病であると思った。そのため、家の者も怖れていたであろう。感染る病ではないが、もしものことを考えると仕方ないことである。皆が怖れる気持ちも十分に理解出来た。
四
さて、お松のろくろ首を確かめた翌朝のことである。源蔵は即座に義兄に報告した。
「……と申す次第にござる。まったく残念なことにござる」
七兵衛も残念な気持ちになった。
「やはりそうでござったか……」
弟子でもあり義弟でもある源蔵が申すことである。それに同席した弟子たちも確かに見たと言う。西尾七兵衛も信じない訳にはゆかなかった。それで、とうとうお松に暇を与えることとなった。
何人ものサムライたちが座り居並ぶ中、奥座敷にお松が呼び出された。神妙に座るお松を前に、西尾家の当主・七兵衛が正式にお松に告げた。
「そなたには悪いが、辞めてもらうこととなり申した」
「えっ?」
理由は言わなかった。お松には青天の霹靂である。お松は泣きながら訴えた。
「わらわは奉公に縁がなく、仕える所すべてが、その期を終えずに解雇されまする。すべて皆、半ばにしてこの有様。今また同じようなことが起こりました。どうか、最後までお雇いくださいませ」
ボロボロと涙を落とすお松を、源蔵も哀れに思ったと言う。だが、このような奇妙な病を持つ者の話など、聞き入れる余裕はなかった。さらに哀れなことは、お松は自分がろくろ首であることを知らないことだ。
お松は色々と言い訳したが、だからと申して七兵衛の心は変わらなかった。七兵衛も哀れなことは分かっていた。お松の責任ではないことも理解している。だが、ろくろ首の女など、屋敷に置いておく訳にも行かないのである。
やがて、お松も仕方なく、とうとう諦めて荷物……と言ってもわずかな物だが……を片付けて丁寧に挨拶をした。畳についた両の手の甲が涙で濡れていた。
源蔵は、ここでもしお松が化け物の正体を見せたら即座に斬り殺すつもりで覚悟していた。しかし、何事も起こらなかった。本人も知らぬ罪で裁く訳にもゆかない。考えれば考えるほど哀れな話である。
お松を辞めさせた源蔵は、それから何日か、お松のことを考えていた。
「もし、拙者が確かめるなどと言い出さなければ、いや、いずれにしろ皆が存じておることであった。遅かれ早かれの違いに過ぎないのだ」
自分自身を納得させた。
「拙者のことを義兄が、石部金吉金兜と笑って申されたことがあった。その性格が、あの者の人生を狂わせたのではなかろうか?」
源蔵はその後も悩み続けたと言う。
それから絶望したお松がどうなったものか、誰も知らない。しかし、どこへ行っても爪弾きの運命が待っていることであろう。ただ病と申すだけで忌み嫌われ差別を受ける。人とも呼べず、だからと申して完全な化け物でもないお松は、自分の正体を知らないまま、行く先々で差別を受けることであろう。そのことが、一層、哀れであった。
伊予守はそう語られると話を終えた。
この物語を聞くにいたって、予は最近、何度か耳にしたろくろ首の噂を思い出した。多くは胡散臭く思っていたが、今回の話は唐で言うところの〈飛頭蛮〉と呼ばれる病と同じで真実だと思った。
源蔵の悩みは解決することはないであろう。悩んだところで結論は同じなのだから、悩むだけ時間の無駄と申すものである。『甲子夜話』より。〈了〉
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